海外移住を念頭に人生を振り返る
生まれてこの方初めての海外生活を経て「あの時こうしてたらなあ」と思うことも幾らかあったので、せっかくなので共有したいと思う。
結論から言うと、法学部でBachelor of Lawsを取得するのではなく、経済学部か商学部でビジネス関連の学位を取得し、GPAは楽単ばかりとって上げれるだけ上げておき、日本の前職時代に一生懸命限界まで働いて、英語のリスニングに関する勉強を死ぬほどしておいた方が良かったと思った。
キャリアに直結する学部へ進むべきだった
これは日本にいるときは一切感じなかったが、海外に来てから痛感することとなった。海外においては、大学での専攻が卒業後のキャリアに直結している。日本の様に、法学部だろうと経済学部だろうと総合職として入社し、配属に従った業務を担当するということは基本的にない。
日本で大学に進学する際は、正直大学と学部のネームバリューだけで進学先を決めてしまった。日本にいるのならそれでも良かったかもしれないが、海外に来るとどうしても当時の選択で良かったのかと思ってしまう場面が時折あった。
特に、私は法学部政治学科卒であり、授与された学位は英語でBachelor of Lawsになってしまうため、公的に証明できる私の学位は法学士ということになる。これが厄介で、Bachelor of Lawsで仕事をするとなると、どうしても「何故法律関係の仕事に就かなかったんだ?」ということになる。
更に厄介なのが、私自身はUSCPAを取得して会計士として働いているということである。Bachelor of LawsがUSCPAで、日本での前職はSalesである。こういった状況は日本国内では特段おかしい気はしないだろうが、海外(とりわけ英語圏)では一般的にあり得ない状況なのだと思う。これは就職活動だけでなく、就労ビザの発給にまで関わってくる。基本的に最終学歴で修了した学問が専門分野とみなされるため、その分野に関連のあるポジションでないと、ビザの発給はスムーズにいかないだろう。
故に、今の状況を念頭に改めて考えると、法学部ではなく経済学部か商学部に進学するべきだったと思う。大学卒業後に多くの人は一般企業に入社して働くわけだから、ビジネスを専攻しておけば取り急ぎ問題はない。法学部は多くの大学でなんとなく文系の上位学部の様な印象があるとは思うが、何となくの印象で選択をすると卒業後にこういった思わぬ壁が待ち受けている。私の母校の様に学部間序列をやたら意識する大学が日本には多々あるが、海外に来たらそんなものは一切関係がなく、無用なプライドは捨ててでもキャリアに直結する学部へ進学するべきであった。
「潰しがきく」「何となくかっこいい」「偏差値が高い」という判断軸で学部を選択すると、海外に来た時に間違いなく後悔をする。法学部は世界的にメジャーな学部であり、まだマシな方だと思うが、一番避けて良かったと思うのは近年乱立している国際系の学部である。残酷なことを言うが、見知らぬ異邦人にとって学歴としての効用を発揮し得るのは、卒業した学部で授与された学位の英語表記でしかない。国際○○学部や○○コミュニケーション学部は名前の響きこそかっこいいものの、そこで授与された学位は真剣に海外移住を目指す上で全く役に立たないだろう。
本気で海外に移住したいのなら第一に理系分野を専攻するべきだし、文系なら会計(ビジネス)か少し頑張って文系も受け入れているデータサイエンス系の専攻が良いだろう。とにかく、専攻した分野で学んだ知識がキャリアに直結する学部へ進学し、手に職を付ける必要がある。間違っても国際○○などを専攻してはならない。日本国内で世界の貧困問題や国際情勢、SDGsについて学んだところで、それを評価してくれるのは日系企業の人事部くらいであろう。日系企業で駐在ポジションを狙うのであれば意味はあると思うが、海外移住となると絶対に避けた方がいい専攻である。あと、授与される学位の英語表記は確認できるなら確認をし、自分が大学で学ぶ内容に合致しているかも確認した方が良い。私のように政治学(ゼミは近現代日本政治史?)を専攻したにも関わらず学位が法学士だと、色々面倒なことになる。
この点、個人的に調べてみて興味深かったことがいくつかある。例えば、慶應SFCの総合政策学部と環境情報学部は確か必修科目が多少異なるだけで、あとはどっちに入っても大差なかったと記憶している。しかし、卒業時に授与される学位の英語表記は両者でかなり異なり、前者はPolicy Managementで後者はEnvironment and Information Studiesであった。これは海外で生活している身からすると、とんでもない差異である。SFCならどっちでも良いやで決めては絶対にいけない。この単純な英語表記の違いが、後の人生設計に多大な影響を及ぼすこと間違いなしである。
一方で、早稲田大学の文学部と文化構想学部は学部の名前さえ異なるものの、授与される学位はどちらも文学士であり、英語表記も同じであった。更に言うと、教育学部の国語専攻?を卒業して授与される学位も同じく文学士であるため、これらの学部(学科)はどこを卒業しても学位としては出口が同じと言うことになる。
GPAを少しでも上げる努力をするべきだった
先に述べた様に、今日の日本社会のあり方は私のような憂き目に遭う人を日々生産し続けていることであろう。そして、この学位とキャリアが結びついていない現状を是正するために取れる限られた手段の一つが、大学院進学である。どこかしらの大学院へ進学し、新たに修士号をとってしまえば万事解決するのである。
特に、海外では正直に言って学位を持っているだけでは全く評価されることはなく、それなりに稼ぎのいいホワイトカラーの職に就くには修士号を有している必要があるだろう。学歴として誇れるのは修士課程を修了してからである。
