喫茶昭和・カフェ201X
暑い日が続きますねぇ。
雨でも晴れでも体はいつもズブ濡れ・・・。
街中をぶらぶらするだけで大変です。
そんなとき、ふと街角にカフェや喫茶店を見つけて
涼みを求めてしまいます。
最近はカフェ文化が日本にも定着してきたのか
勉強や読書、仕事などで利用する人で溢れかえってます。
友達と談笑してる人の方が少なかったり。
カフェは昔からありましたが1970〜1995年くらいはコーヒーといえば喫茶店が一般的でした。
わたしは今、30代後半ですが、若いときに友達と『カフェに行こう』などと誘った記憶はありませんね。
まぁ私の行動範囲が狭かっただけかも知れませんが。
そんな喫茶店とカフェ。
最近はカフェに押され元気のない喫茶店。
ちょっと寂しいと思い、喫茶店派の私が喫茶店の良さ、カフェとの違いをダラダラと書き立てる記事です。
どうせなら私の喫茶店との出会い、思い出とともに。
コーヒーを脇に置いて暇つぶし程度に読んでいただければ。
喫茶店との出会い
喫茶店に初めて行った日。
覚えてませんね。
幼い頃、家の目の前に喫茶店があり
休日になると父親と良く行っていました。
店の名前は『ダービー』
店を仕切るのは『店長』ではなく『マスター』。
これはどの喫茶店でも同じ。
マスターのマストアイテムをご存知で?
口ひげです。
これがTHE喫茶店の象徴です。
芸能人で言えばマイク真木は良いマスターです。
私が通っていたダービーにももちろん口髭マスターが居て
私にも良くしてくれてました。
父親が『後から行く』と言えば先に行ってサンドイッチとクリームソーダを
注文するツワモノ小学生。
分煙?禁煙?いやいや全席喫煙!!
今でこそ分煙・禁煙は当たり前ですが、当時の喫茶店は全席喫煙。
目の前で父親がタバコを吸いながら新聞を読みコーヒーを飲む姿。
『かっこいい』
大きくなったら自分もしたい。
立派に大きくなった私。お盆休み、家族旅行に行った時に立ち寄った喫茶店で真似しました。
『パパ、タバコくさい』
耳を疑いましたね。いやいや違うだろ!
かっこいいって言え!そう心で思いながフテ腐れる立派な私。
音の演出
カフェに行けば店の雰囲気に合わせた落ち着いた音楽が流れてます。
喫茶店は音楽文化では無いのです。
音文化です。
それは店の扉を開ける所から始まってます。
もちろん自動でなんか開きません。
なんなら重いくらいです。
それは子供が来る場所じゃないと固く閉ざされた世界。
だから良い子は一人で入ってはいけません。
ましてや勝手に注文なんて重罪。
そんな重い扉を開けると
『からんから〜ん』
鈴の音でもない高音と低音、リズムが心を癒してくれます。
いらっしゃいませ。扉が語りかけてくるような。
暑い夏、注文するのはもちろんアイスコーヒー。
アイスコーヒーの音、知ってます?
