見出し画像

人生最悪の大失敗 タイ移住 大動脈解離 無保険で 手術 入院



大動脈解離


読んでいただきありがとうございます✨

実はあまり書きたくないのです、、、、
書こうと思って事実をまとめてゆくと、あまりにも自分の "いい加減さ" や "適当さが" 明確になってしまい、その事が35年連れ添った最愛の妻との死別の原因となってしまったのではないかと考えられて「最愛の」なんて書く事も恥ずかしい位の自己嫌悪に陥ってしまいます。 でも書かない事には先が繋がらないですし自分が2度とこんな失敗をしない様に戒める意味で記録していく事にします。 

皆様は私が罹患した 「大動脈解離」 という病気をご存知でしょうか?
(大動脈解離(だいどうみゃくかいり、英: aortic dissection)とは、3層構造を作っている大動脈のうち、何らかのきっかけで真ん中の層の膜(中膜)に血流が入り込み、層構造が別々に剥がれていく(解離してしまう)疾患。
Stanford Aの場合、腕頭動脈、左総頚動脈に血流が減少し脳死の危険が高いので、緊急手術適応となる場合が多い。)
以上ウィキペディアより
私の場合上記のStanford A型であった為緊急手術になりました。
考えられる最大の発症原因は 高血圧です。
私は20才の時に初めて血圧を測定してから現在までずっと血圧が正常値であった事がありません。140以上が当たり前でした。それでも何も自覚症状は無く生活して来てしまった為
「体質だから気にする事は無いな」
と言う考え方になってしまいました。
会社で毎年実施していた健康診断でも当然指摘されていたのですが、
周囲の従業員にも度々(要精密検査)の人が居て、その人達が精密検査を受けても 異常無しで帰って来る事が普通だったので
「健康診断なんて医療機関が精密検査代を稼ぐ手段なんだな」
と言う不遜な考え方になってしまっていました。
要するに健康診断の結果を信用していなかったのです。
更に愚かな事に 異常が出ると精密検査とかうるさいので、健康診断日に合わせて禁酒したり早寝したりして当日の数値のみを誤魔化す様な事までしていました。長い年月やっているとかなりコントロールできる様になりますね。皆さんは真似しないで下さい。
普段の状態で測定していない数値なんてなんの意味も無い事がわかっていながら健康診断を信用していないので、平気でそんな事をしていました。
結果 高血圧を何十年も放置する事になりました。
今考えると長年放置した高血圧に遂に血管がギブアップしたという事なのだと思います。
健康診断を軽く見ていたツケが今頃廻ってきたと言う事です。
ただ、自分の感情としておかしな話ですが、大動脈解離については、日本でも割と有名な方が亡くなられていたりした時に、病気の詳細を調べた事があり 普通の人より詳しく知っていました。
自分が高血圧である事はわかっていたので、潜在的に (いつか危ないかもしれない)と思っての行動だったのかもしれません。


コンドミニアムのプール
奥がフィットネスジム

大動脈解離発症当日


大動脈解離発症当日の話をします。
タイのコンドミニアムには結構な確率でプールとフィットネスジムが付いています。当時住んでいたコンドミニアムにも付いていたので午後の空いた時間にフィットネスジムでトレーニングする事を日課にしていました。
ある日 フィットネスジムで1人でトレーニングしていたのですが、その日は何と無く調子が良かったので、普段よりもマシンの負荷を2段階上げて追い込んでいました。
バタフライで激しく動いた直後に異変が起こりました!
胸に激痛とまでは行きませんが痛みが起こって、呼吸が落ち着いても治まる気配が無いのです。強烈な胸焼けの様な感じです。
直ぐにトレーニング中止して部屋に戻り シャワーを浴びて休みました。
その時の状態は以前 逆流性食道炎になった時とそっくりな胸焼け状態だったので、またそれかな?と考えて胸焼けが収まるのを横になって待っていました。逆流性食道炎の時の経験から胸焼けは何もしなくても突然収まる事が多かったので、それを待っていたのです。
妻も心配して胸焼けの薬を買ってきてくれましたが一向に治りません。
いつの間にか夜になりましたが症状は改善されませんでした。
「このまま寝られたら朝には治ってるんじゃ」
なんて思いましたが胸焼け症状が酷くて寝られるわけもありません。
そして更に夜も更けた頃 痛みが移動し始めました。
段々胸の前部中央から背中側に痛みが移動し始めたのです。
ここで以前 大動脈解離について調べた事が脳裏をよぎります。
(これは マズイな!)
大動脈解離の危険な症状に当てはまります
直ぐに妻に
「これは病院行かないと危ない!」
と報告して、コンドミニアムから100m位に総合病院があるのでそこの救急車を呼んでもらいました。
近いので直ぐに救急車は来ました。ストレッチャーを持って来た救急隊員の方達も何となく私の状態がわかってる様に感じました。
ストレッチャーに乗る時は自力で歩いて乗れたのですが、5階からエレベーターで下に降りた時には背中の痛みが激痛に変わって呼吸が出来ない状態になっていました。1分遅かったら大変な事になっていました。
妻がトイプーサクラをバッグに入れて救急車に同乗して病院につきました。
直ぐに検査です。
婦長さんが同じコンドミニアムで知り合いだったのでサクラの面倒を見てくれたそうです。

CTスキャンのデータCD

2回CTスキャンを撮ります。
このCTの時が1番苦しかった!
背中の痛みで殆ど呼吸が出来ていないのです。
CTが終わって笑気ガスなのかな?吸入して意識が飛ぶ時には痛みから開放されて天国の様な気分になりました。
私が不明になっている間に病院と妻の間で色々話合いがあったそうです。
運び込まれた病院は中東系の大富豪の方がメディカルツーリズムで来るような超高級病院です。
「ICUに入る様なので、1日500000バーツはかかります!(約2,000,000円)」
さすがに無理です!

