音楽家と歴史・社会 -29: 平均律と絶対音感(音階の歴史その2)
主にクラシック音楽に係る歴史、社会等について、書いています。
前回に引き続き、音楽理論の歴史とその神秘に迫ります。
私の人生において、絶対音感の能力を有していると主張した人物は二人だけ。仕事を通じて友人となったので、歌や楽器の演奏はお聴きしたことはないが、極めて有能で魅力的な方々である。
ただ、その絶対音感が、(1)A音(ラ)の440Hzを正確に聴き分ける能力、(2)任意の音を聴いて、オクターブのどの音(ドレミ・・・)かを当てる能力なのか、残念ながら、詳しく聞く機会がなかった。
本稿では、音階の歴史を辿るとともに、絶対音感の意味についても考えてみたい。
紀元前5~6世紀で成立した「ピタゴラス音律」は、完全五度の調律を繰り返すもので、単一の旋律、すなわちメロディを奏でるのに適していた。しかし、中世ヨーロッパの教会音楽において、三度の音程が多用されるようになると、ピタゴラス音律では「ド」と「ミ」の周波数の比率が64対81となり、「ド」と「ソ」のように美しく共鳴しない(周波数の比率2対3)。このため、「ド」と「ミ」と「ソ」の周波数の比率を4対5対6にしたのが「純正律」である。
「純正律」では、基本となる音(主音)を「ド」とすると「ドミソ」、「ソシレ」及び「ファラド」の和音は、構成する3つの音すべての周波数の比率が4対5対6になるので、聞き手に取って心地よい。しかし、大きな問題があった。それは、「ド」を主音とするハ長調、「ソ」を主音とするト長調及び「ファ」を主音とするヘ長調でしか、その効果が得られないのだ。
これらの調性以外の曲を演奏するためには、音を変えなければならない。ヴァイオリンのようなフレットがない弦楽器であれば、弦を押さえる指の位置を微妙に変えれば、全ての調に対応できるが、チェンバロなど鍵盤楽器では、その都度、調律が必要となる。
16世紀以降、曲の中で様々な転調が行われるようになると、うなり(ウルフトーン)が生じる問題の解決が求められた。それが、18世紀末にドイツで普及し始めた「平均律」である。
鍵盤のオクターブを7つの白鍵と5つの黒鍵で構成し、音程を均等に12等分した。その比率は、2の12乗根である"1.059463"である。
「平均律」は「純正律」に比べると、三度や五度の和音は濁って聴こえるが、その濁りはとても小さく、かつ、全ての調において同じなので、楽器製作者と音楽家の間で妥協できるものとなった。
ところで、「平均律」という用語が日本で普及したのは、ピアノ学習の定番教材であるバッハの「平均律クラヴィーア曲集」によると断言してよいだろう。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)は、ドイツの作曲家・オルガニストであり、日本の音楽教育では「音楽の父」と称された。
バッハは、「平均律クラヴィーア曲集」の1巻(1722年)及び2巻(1742年)において、それぞれ24の全ての調による前奏曲とフーガを作曲した。原題は"Das Wohltemperierte Klavier"であり、鍵盤楽器があらゆる調で演奏可能となるよう「よく調整された(well-tempered)」という意味らしい。(Wikipediaから抜粋)
最近、和訳の「平均律・・・」は誤訳であると主張されている。史実として「平均律」の鍵盤楽器が普及し始めたのは、18世紀末らしいので、バッハが複雑な数学を考察していた事実はなかっただろう。
現代のピアノは、「平均律」で調律されているが、電子楽器のうち高級なものにおいては、「ピタゴラス音律」や「純正律」の音階に変更できる設定がある。
さて、話を絶対音感に戻す。
もし、(2)任意の音を聴いて、オクターブのどの音(ドレミ・・・)かを当てる能力があるとして、幼少期にピアノだけを聴いて訓練していたすれば、濁って聴こえる三度や五度の和音が身についている可能性がある。
対して、ヴァイオリンなど自分で音程を作る弦楽器奏者は、「平均律」の絶対音感にはなりにくいだろう。
また、(1) A音(ラ)の440Hzを正確に聴き分ける能力については、本稿の趣旨から外れるが、地域によって、オーケストラのピッチが異なることから、あまり意味がないと考えられる。NHK交響楽団のチューニング音はA音(ラ)は442Hz。欧米のオーケストラでは444Hzも普通となっている。440Hzにこだわってしまうと、オーケストラで演奏するのは、気持ちが悪くなるのではないだろうか。
最後に、私自身はどうか。今朝、ピアノで試してみたら、歌った「ド」は半音以上鍵盤の「ド」より高かった。