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上司の一言・・を実践した結果、私の人生が大きく変わり、明るい未来を見据える事が出来ているのは間違い無い。


バイオ分野の研究者として社会参加した

私は、大学で環境工学を学んだのだが
就職先に選んだのは食品会社だった。
先生や同級生は「なんで?食品会社?」
という感じ・・・。
だが私は「食」、特に食べることに興味が
あったので、迷うこと無く自ら願書を
提出して比較的大手の食品会社へ
就職した。

工場に配属されて2年が経った時、
国内留学生に選ばれてバイオ分野の研究を
始めることになった。

2年の留学を終えて会社に戻ってからは、
研究所内のバイオ分野に配属された。
会社にはそれまでバイオ分野は
存在しなかったので私のために出来たような
分野だった。

研究テーマは研究所のトップである
研究所長から与えられ、私は日々研究業務に
精を出していた。

若き課長職としてマネジメントを
任せられる

それから4年が経った30歳になった頃、
バイオ分野が一つの課として認められて
私はその責任者となった。
その頃には、正社員のメンバーが3名、
定時社員が1名となっていた。

30歳で課長職は、かなり若い課長となる。
私は張り切って管理職としての役割を
果たそうと、
毎日の朝礼・終礼を欠かさず、
毎週2回の会議を開催し、
メンバーの出退勤管理に精を出した。
同時に私も課の一員として研究業務にも
メンバーに負けまいと頑張った。

賞与査定面談での本部長とのやり取り

バイオ分野のリーダー職に就いてから
半年が過ぎた頃、賞与査定の面談があった。
私の面談相手は、
私の直属の上司である研究所長の上司である
T開発本部長であった。
T氏の専門分野は、工業所有権であり、
実際の研究実務とは無縁の方だったが、
若くして本部長になり会社の未来を担う
ホープとして注目されていた。

だから・・というわけでも無いが、
このT本部長にアピールして少しでも良く
認めてもらおうと面談の前から決めていた。

面談に際しては、自信に満ち溢れる口調と
態度で、
手がけている研究テーマの遂行状況を
中心に説明しながら、私のマネジメントで
我がチームは一体化している事、
メンバーの出退勤管理も完全であること・・
等、私のマネジメント能力をアピールした。

暫しの沈黙がT氏と私の間に流れた後、
T氏がおもむろに口を開いた。

「都坂さんは今後、マネジメントでいくの?
それともプレイヤーでいくの?」

私は答えた。
「マネジメントは、しっかりやっています。
更にはマネジメントをやりながら
メンバーに負けないように
研究の仕事もしているつもりです。
言ってみればマネジメント&プレイヤー
といったところでしょうか・・。」

また暫しの沈黙の後、上司が口を開いた。
「都坂さんはまだ若いから直ぐ決め無くても
良いんだが、出来れば早めにどちらの人生を
歩んでいくかは決めた方が良いと思うよ。」

「ご助言ありがとうございます。
私としてはマネジメントの道が
シックリくるかな、と考えています。」
私は即答した。

リーダー職に就いてからの半年に渡って
しっかりとマネジメントの道を
歩み始めている事を認めて欲しかった。

T本部長は私の気持ちを見抜いたのだろう。
また暫しの間を置いてからT氏が
少し微笑みながら口を開いた。

「私は、マネジメント職に長く就いているが
私なりに行き着いた真のマネジメントとは、
仕事を手放す勇気を持つこと、なんだ。」

私はその言葉の意味が分からぬまま、
ありがとうございました、という言葉を残し
その面談を終えた。

上司からの一言・・の実践

その後ずっと私の頭の中にはT氏からの
言葉、「仕事を手放す」が存在していた。
面談後、T本部長の言葉、
「仕事を手放す」・・の意味を考えていた。

マネジメントとは、、、
上司自ら仕事遂行上の指示を出して、
部下の業務管理をしながら
業務の進捗をチェックし、
自ら先頭に立って仕事を行い、
都度、部下へ指導を行って全体の目標必達を
目指していく・・・
ものだと考え、実際にその通りに
マネジメントをしてきたつもりだった。

でも、面談の最後にT本部長が言った一言は
私が考えて実践していたマネジメントとは
真逆のモノだった。
T本部長は、「仕事を手放す」ことを実践
しているのだろう。

私は私の能力や考えの範疇で部下に指示を
出していた。
部下は私の手足であり、私の思い通りに
動いてもらう、と心の何処かで思っていた。
毎日、出退勤管理をし、朝礼と夕礼を
欠かさず、それがチームをまとめていると
考えていた。
私自ら模範的な出退勤を実践し、私自ら
部下に負けじと研究業務を実践していた。

私は面談から2日後に、今までのやり方の
変更を部下に伝えた。
仕事を手放す・・・事を実践するために。

私は私が抱えていたテーマを部下に展開し、
各人のテーマの明確化を行い、
その進捗は毎月1回の定例打ち合わせの
場面で確認し合うこと、
テーマ遂行に当たっては各人の構想に
任せること、
出退勤管理は、研究所の業務担当と
直接行うこと、
私は、未来を見据えた情報収集や
共同研究先の選定などに徹する・・・

この決断以来、私をはじめ部下達の意識が
変わったように思う。
私は時間の許す限り、
学会やセミナーなどに出て、
多くの大学や企業と出会うことができ、
共同研究という形で、バイオ分野での研究を
どんどん進めることが出来るようになった。

仕事を手放すことによって、
私がバイオ分野責任者となってから、
その会社を辞めるまでの約15年間で、
バイオ分野では、ほぼ無名な会社を
バイオ分野で知らぬ人が無い位に出来たと
確信している。

仕事を手放すことによって、
在籍中に、博士号を取得することができた。
私が取得した以降、メンバーから
2人の博士号取得者を生み出すことができた。

40歳で会社を退職し、独立してからも、
仕事を手放すことを実践してきた。
仕事を手放すことによって、
社員一人一人が自らの力で目標達成に
向かう体質の会社となっている。
仕事を手放すことによって、
最先端の研究機関との共同研究が出来て
未来を明るくしている。
仕事を手放すことによって、
生産工場を自ら運営することが出来ている。
仕事を手放すことによって、
販売チャネルは多岐に渡る事が出来ている。

私に残された時間は少なくなってきているが
幹部社員には、機会ある毎に、
「マネジメントとは仕事を手放すことである」
と言う事にしている。

あの時の上司の一言が、確実に私の人生を
変えてくれて、
更には今なお明るい未来を目指す事が
出来ているのは、間違い無い。

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