転院 手術 入院


夜中ですが他の病院を探してくれたそうです。更に検査してくれた医者が転送先の病院の医者に直接話をしてくれた様です。タイの病院は基本的に24時間年中無休です。
日本に来た時妻が日本の病院 土日休みと知った時凄くビックリしていました。
「そんなの病院じゃ無いよ!。土日は病気しちゃいけないの?」
ビックリしますよね。日本だけに住んでいると気が付かないかもしれませんが、病院の存在コンセプトに合致していない事が我が国では普通に行われていて皆んなそれが当たり前だと思っています。
タイの場合だと銀行なんかも同じですね。日本より遥かに営業時間も長く休日も少ないのです。
オ・モ・テ・ナ・シとか言いながらお客様の事より自分達なのではないでしょうか?
日本は他の業種のサービスは素晴らしいのですが病院と銀行に関してはそんな感想を私は持っています。(タイに来てから気づきました 。銀行と病院に関してはタイの方が圧倒的に便利です(他は日本が便利ですよ!))
色々と手続きが済んだらもう明け方になっていたそうです。
そうして病院間を搬送されて手術をします。
この時の状況から助かっても75%の確率で車椅子か寝たきりになると言われて妻は目の前が真っ暗になったそうです。
実際その時に妻が娘達に送ったLINEを読むと殆ど私の命を諦めたような言葉が書いてありました。

しかし2日後 私は目覚めました。

胸のど真ん中をバッサリと胸骨切断して居るので動けないのですが手足共感覚があり 指も動かせるので自分としては大丈夫そうでした。
実際危ない危ないと脅かされていたのは妻と親戚達なので、私は意識が無かったのでそこまで危なかった事は知りませんでした。
意識が戻って翌日からは何とか自分で歩ける様になり手術の日を入れて7日で退院出来ました。
今考えるとめちゃくちゃ早いのですが、費用の関係なのでしようか?確認出来ていません。

最初の病院の検査明細書

海外旅行保険の失敗


意識が戻ってから海外旅行保険を手続きしようとして調べると 何と!
カードの海外旅行保険の有効期限が日本出国後1ヶ月になっていました!
これが私のとんでも無くズボラな自己嫌悪案件でして、 9月に1回用事で帰国しているので、カードの海外旅行保険がまだ有効だと思っていたのですが、その時の航空券の支払いにたまたまイ◯ンゴールドカードを使ってしまったのです。いつも他のカードで支払っていたので利用付帯ですが出国後3ヶ月有効と記憶していたのですが、イ◯ンゴールドカードは元々1ヶ月しか有効ではありませんでした!
カードの海外旅行保険の期限なんか皆んな同じだと思っていました!
更にいつもは旅行ですから海外旅行保険を真剣に考えてこなかったので利用付帯のカードしか持っていませんでした。
逆にタイでなら国民健康保険に入れるので海外旅行保険など必要ない妻の名義のカードには自動付帯で海外旅行保険のついている物があると言うマヌケさでした。
これはとことんズボラな私の自己責任なので実費で支払うしかありません。
タイ移住の生活設計が崩れてしまいますが何とかするしか無いのです。
ちなみに大動脈解離を人工血管で置き換える手術と1.5日のICU  7日間の入院 投薬で大体380,000バーツ(約1,575,000円)位の支払いになりました。380,000バーツのうち約120,000バーツは最初に搬送された病院での検査代です。トホホです、、、、
 

退院


早くに退院したので、コンドミニアムに帰ってからも胸骨が治癒していないのでベッドで過ごしました。
「夜中唸ってるから一緒に寝られない」
と妻はソファで寝ます
数日すると妻が夜咳き込んでいます。
後から思えば、私が死にかかったストレスや退院してからの支払いも含めたストレスで心身共に疲れて弱った所にあまり動けない私が部屋に帰って来て心労が重なりコロナウイルスにつけ込まれる隙が出来てしまったのでしょう。
病院への出入りもウイルスに曝される原因になったかも知れません。
結局これが原因で妻を失う結果になってしまうのですが、私もこの時は自分の身体の事が精一杯で妻の身体まで神経が廻りませんでした。
後悔先に立たずと言いますが 悔やんでも悔やんでも悔やみきれない事になってしまいました。
1生分の反省をまとめてもとても足りるものではありません。
○ 日本に居た時から私が自分の身体に気をつけていれば
○ 健康診断の結果に真摯に向き合っていれば
○ 歳を考えずに無茶なトレーニングなんかしなければ
○ カードの海外旅行保険をしっかり確認してから航空券を購入していれば
○ 妻の体調にも少し気を遣うことが出来ていれば
たられば言ってもしょうが無いのですが私が死ぬまで背負っていかなければならない負の責任となってしまいました。

3人で暮らすはずだったのに

次回はこれも書きたくないのですが、妻と死別した日の状況を書きます、リアルに描写しなければならない部分もありますので大変申し訳ないのですが苦手な方はスルーして下さい。 
ここまで読んでいただきありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?