#144|心理的安全性のある場をつくるには
今日はタイトルにあるテーマについてつらつらと。あくまで「私の」「今の」考えであり、明日には変わるかもしれないし、これが正しいというつもりはない。ただ、私にとっては「発見」だ。note365日連続投稿チャレンジ144日目。
「心理的安全性のある場」とはどういう場だろうか?
それは関係者全員が「ありのままの自分を出せる場」だ。
最初は「ありのままの自分を受け入れてもらえる場」だと考えたが、「受け入れてもらえるかどうか」より、「出せるかどうか」が重要だと考えた。
受け入れてもらえるという条件だと、受け入れられないなら自分を出せないということだ。それではずっと不安ではないか。
誰だって受け入れられることと、受け入れられないことはある。そして普通、受け入れられない場合には、①その部分を出さないようにして関わるか、②関わるのをやめるか、だろう。
しかし、心理的安全性の高い場というのは、仮に特定の部分は受け入れられなかったとしても、自分がいて自由にコミュニケーションを取ってもいいのだ、と感じられる場ではないだろうか。
失敗したら責められるとか、違う意見を言ったら否定される、といった場が心理的安全性があるとは思わない。しかし、「必ず」失敗しても怒られない、違う意見も「常に」認められる、という場もまた違うだろう。逆方向の窮屈さが生まれる。
自分にだって、時にはされて腹ただしい失敗もあるし、認めたくない意見だってあるはずだ。そういった清濁を、どちらも表現してなお敬意を持って属していられる、一緒に生きていける場というのが、本当に安全性の高い場だと思う。
これは「失敗できる場とできない場」と言い換えられる気がする。
「ありのままの自分を受け入れてもらえる場」=「失敗が起こらない場」であり、「ありのままの自分を出せる場」とは「失敗が許される場」だ。
または
「ありのままの自分を受け入れてもらえる場」=「自分が傷つくことも相手を傷つけることもない場」であり、「ありのままの自分を出せる場」とは「自分が傷ついても相手を傷つけてしまっても大丈夫な場」だ。
失敗しない人なんていない。傷つけられることも、傷つけてしまうこともある。それでも、一緒にいられる深さがあるような場。
傷つけられればつらい。傷つけてしまってもつらい。しかし痛みが発生することも生きているという証だ。それを楽しめた方が人生は豊かだ。怪我をしないように、という考えでなく、怪我をしても進んでいけるような考え方、そういった関係性が安心に繋がるように思う。
それは、べつの視点で言えば「未熟な自分と向き合うこと」とも言える。ある意味、心理的な安全性の高い場は全員にその負荷を与えることでもあるし、そういう負荷を負荷と思わないでいられるある種の強さ、厚み、がある人たちが集う場が、心理的安全性の高い場になるのかもしれない。
それにはどんな条件があるだろうか?
お互いを尊重すると決める。わかりあえることは奇跡で、わかりあえないことを当たり前と捉える。その上で自分を伝えようと努力し、相手を知ろうと関心を持つ。
相手のわからないことをわからないままにしておけること、相手の中に認められない部分がある自分を許すこと。その逆も。(自分が相手にわかってもらえないことや、相手に認めてもらえない部分を持っていることを許す)
失敗を当たり前だと捉えて、失敗をしないようにするのでなく、失敗した上でそこから進めること。
自分を開いて相手から受け取ろうとすること、自分を出して相手に届けようとすること。自分のペースを大事にすること、相手のペースを大事にすること。お互いのペースがあることをゆるっと受け入れて過ごすこと。
etcetc…
そんな場をつくるためにはどうすればいいのか?
うーん、条件を書いていくと窮屈になってくる。こういったことをルールとかにすると重いだけだ。
そんな場をつくりたいなら、これらが自然に行われるようにする必要がある。強制されるものではない。文化としてというか、そういうノリを作り出せるかどうかが大事だ。
自分の努力としてできることは何か?
1.自分を含め、場の全員を尊重し、相手に興味を持つ(≒話を聞く)。
2.相手に敬意が伝わるような行動、言葉を使おうとする。
3.相手のミスに対し寛容であり、自分のミスに対しタフであろうとする。
4.対話を続けようとする。AかBでなく、一緒にCを作るような姿勢。
というところだと思うが、「そんな『場』」を作るとなると、どうすればいいのか。
体現者がいることは重要なポイントだろう。そういう存在をリーダーと呼ぶのかもしれない。コミュニティの中に素養を示せる人がいて、その人がそのような仕方で前に進んでいくことで、ノリ、空気が築かれていくハズだ。逆に素養がある人が止まっていてはそれは生まれない。進み続けることだ。その道の上で、楽しみも痛みも生まれ、物語ができていく。それが文化になる。
あらためて問う。「心理的な安全性のある場をつくるにはどうすればいい?」
今日の結論は、勇気を持って「自分を出し続けること」だ。
自己主張をゴリ押すということではない。「その場で、そのように在り続ける」という感じ。自分を見つめることや受け入れること、相手を理解しようとすることなどのキーとなる態度を踏まえた上で、自分を出していく。引っ込んでいては、黙っていては、場は形成されない。
これは発見だ。「心理的安全性のある場を作るには、『自分を出し続ける』こと」なんて聞いたことがない(当たり前だからかもしれんが)。正解かどうかどうかはおいておいて、自分なりにしっくり来る考えを出せたことがうれしい。これでまた進む活力が生まれた。
✑75分|2200文字