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ヒューマンデザインとの出会い(1)

サニアシンというものになって以来、それまで忙しすぎて使う暇もなかった貯金をなりふり構わず使うという極端な行動にでるようになりました。

今振り返れば、それは投資という美しい言葉で自己正当化できるのですが、当時、そのような脳機能は停止状態になっていましたから、後々になってそれも自分の糧を得る何かになるとは思ってもいませんでした。

それよりは、むしろ檻の中に閉じ込められ続けた野獣が念願かなってついに自由の身となった興奮と嬉さのあまり我を忘れて好き勝手、やりたい放題、欲望のなすがままに暴れまくり、食い尽くしては次へ向かうーーーそんな感覚でした。

興味があれば、何でも食う。欲しければ、手に入れる。金はあるし、やってみたければ、やってみる。そんな勢いで学び始めたことのひとつがヒューマンデザインというものでした。

サニアシンという自由を求める真実の探求者と言えばかっこいいでしょうけれど、その世界にはやはりそれなりの、そして一般のサラリーマン社会よりも色濃く強烈に「年功序列」制度が流れているのを感じ取るまでには時間がかかりませんでした。

サラリーマン人生が骨の髄まで染み込んでいたせいでしょうか。先輩サニアシンたちは筋金入りのヒッピーだったりする人もいたりして、30代でサニアシン入りした私は「New Chikien」(ヒヨコからようやく鶏になったばかりの奴。英語のチキンという言葉には臆病者という隠語も含まれている。)なんだと思わざる得ないわけです。

10代でインドに旅して、そこでOSHOに出会ってサニアシンになったーーーというような武勇伝を聞くにつれ、私なんて彼らの足元にも及ばないとばかりに自己卑下して、先輩の言うことを鵜呑みにするサラリーマン時代よりも数段に阿呆化してました。その阿呆になった自分に気づくまでには、その後10年近くかかりました。

「トーシャン、ヒューマンデザインやってみたら?あれはすごくいいよ。トーシャンに合ってるし、彼と一緒に学ぶこともできるし、二人にとっていいと思う。」

それはごく普通の営業トークだったのですが、私は先輩サニアシンからスカウトされたことに素直に喜び、彼との間からも少しは良くなるかもーー。という隠れた野望が相まって彼と二人でヒューマンデザインの講座に通い始めました。

ーー続くーー


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Toshan(トーシャン)
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