ワイヤレスイヤホンに物申す
*社会人1年目の時にひそひそと運営していたブログの記事です。サーバーの解約に伴い、もったいないので文章をnoteに移動しました。若干の加筆修正はありますが、当時のノリの文章をそのまま載せています。(2021/5/28)
え!お前もワイヤレスイヤホン??
最近、街を歩いているとやたらとワイヤレスイヤホンを装着している人が多いことに気がつきます。
友達と待ち合わせをしていてもワイヤレスイヤホンを装着したままでやってくるし、通勤時の車内でもワイヤレスイヤホンを装着して自分の世界に没入している人が大勢いいるし。
そんな訳で、ワイヤレスイヤホンの普及に伴い音楽のストリーミングサービスやネットの動画配信サービス、それに伴うデータ無制限パック。つい最近はClubHouseなんてアプリも流行りましたが、もはやストレスフリーでイヤホンを身につけイヤホンと共に生きる時代はこれからますます当たり前になっていくのかも分かりません。
確かに便利だけども
でも考えてみれば、ワイヤレスイヤホンって本当に便利なんですよね。
イヤホンを装着する(=自分の世界に没入する)にも関わらず、ハンドフリーで邪魔なコードを気にする必要もなく頭を自由自在に動かせるわけですから、聴覚だけ好き勝手カモフラージュできる時代になったと言っても過言ではありません。
社会人になってテレワークをするようになってから、ますますその恩恵を感じるようになりました。
イヤホン本体を充電しなければならないという制約はあるものの、使わない時間は充電器の上で保管すれば良いだけで、やはり苦にはならないと思います。ワイヤレスイヤホン、こんなもに魅力的なのに、私には少し引っかかる点があるのです。それを今から話していこうと思います。
ワイヤレスイヤホンを使うと意外と損してる?
ワイヤレスイヤホンのメリットを、ワイヤレスイヤホン未保有にも関わらずつらつらと述べてきましたが、もちろんデメリットも多々あると思うのです。
というか、そのデメリットが実はかなり深刻なのではないか???
というのがこの記事の趣旨になります。
ワイヤレスを装着することで何を一体損するんだと思われる方もいるかもしれません。これからそう思い至った理由を述べていこうと思います。
周辺環境との圧倒的な距離感
これはまだ分かりやすい方だと思います。ワイヤレスイヤホンを装着すると圧倒的に自分の世界に閉じこもることが出来ます。周りの音は一切気にせずに、目の前の作業や世界に没頭することが出来ます。
しかし、裏を返せば周りの世界とは圧倒的に隔絶されてしまうことになります。
イヤホンにコードがついていた時代には、コードのことを気にすることで多少「装着している意識」があったとは思いますが、ワイヤレスイヤホン装着時にはその意識すらありません。
周りの環境に注意を払おうとは思わないし、歩いていようと電車に乗っていようと、イヤホンは基本的につけたままでの生活になります。
周りの人々は皆同じ生活音を耳にして、そこから情報を得て同じ世界の中を生活しています。ワイヤレスイヤホンの装着により大切な情報入手のソースの一つが絶たれ、そこに”ある”世界との隔絶は大きくなる一方です。
するとますますイヤホンに頼って自らの世界に篭るようになり、ますます世界中にあふれる音とは距離を置くことになります。そうして、いずれは「聴きたい音しか耳にしない」人類が誕生するのではなんて考えてしまいます。
無意識の内にも人間は感覚データを集めている
一方で、生活音なんて別に好きじゃないし、そんなもの元からいらないと多くの人は思うかもしれません。
しかし、私はここにこそ人生をよりよく生きるコツが隠されていると思うのです。
人間の意識は氷山の一角のようなもので、その下には意識されないだけで実は無数の無意識のデータが存在するとはよく言われることです。
考えてみてください。帰宅ラッシュの時間帯で人混みの激しい新宿駅で偶然大学の友達に遭遇した時、どうしてあなたは何千という人々の中からその友達の顔を識別することが出来たのでしょうか。
一人一人の顔をじっくり吟味して、友達か他人かどうか…?
というプロセスを何千回と繰り返した訳ではなく、人混みの中で偶然友達の顔を見かけただけで我々はそれが友達だと瞬時に反応することができる訳です。
つまり、我々は無意識の中でも見たものを無意識下において情報処理しており、その中で注目に値する情報(長い付き合いの友達の顔)などを識別して初めてそれが意識上の領域にて意識される、と言えるかと思います。
ワイヤレスイヤホンの装着が奪う機会
我々は、普段気が付かないだけで常時大量の音情報を無意識下において処理してるのです。
そしてその中から無意識が重要だと思ったものが意識上に上り、意識されるに至るのです。
すると、ワイヤレスイヤホンを常時使用することは新たな音との出会いを減らし、すなわち新たな機会を掴むチャンスを知らぬ間に損なっているとも言えるかもしれません。
例えば街を歩いているときに耳にするセールスの声、広告の音声、そして街行く人々の他愛もない会話。また自然音でも風の吹く音や車の走る音、そして虫の鳴き声など、意識してみると世界は音で溢れていることに人は気づきます。
それら一つ一つが、意識の仕方を変えるだけでは新たなキッカケをもたらしてくれるかもしれないし、重要なものは意識しなくてもあなたの意識に登ってきて新たなチャンスや気付きをくれることだろうと思います。
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イヤホンを外して、世界に溢れている音に耳を澄ませてみませんか??
きっと機械が作り出す音よりも自然本来の音の方が何倍も美しく、情報量が多いってことに気がつくはずです。
目をつむって周りの自然音に耳を澄まそう
結局一番伝えたかったことはこういうことです。
イヤホンを外して、目をつむって周りの自然音に耳を澄ませましょう!!!
一度きりの人生だからこそ、今まで生きてきた人生の中で知った「音楽」という狭い1ジャンルの中の、更に狭い「私の好きな音楽」という一定の音情報の繰り返しから構成される世界に閉じこもるのはやめませんか??
世界は様々な音に満ち溢れています。そしてその全てが一期一会です。
スマートフォンの中にではなく、この世界というポータブルメディアの中に自分だけのお気に入りのプレイリストを都度作成していく様な、そんな人生が私は素敵だと思います。
(余談)当時を振り返る
今でこそ、ワイヤレスイヤホンは持っている。確かに洗濯物干してるときに音楽が聴けたりと便利な一面、外で付けたことはやはり殆どない。というか外でイヤホンをするのが未だに怖い。
外という公共空間では、皆が同じ情報を共通で認識しているはずだ。皆が同じ景色を見て、同じ音を聞いて、同じ匂いに誘われて。そんな中で、自分一人だけが全く別の音という情報を摂取していると思うと、なんだか怖い。怖いというか、違和感が気持ち悪い。帰宅ラッシュの渋谷スクランブル交差点で一人Aviciiを聴きながらノリノリになれるメンタルは、残念ながら僕にはない。そこで一人ではっちゃけれるメンタルがあれば、この種の違和感はおそらく存在しない。
だから、聴くなら外でボリューム全開にして聴きたいし、何ならあまり一人では聴きたくない。イヤホンぶっ壊すか。