善から分泌される悪。
福岡・博多湾を臨む米軍ハウスに暮らす哲学者、古賀徹さん。
理性がときに暴力性を帯びる問題を、日本社会の事象や自身の人生から考察した「理性の暴力 日本社会の病理学」の著者です。
古賀さんは、「多数派の人たちが『これが善だ』と思っているところから『悪』は汗のように分泌されてくる」といいます。
「労働も、生産も、医療も、防災も、防衛も、ありとあらゆるものが高度に理性化されている。にもかかわらずそこには意図せざる暴力がなぜか湧き出てくるのである」(『理性の暴力』から)
自著と語りを行きつ戻りつしながら、古賀さんの言う、理性と暴力の関係を考えます。
暴力とは一時の感情において、もしくは自分の利益のみを考慮して、他者の精神や身体を傷つける行為であり、その暴力を抑止して平和と共存を作り出すものが理性である。(中略)
しかしながら今日、こうした枠組みは疑問に曝されている。なぜなら学が発達し、法が整備され、教育が普及し、社会が合理的に組織されればされるほど、まさにその合理性を通じてあらたな暴力が胚胎し、人々がそれに苦しめられているからである。(『理性の暴力』 序章より)
古賀:哲学が、一番大事にしているのは「真理」です。「真理」を僕なりに説明すると、「在るものを『在るもの』として示すこと。在るのに無いフリをしないこと」だと思っています。とはいえそこに「在るもの」に気づくことができるのは、自分の思い込みが壊れることによるのです。「あ、そうだったのか!」とそれまでの思い込みが壊れることで、はじめてそこに「在るもの」が見えてくる。
古賀:哲学者は哲学書を読むのが仕事ですが、外界の常識に囚われて「こういうものだ」という思い込みの中で生きている間は、テキストはまったく読めません。哲学書が難しいのはそのせいなのです。言葉の意味も論の運びもそのテキスト独自のものです。外界に対応してはいますが、しかしそこから切り離された小宇宙を形成しています。それでもそれにかじりついているうちに「もしかしたらこの哲学者の言葉は、こういうことを言っているんじゃないか」とうっすら分かるようになってくる。
そしてあるとき、自分の中に根を張っていた常識が突然崩れ、テキストが言わんとしていることが、洪水のようにドドーッと頭に流れ込んできて、モノの見方が完全に書き換えられる瞬間がやってきます。
ーーなかなかにハッピーな瞬間ですね。
古賀: ええ、なかなかにハッピーでスリリングな体験です。ただ、ある哲学者の言っていたことが分かったら、今度は分かっていたつもりの別の哲学者の言葉がどうにも腑に落ちなくなる…まあ、その繰り返しです。
一方、哲学とともによく挙げられるものに、倫理(ethics)がありますが、これを分かりやすく説明すると、人間や社会を「いい状態」で存続させていくための道徳的規範 とも言えます。ただこの規範を放っておくと、そのうちやっかいなことになっていきます。
ーーというと?
