エロス=悪なのか
いきなりこのタイトルは何だと思われるかもしれない。誤解が生じないように予め述べておくが、僕は男女同権論者であるし、セクシュアルハラスメントを始めとする、あらゆるハラスメントにも強く反対するし、何なら公の場で性的な話題を述べるのは、むしろ嫌悪する人間だということを承知しておいて頂きたい。それを前提にこのnoteを綴っていく。
僕がこのテーマについて描くのは、以前からまるでエロス=悪のような見解を聞いたりすることが多く、それに対して強い疑問を抱いたからだ。近頃の報道では、自衛官募集ポスターの少女のアニメキャラに批判が相次いだり、コンビニエンスストアでは成人向けの雑誌が撤去されるような動きも出てきている。こういったポスターや雑誌に対して、”性的な消費”という言葉も出てきている。こういった批判というのは古くは中世や近世のヨーロッパでもあったが、果たして本当にエロス=悪なのだろうか。
僕はエロス自体が悪だとは思わない。それどころか、過度なエロスの規制は、むしろステレオタイプというものを生み出してしまうのではないだろうか。思春期の過程で性に興味を持つのは別に何の問題もないのに、それを厳しく規制したりすることは不当な抑圧だし、また、女性に対して過度に貞節を守ることを要求するのは一種の差別だと思う。そして何より、性に対して興味を持つことは悪いことではなく、ごくごく一般的なものであるにもかかわらず、それに対して厳格な姿勢を持つことは精神衛生上良くないだろう。
また、芸術を深く愛している者としては、エロスという感情は芸術を発展させる上で非常に大切なものだと考えている。官能小説や西洋絵画、春画やファッションまで、それら全てはむしろ人間の感性というものを豊かにし、社会や人々の視野を広げさせてくれる。トップ画に挙げた絵画は、印象派を切り拓いた有名な画家である、エドゥアール・マネの「草上の昼食」というタイトルの絵画であるが、マネはこの作品で、それまで裸体像は宗教画と神話画のみという当時のルールを破り、一般の女性の裸婦像を描くことで、常識を覆し、後世の画家たちに強い影響を与えた。
ここまで描いてきたとおり、僕はエロス=悪だとは思わない。何か相手に露骨に性的な表現をしない限り、相手を魅力的だと感じることや、想いを芸術に昇華させること自体に文句を言われる筋合いはない。むしろ、男女問わず、強く惹かれる人間がこの世に存在するということ自体が奇跡だと僕は思うし、魅力的な人を美しいと感じる感性がその人の中にあることは素晴らしいことだと思う。ということで、明日は早速、「カラヴァッジョ展」に足を運びたいと思う。