コーヒーを煎れる『ポコポコ』という音とは違います。
氷の入ったコーヒーをストローで混ぜると氷がカップに当たり反響します。
スタバの紙カップでは決して出せない『涼』を演出。
よくわかってる喫茶店では、丸ではなく四角いコップで出してきます。
氷が角に当たると側面に当たるのとは違う音が響きます。
雑誌でわかる星の数
カフェでも雑誌が置いてるところはあります。
でも、主役は雑誌ではなく雑誌を立てかけてる棚です。
表紙を前にした置き方。スペースの無駄遣いだろうと思ってしまうような。
オシャレな雑誌をオシャレに飾られると取るのも悪い気がします。
男臭い週刊誌は店の雰囲気に合わないのか敬遠されがち。
そこには美味しい店なのかを知る術はない。
喫茶店では『いつのやねん』っていうような週刊誌が大量にあります。
『ジャンプ』『マガジン』『サンデー』は当たり前。
ダービーにもありました。
当時、学校は週休2日ではなく休みは日曜だけ。
なので私がジャンプを読めるのも日曜日。
ジャンプは月曜発行で、日曜にはボロボロ。
一週間でそれだけ多くの人が足を運んだんだ、人気店なんだという
バロメーター。
リサーチをしなくとも良い店だと分かる演出。
そこにはミシュランガイドなど必要ない。
食レポなど無用。
良い喫茶店は雑誌で星の数がわかるもんです。
コーヒーは科学の授業
喫茶店ではサイフォン式でコーヒーを煎れる。
科学の実験のようだと良く言われるが、子供の頃の私にはまさに同じように見えました。
カウンター席に座れば煎れるところも見れたのでしょうが父親は決まって
テーブル席。
結局、私はダービーでコーヒーを煎れるところを見れずじまい。
なので何をどうやって作っているかナゾ。
そんなナゾを抱えたまま通ってたのでコーヒーは神秘的な器具で作られる神秘的な飲み物だという考えが長い間わたしを洗脳していました。
いや、実際そうなのかも知れませんが。
食は本物であれ
ダービーで私がよく頼んでたサンドイッチ。
それはそれは綺麗でした。
サンドイッチの輝きが子供だったわたしの顔に反射して、わたしの笑顔はさらに引き立ったはずです。
タマゴにレタスにハム。バターではない特製の『何か』がパンに塗られ
きれいにサンドされた真四角ではなく真三角の食べ物。
お皿とサンドイッチの間にはペーパーが。高級ブティッックで白い手袋をして商品を触るあの演出。
喫茶店のサンドイッチはそれらと同等に扱われます。
ボリューム感を演出するために、あえてレタスをはみ出させる必要はない。
ボリュームがないものをあるように見せる必要はない。適正な量を適正な価格で食べさせてくれればよい。
スパッっと切った真三角。
マスターの男気。潔さが現れるのがサンドイッチ。
全てのものは手作り
何も特別なことではないのですが。
駅前にあるオシャレなイタリアンやカフェではないんです。
ただ、家の前にたまたま構えていた喫茶店。
それも近所のくそガキが走り回っているような道に構えた。
そんな喫茶店のヒゲおやじが作るものは間違いなく本物。
手作り。
カレー・ピラフ・オムライスにパスタ・ハンバーグ。
間違いなく全て手作りでした。
何をとっても美味しい。
どこで何の修行をすれば全てのものを美味しく作れるのか?
それもマスター一人でなぜ?
たまに晩御飯をダービーで食べる贅沢な日がありました。
初めてダービーでカレーを頼んだ日。
大人の味。
家で食べるのと違い肉は柔らかい。
ただ、辛いのが苦手な私にはダービーで食べるカレーは辛く
食べれないことにショックを受けていた私にマスターは言いました。
『ミルクをかけるかい?まろやかになるよ』
『えっ?』
半信半疑でしたが、このままでは食べれないので恐る恐るかけると
『おっ?』
『まろやかぁ〜』
まろやか=やさしさ=マスターの図式が完成した瞬間。
子供ながらにマスターが作ったものを残してしまうことに
ショックを受けていたので、食べれて嬉しかったのを良く覚えています。
喫茶店は不思議です。
決してオシャレな場所ではないし、計算もない。
店もなんで?っていう場所にある。
高層ビルにある夜景が雰囲気を演出する訳でもない。
今では昭和の雰囲気をノスタルジックと言われ、ある意味憧れられる。
そんな時代に幸運にも産まれた私。
三重県に旅行へ行った時。
喫茶店文化が残っていたことにうれしくなり、こんな記事を書きました。
数百メートルおきに喫茶店があったんです。
喫茶店は廃れる運命。
『洋』は受け入れられ『和』は敬遠されるから。
たまたま立ち寄った喫茶店は
世の中の当たり前に反して今でも全席喫煙が実行された店に感銘を受けた。
タバコの良し悪しは置いといて『喫茶店』を100%の形で味わえたことに
感動を覚えました。
『ジャパニーズカフェ』ヨーロッパで流行らんかなぁ。