感性軽視の美術鑑賞

日本で東山魁夷やローランサンなどの主題のない絵画が好まれるのは日本人が美術を感性で観ているから。しかしそれを良くないという人もいる。それは「この時代はこういう背景があって、作者の意図は…」など体系的に美術を観る人たち。ただそれでは単なる暗記であって美術的に観ているとはいえないように思う。作者の意図といってもエスパーでもない限りそれを完全に理解することは無理だし、解釈なんて人それぞれ同じではない。どうも美術評論家というのは知識偏重の頭でっかちで、美術の大切な感性という部分を軽視しているように思えてならない。

だから美術鑑賞の観点では西洋より日本の方が優れているように思う。学問としての美術というのは西洋絵画が中心の広いようで実はものすごく偏っていて狭い世界。そういう「保守性」の強い美術評論家が、西洋画家の「革命性」を称賛しているという気持ち悪さもある。そもそも「美しい」というのは感性によるものだ。そうでなければ革命もないし現代アートなんて出てこない。もしああいうのを観て「作者の意図は…」なんて説明している人がいるとしたら、それはエスパー以外の何者でもないと思う。メンタリストみたいなことをやったほうが稼げるのではないか?

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