効率的に愛されたいだろうか
ドキリとするそんな問いを、辻信一さんが書いています。
効率やお金や仕事って、優先順位のナンバーワンを奪いやすい。
本当に大切なときが来たら大切なものを後回ししないつもりでも
効率やお金や仕事をしばらく優先し続けた後に、その判断は可能だろうか。
毎日たくさん巡らす思考の、自分に与える影響は大きい気がして
気をつけていたいところです🔍
毎日そうやって考えていれば、そういう自分になっていく。
お茶を片手に灯りを眺めてボーっとした夜。それが良かった🌙
ふだんは何か考えてスキマを埋めようとしちゃいがち。
畑も仕事も図書館も、何しても今日が過ぎ去る気がした朝。
「なんでもない時間」を、もう少し長くとりたい気分🍵
ぜんぶ後回ししてコーヒーを用意。陽のあたる縁側でエッセイを読む。
何もしなくて穏やかで、「ああ、良い時間を過ごしたな」と思う。
それで幸せなのだから、効率的に生きたかったわけじゃないのです。
そもそも効率的に生きたかったのだったか。
納得感があって穏やかに幸福に暮らせたら十分で、効率も非効率もなかったんじゃないか。
なのに遅さやムダを敵視して、何かしないともったいなく感じる罠🕒
スキマ時間を埋めていけば忙しくなるに決まってるのに。
色々やりたい。成長したい。そうは思っても「忙しくなりたかった」人はいないんじゃないか。
繁盛したいという願いはあっても「多忙になりたい」とは願わないんじゃないか。
効率的に生きたいだなんて、実は望んでいなかったんじゃないか。
望まないものを追いかけて、幸せから遠ざかる🏃💨
実は欲しくなかったものを、欲しいと思い込まされている可能性があります👓
情報社会の罠として、そういうことが起きそうです。
音楽をかけながら洗濯ものを干すとゴキゲンです👕
だから「同時進行が良い!(・∀・)!!」とすべてに当てはめることもない。
読書しながらご飯を食べたら、僕ならどちらも気がそぞろ📖🍚
それは欲するところじゃない。
自分の欲をちゃんと見つけるのが大事で、まずそこからな気がします。
ほど良いところを見つけたくて
大きく、はやく、もっと稼げ…という社会の力学から距離をとって
自分の小ささを保っていたいと思うのです🏡
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毎日の日記も続けて3年になりました。暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…
それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。
日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。
大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。
返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。
今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。
よければお付き合いくださいませ。