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「圓應寺(円応寺)」【鎌倉ぐらし/社寺参詣】

きっかけは 「コロナ断捨離」中に出てきた1冊のノート。
上京前、21歳のときに書いた人生の設計図。

その日は苦笑いしながら「捨てるモノ」箱に放り投げたけれど、ずっと心に引っかかっていた。

“40代で鎌倉ぐらし”

あれから4年。
全然、20代の頃に思い描いた自分ではなかったけれど、ある日、ふと思いついた。
(今じゃないか?)

これまで、どうしても迷ったときは「やらぬ後悔より、やって後悔」で「やる」ことを心がけてきた。
(迷ったときは一歩前へ)

“思いつきと思いきり”

令和6年(2024)7月、諸々の態勢を立て直すべく、東京から鎌倉へ引っ越した。

“鎌倉ぐらし”の記録として、お参りした【社寺】をnoteに残していく。

鎌倉ぐらし/社寺参詣

「圓應寺(円応寺/えんのうじ)」

新居山「圓應寺」

「鎌倉七切通」(鎌倉七口)の1つ「巨福呂坂切通し」(巨福呂坂、小袋坂)の頂上付近、建長寺の向かい側に佇む。

臨済宗建長寺派の「圓應寺(円応寺)」は、閻魔大王を本尊として、智覚禅師によって建長年間(1249~56)に創建されたとされる。

もともと「神輿ヶ嶽」(御輿ヶ嶽、見越ヶ嶽、見越嶽とも=長谷の高徳院〈鎌倉大仏〉の東の山か)にあったとされ、やがて足利尊氏が由比ヶ浜に移築、その後、元禄16年(1703)に起きた大地震(元禄地震)のあとに、現在の場所にに移った。

「圓應寺」は亡者が冥界において出合う「十王」が祀られていることから「閻魔堂」「十王堂」とも呼ばれ、次の懺悔文を閻魔大王の前で合掌して三度唱えると、今まで犯した罪は全て許されるという。

我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋痴
従身口意之所生
一切我今皆懺悔

(我れ昔、造る所の諸の悪業は、皆はてしなき貪瞋痴に由る。身口意に従って生ずるところのもの、すべて我れ今みな懺悔し奉る)

令和6年(2024)8月2日のFacebookより

【撮影日】
令和6年(2024)7月28日

以上

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水谷俊樹
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