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薫習という考え
仏教用語でいう薫習とは、直接的には日々の移ろいの中で衣類に染み付いた香木の香りのことを指し、翻って日々の習慣によって染まった妄信や、日々に修行によって身に染み付いた有難い仏法の教えを指す。
素人である私には善悪どちらの意味にも解釈が可能であり、それ自体が仏教的にいい意味で使われているかは定かではない。とは言え、私はこの薫習という考えが好きで、よく一人で思惟に耽る際に引き合いに出す。この世の多くの物事は薫習のようなもので成り立っていると思うし、それは時に積極的に進めていかなければならないプロセスでもある。
異国の新たな環境に身を置いた時には、尚更その必要性を痛感する。我々にできることといえば、薫習が進行するように願って、一縷の望みを託し、何か新たな行動を起こすことくらいである。新たな環境に馴染むためには、Aをすれば何とかなる、そうでなければBをすれば問題ない、といった事はない。
ある種、全ては賭けであり、後は薫習するか否かをただ見守るだけである。現地の香りがどうしても身体に纏わりつかなければ、それはそれで一つの答えである。但し、自分自信に外部の香りを薫習させるための仕掛けを重ね続ける努力だけは、怠ってはいけない。
具体的に、異国で現地の香りを薫習させるためにできる事柄をいくつか考えてみた。真っ先に思いつくのは、理容室で髪を切るということだ。凡そ理容室というものは、この世で最も気まずい店舗形態といっても過言ではない。ネイルや脱毛といった不要不急のサービスではなく、散髪は社会生活を営んでいる以上、定期的に必要となる。
必要上やむを得ず髪を切りに行くのだが、切ってもらっている間は、どうしても身動きの取れない椅子の上でいい子ちゃんを保つ必要があり、その場で沈黙を貫くか会話に興じる必要がある。この何とも言い難い空気は文化によって様々であり、そこで我々はその土地のあり方に如実に触れることができる。そして、髪型も現地人に近付くことができれば、更にその土地の空気を薫習させるチャンスが増えることだろう。散髪は最もコスパのよい薫習を進行させるための仕掛けである。
他には、用もなく外出することも薫習させるための貴重な手掛かりとなる。凡そ地球上のすべての物事は、共に過ごす時間が長くなればなるほど上位概念に対して違和感がなくなり、身体に馴染んでくる。言い換えれば、薫習が進むとも言えるだろう。例えば、勇気を出して買った今までと違うスタイルの服でも、1週間連続で着れば後は何も気にせず着続けられるはずだ。それは、服が自分自身の身体に馴染んだ結果と言って差し支えない。
同様に、人間はある環境の中で時間を過ごせば過ごすほど、その環境に馴染んでくるものである。故に、シェアハウスに住んでいるのなら、用がなくとも共用エリアでダラダラするべきだし、転職したばかりならオフィスの休憩スペースに頻繁に顔を出すべきだし、休日は住んでいる街中のベンチでぼけっとするべきだし、夜は近所を散歩すればよい。そうすれば自分自身に現地の環境が薫習していき、結果として環境に馴染むことができるだろう。
時には進んでその土地の妄信に取りつかれるべきなのである。それが、現地に馴染むことだと言っても、差し支えないと私は思う。