古賀:「こういうことを今どき言うのはちょっとマズイんじゃないの?」「こういうのが正しいよね」といった規範が固定化していくのです。それがなぜマズイのか、そもそもそれは本当にマズイのかを自ら考えていくことをやめると、そこに枠組みの固まった、いわゆる「テンプレ倫理」が増殖していく。そのとき、「正しさ」「道徳」「倫理」といわれる善きものから「悪」が分泌されてくるのです。
――分泌、という表現をされるんですね。
古賀:そう、分泌です。ここで「分泌」という表現を使うのは、僕はとても言い得て妙だと思っているんです。多数派の人たちが「これが善だ」と思って追求しているまさにそこから、じんわり汗をかくように悪がにじみ出てくる。
そこに何かがにじみ出ているのに、「テンプレ倫理」が邪魔して、大半の人はそこに何も存在しないかのように振る舞う。まさに、「在るものを無いこと」にしてしまう。だって、そういう「正しさ」から生まれた「悪」を直視するなんて、正直めんどくさいじゃないですか。実際、1、2回見ないふりをしたところで、何が起きるわけじゃない。
でも、ずっと見ないふりを続けていると、たまった「悪」が、ある時ドーンと立ち上ってくるんですよ。それは巨大な壁のような衝撃で、ある特定の壊れやすい人を襲うのです。
ハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸さ」にも通じる話です。
※ハンナ・アーレント:ドイツの政治哲学者。ナチス幹部でユダヤ人の大量虐殺を主導する立場にあったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し「エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」(1963年)にまとめた。裁判でのアイヒマンの供述などから、アイヒマンはいわゆる、邪悪な人間などではなく、思考停止の状態で自分の任務を忠実に遂行した結果、ユダヤ人の大量殺戮を実行したのだと報告。世界中で議論が起きた。
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名づけました」
「ソクラテスやプラトン以来、私たちは“思考”をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例が無いほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました」
「思考の風がもたらすのは知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても考え抜くことで破滅に至らぬよう」(映画「ハンナ・アーレント」(字幕版)のシーンから)
古賀:だから哲学が真理に忠実であるかぎりにおいては、「そこに何か在るよね」とあえて指摘する必要がある。これが批判です。思考するというのは、「当たり前」を自ら疑う、自分が前提にしているものを根本から疑うということ。とてもめんどくさい行為だけれど、でも哲学の哲学たるゆえんはそこにあります。
生きるために、人は様々なことを構造化していく。安全な場所を作り、そこに身を置きたい。「完成している」と思われている空間、できあがったと思われている方法論に対し、それでもそれを乗り越えていく。そうしたダイナミズムを失っていくと、人間も自然も窒息していく。
組み上げられた構造で固まるのではなく、考えることでそこをまた越えていく、それはある種生物としての「本能」じゃないか、と思うんですよね。そうした本能に忠実であることが哲学なのです。
自己を解放する手段としての理性それ自体が自己を拘束する箍(たが)へと転化するとき、(中略)哲学は自ら理性としてその理性自身を省察するものとなる。理性の自己反省によって哲学はもろもろの理性的建築物から距離を保ち、それを見抜き、もう一度自由と自立を得ようとする。つまり哲学の伝統のうちには、脱呪縛を志向するおのれ自身がつねにそれ自身呪縛へと転化することの自覚、それへの不断の警戒が存していたのである。(『理性の暴力』終章より)
「電波少年」が哲学徒になるまで
