苦しみから解放される生き方とは
最近ちょっと思ったことを綴ります。
おつとめで願うことは大切です。
その願うこととは、
自分のこと、わが子のことを
願うのではなく、
人のたすかりを願うこと。
その誠の心が、
いづれ自分がたすかる理に繋がると教えていただきます…。
おやさまは、
”人たすけて我が身たすかる”
とおっしゃった。
なんとか
今の現状をたすけていただきたいからおつとめをする、という人もいると思います。
それは間違っていないかも知れない。
けれども
それは自分を
たすけてもらいたいからするという考え方でなく、
おつとめをさせていただき
心のほこりを払う努力をするから
結果、自分の心を
たすけていただけるという順序
があるのではないかと思う。
いつの時も先にすべきは人のことなのだ。
今起こっている現実をなんとかしたい、というのは自分の思いであって、神様の思いではない。
なんとかしたいというのは、
自分の思い通りにしたい、
自分の思いを通したいから起こる
我が身が中心の心です。
今起こってきた現実は、よくよく考えると
神様がさせたことです。
それを自分の思い通りにすることは、
おそらく無理でしょう。
人間は、
心の持ち方ひとつで
苦しんだり、
辛い思いをしたり、
長い間しんどい気持ちを
持ち続けなければいけないことがあります。
それは、
「自分」というものを
強く持っているからだと思うのです。
人間は
皆、自分が正しいと思って生きています。
自分中心で、
自分を捨てられない、
人の意見を聞き入れない、
自分の思いが強く、
思いが通らないと非難するなど
こうあるべきとか、
こうでなければと思えば思うほど、
そうならないことで、
ますます自分の心を追い込み、
苦しむことになります。
そして、
過去に縛られている人も
苦しみから解放されないと思います。
あの時、こうしとけばよかった、
とか
行かなければ起こらなかった、
とか。
過ぎ去ったことに囚われていては、前に進めません。
しようと思うことも
なかなかその気になれないものです。
過ぎてしまったことは、
変えることができないし、
どうすることもできないばかりでなく…
人に対して
恨みごとをずっと
思い続けて生きなければならない
固執するほど
人生は良くはなっていかないと思います。
私は、
この世の諸悪の根源は、
我と執着だと思うのです
ホントかな…💦
自分の思いが強いほど、
そしてこだわりから離れられない、
忘れるべきものを忘れないことほど
自分を苦しめるのだと思います。
人間は、
自分のこと、
我が子のこと、
家族のことにしか目がいかなくなると、
どんどん心が狭くなり、
自分の思いは変えたくない、
どうやって人の心を変えれるか
ばかりを考えてしまいます。
我が身思案の心が強くなって、
他人のことまで気遣う余裕がなくなっていき、
人のことなどどうでもいいという心になります。
これはおやさまが仰った、
人を助けてほしい、
人の喜ぶことをしてほしい、
人の役に立ってほしいという思いと
逆の心です。
ですから、
内に内に心を向けるのではなく、
外へ外へ心を向ける、
大切なことは
自分ではなく、
人に対して心を遣うことが
親神様、おやさまの
思いだと得心すること。
おやの思いに近づくこと。
そのような心になりたいものですね。