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「長谷寺」【鎌倉ぐらし/社寺参詣】

きっかけは 「コロナ断捨離」中に出てきた1冊のノート。
上京前、21歳のときに書いた人生の設計図。

その日は苦笑いしながら「捨てるモノ」箱に放り投げたけれど、ずっと心に引っかかっていた。

“鎌倉ぐらし”

あれから4年。
全然、20代の頃に思い描いた自分ではなかったけれど、ある日、ふと思いついた。
(今じゃないか?)

これまで、どうしても迷ったときは「やらぬ後悔より、やって後悔」で「やる」ことを心がけてきた。
(迷ったときは一歩前へ)

“思いつきと思いきり”

令和6年(2024)7月、東京から鎌倉へ引っ越した。

“鎌倉ぐらし”の記録として、お参りした【社寺】をnoteに残していく。

鎌倉ぐらし/社寺参詣

「長谷寺」

高徳院(鎌倉大仏)の南西に佇む。

海光山慈照院「長谷寺」は浄土宗の単立寺院。
もとは材木座にある「光明寺」の末寺だったといい、鎌倉時代には大和(現・奈良県)の「長谷寺」に対し、「新長谷寺」と呼ばれていた。通称は「長谷観音」。

奈良時代の天平8年(736)の創建とされ、開山は徳道、開基は藤原房前、9mを超える本尊「十一面観音像」は大和「長谷寺」の「十一面観音像」と一木から二体を造ったと伝えるものの、草創期の寺史は不詳。ただ、寺史に関する最古の史料として、文永元年(1264)7月15日銘の梵鐘が遺されているから、鎌倉時代中期、「元寇」(文永・弘安の役)の前夜には成立していたことはわかる。

鎌倉時代初期に開設されたという、坂東8カ国にまたがる33カ所の観音霊場「坂東三十三所」第4番札所、大正から昭和にかけて旧・鎌倉町(鎌倉市中心部)に設定された観音霊場「鎌倉三十三所」の第4番札所であり、毎月18日は観音(観世音菩薩)の“縁日”には多くの参拝客で賑わう。また、その他の行事として4月8日の「灌仏会」、8月10日「四万六千日詣り」、12月18日の「歳の市」などが知られている。

余談ながら、日本における“縁日”は平安時代にはあり、平安後期の説話集『今昔物語集』に「今日は十八日、観音の御縁日也」と記されている。

また、この日に参拝すると4万6000日参拝したのと同じ功徳があるという「四万六千日詣り」は、江戸時代、元禄から享保(1688~1736)にかけて始まったといわれ、享保20年(1735)版の江戸の地誌『続江戸砂子』に見える。

なお、4万6000日という日数については、米の一升が米粒約46,000粒にあたることから一升と一生をかけたなど諸説あり、その数字の由来は不明である。

令和7年(2025)3月1日のFacebookより

【撮影日】
令和7年(2025)2月27日

以上

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水谷俊樹
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