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二度寝

ギリシャ神話に登場する、アテナイ王テセウス。
クレタ島の怪物、ミノタウロスを退治した英雄だ。
そのときの冒険でテセウスが乗っていた船を、アテナイの人々は記念に保存することにした。
この船には30本の櫂があり、長い年月の間に朽ちていくそれらは、少しずつ新しい木材に置き換えられていった。
もしも、この船の木材が全て新しい木材に置き換えられたとき、その船は元の船と同じものと言えるだろうか?

・・・・・・

ある日、気が付くと私は古代アテナイにいた。

ぶらぶらと街中を歩いていると、一際大きな存在感を放つ一隻の木造船を見つけた。その周りにいるアテナイの人々が話しかけてくる。

「この船は、アテナイの大英雄テセウスが、クレタ島のミノタウロスを退治した冒険で乗った船さ。」

それを聞いた私が、「では、この船は当時テセウスが乗っていた船と同じものなのですか?」と尋ねると、

「そうだとも、当時の船を図面に忠実に修繕しているからね。今すぐクレタ島まで航海することだってできる。紛れもなく同じものさ。」

と答える人もいれば、

「いいや、度重なる修繕で元の部品はすっかり新しい部品に取り換えられてしまったからね。それにこの船は一度も航海に出たことがない。別物さ。」

と答える人もいる。

そこで続けて私が、「では、この船は『テセウスの船』なのですか?」と尋ねると、

アテナイの人々は一瞬顔を見合わせた後、口を揃えて何かを答えようとして、――。

・・・・・・

目が覚めたとき、私はアテナイの人々が何と答えようとしていたのか、その確信があった。

「「もちろん、この船は『テセウスの船』だとも!」」

きっとそう答えたに違いない。

だってそうだろう、彼らは『テセウスの船』を保存していたのだから。

英雄テセウスの活躍を記念する象徴としての『テセウスの船』を。

その船は、テセウス当人がクレタ島への冒険で乗り込んだ『テセウスの船』とは別物だろう。

それでもアテナイの人々にとっては、紛れもなく『テセウスの船』なのだ。

・・・・・・

このパラドックスを人間で例えようとすると話がややこしくなる。船は自我を持たないが、人間には自我があるからだ。

自己を認識できる限り、例えその構成要素がどう変わろうとも自分は自分だ。

しかしながら、人間が常に自我を保ち続けられるかというとそうでもない。

私が経験した限り、睡眠中の人間は自我を持たない(自我が無いのに経験したというのもおかしな話だ)。寝ている間の自分を認識できるなら、妙な寝相で寝違えることもないだろう。

このとき、およそ自我と呼ばれるものがどうなっているのかは知る由もない。

電気回路のようにオンオフを切り替えているのか、あるいは古い自我が棄てられて新しい自我が生まれているのか。睡眠中に自我を保ち続けられる人がいるなら、是非教えて欲しいものだ。

また、これは未体験の話なので憶測になるが、死んだ人間は自我を持たないのではないだろうか。

自我の根源がどこにあるのかはわからないが、骨だけになってバラバラにされても保てるものではないように思える。まあ、仮に死後に自我があったとしても動くことも喋ることもできないのでは伝えようがないのだが。

眠っている人間、または死んでいる人間は、自我が無いという点で『テセウスの船』に近い状態であると言える。

自ら己を認識できないならば、他者に認識してもらうよりほかにない。

本来の役割を終え別物になっても、アテナイの人々によって意味を与えられたあの船のように。

自分を認識してくれる誰かがいる限り、自分という定義は保たれる。

・・・・・・

別の日、気が付くと私は再びアテナイにいた。

あの船を探して歩を進めていくと、そこにはすっかり朽ち果てたオブジェがあった。

かつての威容は見る影もなく、ぼろぼろになった木材が辛うじて船の形をしていることがわかる。

そこに通り掛かった人が話しかけてくる。

「その船かい?大昔からそこにあるらしいんだが、誰が何のために残したのかわからなくてね。撤去しようにも手間がかかるし、苦情も出ていないから放置されているんだ。」

私が「この船は『テセウスの船』ではないのですか?」と尋ねると、

「なんだいそれは?……。へえ、そんな言い伝えがあったのか。知らなかったなあ。」

そう言って、彼は何の感慨も無さそうな様子で立ち去っていく。

街を行き交う誰一人として、その朽ち果てたオブジェに目もくれない。

かつて『テセウスの船』だったそれは、今ではただの寄せ集められた木材に過ぎない。

・・・・・・

目が覚めたとき、私は私だった。

眠りに落ちてから目を覚ますまでの間、私は何だったのだろうか。

いずれ永遠に目覚めなくなった後、私は何になるのだろうか。

そんな無意味な思考はすぐに立ち消え、長針と短針の角度を確認した私は、まだ残っていた眠気に身を任せた。