古賀:僕は、小学生の時にアマチュア無線の免許を取って、新聞配達のアルバイトでためたお金でパソコンを買うような少年で、熊本の電波高等専門学校(当時)で電子工学を学んでいました。いずれ外洋航路で無線機を扱う仕事をしたいと思っていたような僕が、なぜ哲学の道に進んだのか。それは、高専の図書館で偶然「水俣」の本と出合ったのがきっかけでした。
石牟礼道子の『苦海浄土』、ユージン・スミス、アイリーン・スミスの『写真集 水俣』。とりわけ宇井純の『公害原論』に衝撃を受けました。
下水道を専門に研究していた宇井は、水俣病に衝撃を受け、大学の専門知が孕む問題性を指摘する論考を発表しました。
東大で21年間、「助手」のまますえ置かれながら、1970年から東大で仲間たちと市民向けの公開自主講座「公害原論」を開き、科学や技術の存在意義を問い直したんですね。自身が所属する東大すらも「建物と費用を国家から与えられ、国家有用の人材を教育すべく設立された国立大学が、国家を支える民衆を抑圧・差別する道具となって来た典型」と痛烈に批判しました。
「公害の被害者と語るときしばしば問われるものは、現在の科学技術に対する不信であり、憎悪である。衛生工学の研究者としてこの問いを受けるたびに、われわれが学んで来た科学技術が、企業の側からは生産と利潤のためのものであり、学生にとっては立身出世のためのものにすぎないことを痛感した」(宇井純 『公害原論』「開講のことば」から)
古賀:この『公害原論』を読んで水俣に関心がわき、高専の教師たちに思い切って相談しました。すると化学、国文学や英文学の教師たちも、それぞれの問題意識を率直に話してくれるようになりました。化学の先生は、自分の専門への問題意識から、じつは水俣に通っていたのです。教師たちも、それまで教壇で見せてきた姿とは違う何かを隠し持っていました。自分がテンプレから脱するとき、世界もまた違った「顔」を見せはじめるのです。
水俣を知ったことにより、それまでオーディオや無線やパソコンが大好きだった私は技術への生き生きした素朴な歓びに翳りを抱き、ひいては自分自身に深い罪責感を感じるようになった。(中略)科学技術は、何かを覆い隠して成立している。その蓋を私は開こうとしていた。(『理性の暴力』第四章より)
古賀:結局、18歳で高専を中退し「学問や技術にまつわる問題を考えるなら、哲学だろう」というイメージだけを抱え、北海道大の哲学科に進みました。
とはいえ、思想の研究も実情はタコツボ化しています。中世哲学の研究者は近代哲学を知らず、近代哲学の研究者は中世哲学に関心がない。哲学と倫理学と美学はそれぞれ研究室が別で、ほとんど交流もない。隣り合っているのに、互いにほとんど触れないまま研究が進むのです。
脱呪縛がそのまま呪縛化するというこの矛盾は、日本語における哲学教育、もしくは哲学研究にそのまま妥当する。(中略)はじめて哲学書に触れたときには世界が開かれていく胸躍るような解放感にとらわれ、そのまま哲学を専攻することを決意するも、ある思想家研究を自分の専門と決めてそれに追従するようになると、いつしかそのテクストの洞窟に閉じ込められる。(『理性の暴力』終章より)
古賀:大学2年のとき、泊原発(北海道)の試運転がきっかけで、原発反対運動にのめり込みました。
この問題に出あったころ、この分野の研究者に話を聞きに行きました。安全性を強調し、運転に反対する人たちのことを「感情的に騒いでいるだけだ」と徹底的にバカにするわけです。「ああ、宇井純が批判した水俣病をめぐる大学の構造と同じだ」と気づきました。原発は正義からにじみ出た悪で真っ黒でした。
それこそ寝食を忘れて20代の時間の大半を運動に投じました。それでもやっぱり運動は負けるんです。盛り上がる時は盛り上がっても、いつしか退却戦となり、原発は動き、参加した人も食べていけないから仕事に就く。酪農家、漁師、医師、弁護士、そのまま活動家になった人もいました。哲学科に進んだもののあまり勉強しなくなっていた僕も大学院に戻りました。
運動は解体していきましたが、かかわった人たちはそれぞれ「この経験を生かして自分が生きていくにはどうしたらいいか」と考えるわけです。僕といえば、「ものを知る」とはそもそもどういうことで、何のために知るのかということを運動の経験から改めて考えるようになりました。技術と倫理の問題をもう一度、哲学によって問い続けようと。
