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【人日】1月7日に「七草粥」を食べるようになった由来とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦1月1日は新暦の 1月下旬から2月中旬にあたり、冬の寒さも和らぎ、野山に若菜が芽吹き始める頃だった。

古代中国から伝来した1月7日に七種の若菜を食べる風習は、奈良時代から平安時代にかけて宮中行事となり、江戸時代に「五節供」の1つ「人日の節供」(七草の節供)として幕府の公式行事となった。

その後、「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付をそのまま新暦に引き継いで民間行事として残っている。今回は「人日の節供」の歴史を振り返りたい。

目次

・「五節供」から「五節句」へ
・古代中国の「人日」と日本古来の「若菜摘み」
・「七種菜羹」から「七草粥」へ

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水谷俊樹
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