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受け取る器

水は上から隙間なく流れるように、神様のご守護も
全身にくまなく流れ、生命をお与え下さっている。

それはすべての人に平等に、誰一人与えられない人はいない。

けれど、
その受け止める器がないと、その理は流れてしまう。

受ける、ということは、本当に大切なことです。

ご守護とわかっていたら、受け止めることができる
しかし、
目の前に受け入れたくないことが現れると、人は
逃れたい、見たくない、関わりたくない…
と誰しも思う。

親神様は、人間に悪いことを与えているのではなく、
人間の方で悪いことが起きたと、勝手に判断しているのです。

親神様のお心は、常に人間をたすけたい親なのですから、
悪いことと思うことでも、
本当はそれを乗り越えてこそ、器の大きな人間になれること、
いわゆる一人一人の成人のためであるが故の親心で起こってきていることなのです。

それは器が大きいから、受けることができるのではなく、
受けるからこそ、器が大きくなっていくのだと思います。

だから、それはちょっと無理、というようなことを頼まれたとすれば、
神様がそれだけの器にしてやろう、と言って試されているのと同じで、
できるできないよりも、受けるか受けないかに依るのだと思います。

親から守ってもらえる、応援してもらえる元は、
日々、その理が受け止められるように器を大きくするための
「徳」を積むことなんですね。

親に心をつなぐ、親に喜んでもらう理づくりを心掛けて通らせていただきたいと思います。


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