指導教官の勧めで博士課程で改めて哲学を学び、30歳のとき「技術の人間化」を理念に掲げていた九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学研究院)の教員になりました。活動家一直線だったのに、かつて自分が批判の矛先を向けていた国立大学の教員になってしまったわけです。
キツイからテンプレに逃げる
古賀:昨年、大学で「未来の新聞をデザインする」という授業で、『殺される側の論理』という本を取り上げました。元新聞記者の本多勝一さんが、差別する側とされる側の構造をつきつけた本です。
最初の章に「母親に殺される側の論理」について書かれています。本多さんの妹が脳性まひなのですが、当時脳性まひの子が母親に殺される事件が起きていたのです。お母さんが妹と一緒に死のうと川のそばまで行った日のことを回想しながら、母親に同情的だった当時のメディアの論調に、本多さんは異議を唱えたんですね。
我々とこの問題を話し合った福祉関係者の中にも又新聞社に寄せられた投書にも『可哀そうなお母さんを罰するべきではない。君達のやっていることはお母さんを罪に突き落とすことだ。母親に同情しなくてもよいのか』等の意見があったが、これらは全くこの“殺意の起点”を忘れた感情論であり、我々障害者に対する偏見と差別意識の現われといわなければなるまい。これが差別意識だということはピンとこないかもしれないが、それはこの差別意識が現代社会において余りにも常識化しているからである。(『殺される側の論理』母親に殺される側の論理より)
古賀:殺された脳性まひの子どもたちの、かつてたしかに「在った」はずの、だがいまはもうそこに「ない視点」に立つようジャーナリストは努力しないとダメなんだ、と本多さんはいうのです。
これは僕が哲学の世界に入るきっかけになった水俣をめぐる報道にも通じるところがあるんですね。
公害の実態を目の当たりにして「こんなヒドイことが起こってる」、「世の中に知らせなきゃいけない」と思うのは、1つの視点です。でも当事者の視点に立つという発想がなかったら、自分が職業としてやっていくための“素材”として都合よくそれを使っているに過ぎないとも言える。学問が出世の道具になるように、報道もそうなる。だからあらかじめ持っていた図式をそのまま当てはめたような記事になりかねない。
ーーここでもテンプレ化が。
古賀: そうです。テンプレ化された枠組みでも「事実」は把握できるとジャーナリストは思っている。でも自分の中に在るものをただ投影して反復しているだけです。「事実」とは無縁です。撮る自分、書く自分の中に、常に「これでいいのか?」がないと。事実の力に押されて、テンプレを壊そうと努力するとき、はじめて自分の言葉というものが出てくる、と僕は思うんです。
だから、ジャーナリストは自身がそれまで持っていた視点そのものを不可能にしていくような領域まで踏み込んでいく必要がある。それをやらないと、自己方法化、つまり取材方法や文章がテンプレ化し、ものの見方も固まっていってしまう。そして「在るもの」を在るものとして把握できなくなっていくんです。
本来のジャーナリズムは、自分が持つ視点そのものが不可能になるような自己反省、自己批判、自己解体であって、そこまで踏み込み、自分の視点が壊れていくさまをリアルに報告するところまで行かないと「事実とは何か」に到達できないと思います。
それは非常にキツイ作業です。「自分は中立的に出来事を報道しているのだ」「対立する双方の見解を載せて、判断の素材を読者に提供しているのだ」というものの言い方で、そうした作業を簡単に回避できてしまいますし。
大学の授業でも「問題を設定し、これについて論じよ」というレポートを課題に出すことがあります。すると、問題について徹底的に考えることなしに、レポートの末尾に「議論を続けていくことが大切だ」「問題への認識を深めることが第一歩だ」と新聞社説書式にはめこんだようなまとめ方をする学生がたくさんいます。「議論することが大事というのなら、いま・ここで具体的に議論しろ」と思うのですが、そう締めくくって逃げてしまうんですよ。
キツイからテンプレで逃げる。それは学生だけではなく、僕だってそうだし、学問もマスメディアもそう。ただ、マスメディアがテンプレ化することで社会や人々に与える影響には、すさまじいものがあると感じています。
ーー自分の視点が崩れる様を伝えるとは、つまり「自分の言葉で語れ」と?
