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「サステナブル経営」-利益は経営の手段か目的か?

米国社会では限りなく個人の欲望を追求しており、社会は強欲資本主義に支配されている。

「アメリカン・ドリーム」もその延長線上にある。

個人的欲望を追求した結果、米国社会ではごく限られた富裕層が富のほとんどを所有することになり、この40年~50年で中産階級が消滅して一般人が貧困生活へと陥っている。

米国では、富はますます富裕者に集まり、持てる者と持たざる者との社会分断が進行しでいる。

米国主導によるグローバリズムと新資本主義の推進によって、米国の強欲資本主義が世界に波及し、世界でも富めるものと貧しい者の対立が深まっている。

企業経営では、強欲資本主義が利益第一主義と株主利益最重視をもたらすことになった。

強欲資本主義は自然や社会から豊かさを簒奪する。

このような強欲資本主義の猛威に対して、近年、「サステナビリティ」を重視する経営思想が提唱され、企業経営で注目を集めている。

サステナビリティとは、日本語で「持続可能性」と訳される。

環境(自然)、社会、経済の3つの側面において、現在の世代のニーズを満たしつつ、将来の世代のニーズを満たす能力のことを指す。

環境(自然)に関しては、環境保全能力として、 地球環境の保全、生物多様性の保全、資源の持続的な利用の能力である。

社会に関しては、社会貢献能力として、 地域社会との共生、人権尊重、労働環境の改善、ダイバーシティ推進の能力を含む。

経済に関しては、経済活動の持続可能能力として、 倫理的な調達、コーポレートガバナンスの強化、企業の長期的な成長の能力である。

最近は、地球温暖化や資源枯渇、また、格差拡大などの社会課題が顕著化し、企業の活動による環境負荷や社会への影響に対する関心が高まっており、企業活動におけるサステナビリティの要請が高まっている。

企業経営において、サステナビリティを目標に掲げた経営思想を「サステナブル経営」と呼ぶ。

サステナブル経営とは、環境、社会、経済の3つの側面から持続可能性を意識した経営を行うことである。

サステナブル経営では、従来の利益追求のみを重視した経営とは異なり、中長期的な視点に立ち、地球環境の保全、地域社会との共生、従業員の満足度向上などを経営戦略に取り入れることで、企業の長期的な成長と発展を目指そうとする。

また、サステナブル経営は、企業にとって単なる社会貢献活動ではなく、ビジネスチャンスにもなり得る。

サステナブル経営に取り組むことで、企業は環境問題、社会課題の解決に貢献しながら、新たな市場を開拓したり、顧客との信頼関係を築いたりすることができるのである。

実際に、サステナブル経営の一環として、企業では、
l  太陽光発電やバイオガスの導入、また、省エネ設備の導入などによる、CO2排出量の削減への取り組み
l  環境負荷低減型の製品開発
l  生産工程におけるエネルギー使用量の削減、
l  プラスチック資源循環の推進
l  食品ロス削減
l  リサイクルの推進
l  途上国の工場における労働環境改善
l  障害者雇用の促進
l  リサイクル素材の使用
l  環境保護活動への支援
l  フェアトレード認証を受けた原料、等々、
様々な取り組みが行われている。

企業活動の前提には、企業活動の意図がある。

企業活動の意図とは、自社は「何のために」企業活動を行うのかということである。

すなわち、企業には、自らの活動に対する「想(おも)いや希(ねが)い」が存在するのである。

「想(おも)いや希(ねが)い」が意識化され、また、形式知化されたものが、経営思想である。

現代の資本主義社会では、自然や社会に対する企業の経営思想として、「自然や社会は、ビジネスで儲けるための、便利な手段である」という考え方と、「ビジネスは、豊かな自然を維持し、人々が幸せに暮らす社会をつくり出すための、便利な手段である」という、二つ考え方が存在している。

米国のジョン・ハーヴェイ・ケロッグは、1896年にピーナツバターの製造方法にする関する特許を取得した。

しかし、彼は、その特許の使用料を取らず、広く人々に利用されるようにした。

ケロッグは多くの人々が利用できるようにすることを選び、健康食品としてのピーナツバターの普及に貢献した。

しかし、公益を重視するケロッグのような人は米国では例外で、ビジネスは儲けるための手段であり、自然や社会を簒奪するのが常であった。

発明家として有名なエジソンも特許で稼ぎ、社会の簒奪者であった。

これに対して、古くから伝わる日本の「商いの道」では、「ビジネスは、豊かな自然を維持し、人々が幸せに暮らす社会をつくり出すための、便利な手段である」ことが当たり前である。

また、日本では古来より自然は神聖であり、神々の宿る尊敬すべきもと考えてきた。

例えば、特に、近江商人によって大切にされ、彼らの商売の基本とされてきた「三方徳」という経営思想がある。

三方とは、売り手、買い手、世間であり、三方徳とは「三方よし」である。

三方徳とは、「売手よし」、「買手よし」、「世間よし」で、すべてが満足することである。

彼らは、自分たちの利益だけでなく、顧客の満足と社会への貢献を重視することで、長期的な信頼関係と繁栄を築くことが重要だと考えていた。

三方徳の考えは、まさに、環境(自然)、社会、経済の持続可能性を意識した経営であり、サステナブル経営の思想そのものである。

日本の「商いの道」では、近江商人はもとより、「おもてなしの心」のように、サステナブル経営は当たり前であった。

日本の経営思想では道徳と商売が融合していた。

最近の日本の大企業サラリーマン経営者は、日本の商売道を忘れている。

彼らは、アメリカの強欲資本主義に汚染されており、利益第一思想の経営思想の持主である。

彼らの思想は、「今だけ、カネだけ、自分だけ」であり、おぞましい限りである。

彼らの会社でも、はやりでおざなりに、サステナブル経営を掲げているのであろうが、当然、心のこもったものではないだろう。

日本経営は、戦後、米国から「How-いかにするか」を学んできた。

しかし、「What-何を」や「Why-何のために」については、これからの日本の経営者は、米国の堕落した経営思想を取り入れるのではなく、日本古来の「商人道」を学びなおすべきである。
そこに、これからの日本企業の勝機が隠されているはずである。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC15BS60V10C24A5000000/

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