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第43講ヨルシカ『アルジャーノン』考察〜「貴方」の幸せを願う僕の正体と僕が思う幸せを読み解く〜

ドラマ『夕暮れに、手をつなぐ』の主題歌としてリリースされたヨルシカのアルジャーノン。
曲単体としても良い曲なのはもちろんですが、小説『アルジャーノンに花束を』を踏まえると一層味わい深くなるなと思ったので、今回はこの曲について掘り下げてみようと思います。

歌詞の中に出てくる『アルジャーノンに花束を』のオマージュ


僕がこの曲を聴いて『アルジャーノンに花束を』と結びついたのは、タイトルというよりは歌詞の中に出てくる「長い迷路」というフレーズからでした。
あの小説における「迷路」をモチーフに歌詞を組み立てるのが素敵だなあと。


小説『アルジャーノンに花束を』は発達障害に悩むチャーリイという男の子が主人公の物語なのですが、その中に動物実験で脳手術を受けたネズミのアルジャーノンが登場します。
脳手術を受けたネズミのアルジャーノンは非常に高い知能を手にし、チャーリイとどちらが早く迷路をゴールするかという実験ではチャーリイよりもずっと早くゴールをしてしまいます。
それをきっかけに「僕も賢くなりたい」と望むチャーリイ。
そんなチャーリイはひょんなことから同じ手術を受け、発達障害から一気に超人的な知能を手にします。
突然人並み以上の知能を手にしたチャーリイは、その知性と思考力で様々な結果を出す反面、精神面は幼いままで、周囲と様々な軋轢を産んでしまい、そのことに悩みます。
そして、ある程度時が立った時、脳手術を受けたネズミのアルジャーノンの知能が急激に低下し、元よりも下がり、果ては死んでしまいました。
その時には自分に手術を施してくれた研究者たちよりも高い知能を得ていたチャーリイ。
彼は自分自身の知能でもって、アルジャーノンと同じ道を自分も辿ることを悟ります。
なんとか解決を試みるもその知性に匹敵する者は他におらず、解決策がないことが分かるだけ。
自分の運命を悟ったチャーリイは自分とアルジャーノンの症状を後世に伝えるために自分の症状を経過報告として手記に残します。
『アルジャーノンに花束を』はその経過報告という体裁で展開する物語。
徐々に失われる知性の中でチャーリイが残す手記の最後にタイトルの意味は分かるのですが、そこを書いてしまうと壮大なネタバレになるので、今回はここまで。

以上が非常にざっくり書いた『アルジャーノンに花束を』のあらすじです。
迷路というのは脳手術で一時的な知能を手にしたアルジャーノンと知能が欲しいと望んだチャーリイを表す象徴的なフレーズな訳です。

「ゆっくり」を肯定する様々なフレーズ

ヨルシカの『アルジャーノン』には、ゆっくりとした時間の経過を示す描写がいくつか登場します。
「風に流れる雲」「少しずつ膨らむパン」「育っていく大きな木」「あくびを一つ」etc...
さらには歌詞中に全部で12回出てくる「ゆっくり」という言葉。
明らかに「ゆっくり」という部分を強調したい歌詞構成となっています。
これは『アルジャーノンに花束を』に当てはまるなら、一時的な知能を手にしたチャーリイとアルジャーノンとの対比と受け止めることができます。
彼らは一時的な知能を手にした反面周囲との折衝を繰り返し(あらすじでは省きましたが、ネズミのアルジャーノンもその高すぎる知能が理由で仲間から阻害されていました)、前以下の知能になり、その果てに死が待っていた。
それはある種才能を手にして生き「急いだ」象徴とも捉えることができます。
人並み以上の知性を得て、それゆえに苦しみ、自分の死を受け入れて晩年を過ごしたチャーリイとアルジャーノン。
その姿と照らせば、決して能力はなくても(仮に人並み以下でも)、ゆっくりと必死に一歩一歩もがき、それでも希望を失わない姿こそかっこいい。
そんな視点が『アルジャーノン』という曲には流れている気がするのです。

作品に出てくる「貴方」と「僕」とその思い

以上を踏まえた上で考えたいのが作中に出てくる人称代名詞についてです。
この歌詞には「貴方」と「僕」という歌詞が出てきます。
この歌単体で見れば「貴方」は僕に世界の楽しさを教えてくれた人、「僕」はそのおかげで前を向けたと受け止めることもできるのですが、それではどこか不自然な点が生まれてしまいます。
「貴方」が「僕」にかけがえのない世界をくれた人ととってしまうと、貴方にゆっくりとした変化を求めることや、貴方の成長をどこか客観的に見守るような「僕」の視点の整合性がとれません。
そういう部分を踏まえて、僕が提唱したい仮説は、この作品の「僕」は小説『アルジャーノンに花束を』に出てきたチャーリイとアルジャーノンなのではないかという読み方です。
彼らは知能を得たおかげで様々な世界を知れたと同時に、それゆえに生き急いで自分の最後を受け入れていきました。
そんな二人が振り返ってみたら、何も知らず、ゆっくりと、でも決して諦めずに困難にぶつかる姿こそ最も眩しく尊いものに見えるのではないかと思うのです。
そしてその視点から「僕たちと同じ轍を踏まないように」「ゆっくりと人生を踏み締めて」と語りかけてくれる。
そんな視点で描かれているのが、このヨルシカの『アルジャーノン』なのかなと。
作品へのオマージュを仮定した時、僕にはそんな風な曲に聞こえました。
抽象的だからこそ多様な解釈が可能なこの曲。
みなさんはどう受け止めますか?

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