しかし、大学院に進学するにあたってどうしても必要となる要素が2つある。一つは英語力で、これは正直何とかなる。机の上でガリガリ勉強していればなんとかなるだろう。もう一つはGPAであり、こればかりはどうにもならない。GPAは今更どう足掻いても変わらない。
GPAを上げることなんて簡単で、いわゆる楽単ばかりとって最低限の必要単位数で卒業すれば良いだけである。それが学問を修める場である大学の正しいあり方であるとは思わないが、海外移住を真剣に考えるのであれば大学院進学は絶対に視野に入ってくると思うため、GPAは是が非でも気にする必要がある。
結局、自国民を差し置いて異邦人に機会を与え、ビザを発給するためにはそれ相応の理由が必要であり、それが学位名とGPAであるという話だ。不公平だとは思うが、グローバル化が進展した今日の社会で異邦人一人一人に向き合う時間などなく、結局は英語試験のスコアのように、システマティックな方法で篩にかけるしかないのである。GPAは上げておく必要があったと痛感している。
日本で一生懸命働くべきだった
これは私が単に怠け者であったという自己反省でしかないのだが、日本国内で働いているのなら、そこでベストを尽くす必要があったと思う。日本だろうと海外だろうと仕事は仕事であり、仕事の仕方に洋の東西は無い。使用するソフトも日本国内と海外で差はない。Excel職人はどこの国に行ってもExcel職人として活躍できるだろうし、プログラミングのセンスがある人は、間違い無くどこの国のどんな職場へ行っても歓迎されることだろう。
私はよく母国語教育の大切さを説くときに、母国語で説明し得ないことは外国語では尚更説明できないから、何よりも母国語教育を重視するべきだと言っているが、同様に日本の職場環境での最大出力以上で海外の職場で働けるわけがないのである。
海外移住をして海外で働いたら自然に変われるなんてことはなく、日本国内ですらまともに働けなかった人は海外に来てもまともに働けないだろう。故に、海外移住に興味があって現在日本で仕事をしている人がいたら、まずは現在の職場でベストを尽くして欲しい。その働き以上の働きが海外に来たら自然とできるわけがないし、基本的な仕事内容はどこの国でも同じである。
死ぬほど英語(リスニング)を勉強するべきだった
前提として、私は3年前にTOEICを満点近く取っているし、大学受験時も英語の偏差値は常に70はあったので、英語ができないということはない。それでも、とにかく自分以外全員ネイティブスピーカーの環境に来ると、本当に会話についていくだけで精一杯である。というか、実際に現地の人が話す英語なんてはっきり言って聞き取れない箇所の方が圧倒的に多い。
言葉は話せなくても正直何とかなる。身振り手振りを交えれば伝わりやすくなるし、聞き手側も意を汲み取ろうと頑張ってくれる事がほとんどなので、これは何とかなる。問題はリスニングである。言われていることが理解できないと何も始まらない。話せなくても書けなくても読めなくても最悪何とかなるが、聞き取れないと本当に何も始まらない。言葉が通じるか否かというのは、それほどにまで重要な事である。
故に、英語を死ぬほど勉強するべきだったと強く思う。特にリスニングを重点的に勉強するべきだった。先に学位に関する話をしたが、はっきり言ってそれは二の次で、やはり海外で働くのならば英語力が一番肝心である。とにかく英語ができなければ何の話にもならない。英語が何の不自由もなくなって、ようやくスタートラインである。どれだけ勉強してもしすぎるということはない。とにかく英語を聞き取れる様にしておく必要があった。
具体的には、字幕なしで英語の映画を見て完璧に100%理解できるレベルがスタートラインだろう。自分は全くこのレベルではない。英語のニュースやYouTuberのVlogには日常的に使う言い回しがあまり含まれていないので、やはり映画である。映画内で交わされている日常的な言い回しやフレーズを完全に理解できるようになって、ようやくスタートラインである。
こう言ったリスニング力は、正直現地に来てみないと身に付け辛いのも事実である。私も日々職場で英語に接する中でいろいろな表現を学んでいったように思う。例えば、こっちの人は$をdollerではなくbucksと言ったり、ちょっと待ってはhang onであったり、難しいはtrickyであったり等々。とは言え、日本にいる時でも映画を見る等の努力はできたはずである。言葉は何事にも先行する。言葉だけはしっかり身につけておく必要があったし、どれだけ勉強しすぎてもしすぎると言うことはないだろう。
最後に
とは言え、これまでの人生の選択の上に今の自分がいるため、今まで下してきた決断には何ら後悔はない。ただ、今の自分が置かれている状況を鑑みた上で振り返るならば、過去にこう言った選択をしていれば今頃もっと有利な状況にいたかもしれないと言うだけのことである。
学部選びについての話をやかましく書いたが、今になって改めて思うのは、文系の学問は基本的に貴族のお遊びであって、贅沢の一種ということだ。学んだところで一見何のキャリアにも直結しない学問を、漠然と興味があるというだけで専攻できている学生は、大変幸せ者である。
大学時代の指導教授がよく言っていたが、直ぐ役に立つ知識ほど直ぐ役に立たなくなり、その逆もまた然りである。一見何の役にも立たない政治学や歴史学を真剣に学び、論文を書くこと。そこで得られた知識や経験は直ぐに役立つことはないだろうが、本当に人生を豊かにし、救ってくれるのは、こういった直ぐには役に立たない知識や経験である。
とは言え、海外移住となると現実はそこまで甘くなく、一貫性と具体的なスキルがなければかなり難しいというそれだけの話である。まあ、何やかんや日本は幸せな国である。