古賀:そう。そうやって本来、言葉は人間の中から湧き出てくるんですよ。いまそこにあるものを伝えるために、自分のオリジナルな言葉を発さなければいけない。だけど「言葉にされたもの」なんて常に疑わしいわけです。だからさらに言葉を加えていくしかない。
テクノロジーもこの自己反省の姿勢がないと、自己方法化します。報道のテンプレ化と一緒で、自分が作った方法そのものを反復するようになっていってしまうからです。
「言論の自由」は、なぜ「自由」なのか
ーー「問いが必要」「現状に疑問を持つ」などと書かれている啓発本をよく見ます。それ自体はその通りなのですが、実行するとなるといろんな意味で「乱れ」が生じますよね。
古賀:その言い方もテンプレ化していますよね。でもやっぱりそうなんですよ。ものごとが決まりかけたときに「でもやっぱり...」と誰かが言い出すってめんどくさい。決定権のない人たちがいろいろ言っても現実は変わらないことが多い。法律でもなんでも、何かが決まっていくとき、様々な声が上がりながらも、だいたいは押し切られて決まっていく。
では声を上げても無力なのか、というと全くそんなことはない。それは確実に「効く」のです。
こんなことを最近よく考えます。「言論の自由」というけれど、なぜ「自由」なのか。責任がないからなんですよね。現実を直接変える必要がないから。現実を変えることに無力だから、好き勝手なことを言えるわけです。言うことを現実に直結させる権力者は、自分の言うことに責任を持たなければならない。となると、自由にものなんて言えなくなるわけです。これに対して、決定権を持たない人の言論の無責任さは、間接的に現実に「効く」。
ものごとの決定に直接は関わらないけれど、何かを言うことで別の可能性を「栄養」のようなかたちで養っておく。それもまた、現実をある仕方で確実に変えていくんですよ。
これを技術におきかえると、技術がものごとを現実化する力を持つとしたら、技術への批評や評論は、間接的ではありながら、そこに大きな影響を与えていく、と思うんですよね。
米軍ハウスを作り直して暮らすわけ
古賀:僕は今、米軍ハウスをリノベーションして暮らしています。この一帯は戦前、飛行場だったのですが、戦後は米軍の空軍基地(キャンプ・ハカタ)として収用されました。その周りに米兵用の家が建てられたんですね。
20年ほど、建築や造園関連の学科に所属していたのですが、建築にうんざりするようになりました。そこに創造性がないと思ったんです。有名な建築家の建物を見ても心に響かないし、むしろ圧迫を感じます。「作ってやったぜ、オレが、すごいだろ」みたいな。
「なんで建築が嫌になったんだろう」と考え続けるうち、「きっと私が何かを作る力をその建築が奪っているからだ」と思いつきました。
人は学校という職業訓練校を出たらどこかの組織の「部品」になる。そこで得た金でモノを買う。家だったら、建築家が設計したいわゆる「クリエィティブ」な家をローンで買う。でもそこで自分の創造性は全く活かされません。出来上がった家に創造的に関わることもできません。これも要するにテンプレに従って働いて、それにしたがって買っているわけです。建ったばかりの新品が一番いい状態で、建築物の中での日々の暮らしにおいて分泌されるであろう何かを「無いもの」にしている。
そもそも建築って何だろう。生きている人間が、自分の住まいを作るということはどういうことなんだろう。それを考えると、今までできあがってきた方法論が、疑問にさらされるようになる。
だから僕は「自分で(家を)ちょっとずつ作ってます」「ボロボロの家を買い、こんな感じに自分で作り直して暮らしています」と話しています。そうするといわゆる建築家はあまりいい顔をしないんですけど。
西洋の伝統は、貴族の城館や秘密警察の本部といった暴力装置を、その建築物を破壊することなしに使用目的のみを転換する。暴力的な支配者の執務室は民衆によって占拠され新しい市長の事務室となる。暴力の前線基地は平和の本拠地となる。革命の勝利はその転換を展示し現実に機能させることにより公衆に対して常に可視化されてきた。(中略)だから理性はいかにそれが腐敗し、崩れ去ろうとしたところで、自らの構築物がリノベ―トされる希望を未来に持ち越すことができる。(中略)崩壊した何かを組み替える可能性を未来に贈与することができるだろう。(『理性の暴力』終章より)
こが・とおる 九州大学大学院芸術工学研究院教授。専門は哲学。近現代の欧米圏の思想を中心に研究を進める。水俣病やハンセン病、環境破壊、全体主義、消費社会など、現実の諸課題に即して思考を続ける一方、デザインの基礎論の構築を試みる。単著に『超越論的虚構――社会理論と現象学』(情況出版、2001年)、『理性の暴力――現代日本社会の病理学』(青灯社、2014年)、『愛と貨幣の経済学――快楽の社交主義のために』(青灯社、2016年)。編著に『アート・デザインクロッシングI・II』(九州大学出版会、2005–2006年)、『デザインに哲学は必要か』(武蔵野美術大学出版局、2019年)など。
取材・文:錦光山雅子、岩本祐希子 写真:渕上千央
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