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東京オリンピックスケートボードの放送を見て素晴らしいと思ったら知って欲しいこと。

オリンピックのスケートボードやBMXで金銀銅メダル関係なく皆を讃えあう姿を「国境もなく素晴らしい」と多くの人が思うのは素晴らしいと思う。

ただ、それを「これら選手のように十代の若い世代ならではの新しい価値観で…」と世代で括るのは違う。スケートボード、BMX、サーフィン、スノーボード、MTB、モトクロスなんかは四十代だろうが五十代だろうが皆、元々そういう価値観でやってる。

世代ではなくてエクストリームスポーツ、オルタナティブスポーツがそういう価値観で成立してるものなのだ。だから世代ではない。そのことに気がついて欲しい。エクストリームスポーツの価値は自分の中の目標に”挑戦”することでありトリック、走り、滑りの”自分らしさ””個性”(この世界では「スタイル」という)の表現であり、そこに難易度の多寡は二の次三の次である。

“挑戦”というのはもう少し噛み砕くと3分前の自分にできなかったトリックが走りができるようになる、とか、そのために自分の限界をプッシュする、とか、自分の中の理想とする走り滑りを実現すべく何度でもトライする、そのような行為やプロセスそのものである。それまでジャンプできなかったヒトが、何度もトライののち初めてジャンプができた瞬間、周りで見ていた(ジャンプなんで当たり前の)上級者が一緒に喜ぶ。それは自分も通った道であり、それを見て上級者はテンションを上げ、自分なりの難しいトリックに挑戦する。

”スタイル”は音楽家や画家が同じものを演奏したり描いたりしても他の人とは違うタッチが現れるのと似てる。同じ名前の技でも腕の角度足の位置、ひねり方、ボードやバイクと身体の位置関係などなどあらゆる要素でその人らしさが出る。だから金メダリストも「あのスタイルは自分にはない。あのスタイルはカッコいい」と思うことが当たり前にある。720度った方が得点は高いかもしれないが、スローモーションのように180度だけ回した方がスタイルがあってカッコいい、ということも往々にしてある。金メダリストはたまたま”今回の採点ルールでは”得点が高かっただけである。むしろスタイルのために挑戦があるといっても過言ではない。

それがエクストリームスポーツの挑戦と価値である。だからより難易度の高い技をキメて高得点を出した金メダリストが4位の選手の”挑戦”と”スタイル”に対して賛辞を送ることができるのだ。

プライベートでプロがアマチュアに賛辞を送るのもだからこその風景であり、ライバルやプロアマ関係なく一緒に走る、一緒に滑るということも当たり前にある理由がここにある。

そして価値観が難易度だけのヒトはこれらエクストリームスポーツの上位の人間が下位の人間に賛辞を送ることを理解できない理由もここにある。

「国境もメダルの色も関係なく、スポーツの本質的で素晴らしい」と多くの人が感じてるならそれは、エクストリームスポーツの価値観を多くの人が(オリンピックという大運動会で初めて知って)素晴らしいと感じたからだ。

だから、あのシーンを世代で切るのではなくエクストリームスポーツが素晴らしいと思って欲しい。

ワタシも途中中断ありますけど(とほほ)ざっくり30年エクストリームスポーツやってますからね、これだけは言わせてもらいますw

(※Facebookでサクッと書いたものを加筆修正の上、保存のために転載)

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