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【オリーブオイルへの想い①】私たちについて

こんにちは!オリーブ農家のYurieです!

今現在、クラウドファンディングに挑戦中です。あと残り10日。だから、このnoteに毎日1記事、私のオリーブオイルへの思い、プロジェクトへの思いを書いていきたいと思います。長い記事もあるかもしれませんが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

今日は初回ということで、まず私たちについて。(私の31歳までの経歴はこちらから(#自己紹介)。製品も大事だけれど、私たちは何よりも生産者について知っていただくことが、とても大事だと感じています。

私、Yurieは静岡県浜松市出身。何よりも目立つのが好きな子供でした。やんちゃ、おてんば(すぐに怪我するw)、子供の頃のニックネームは、スーパーサイヤ人とかブラックホール(吸い込まれそうな勢いがあったらしいw)。駅のプラットホームで側転の練習を始めたり、まぁ、簡単に言えば、かなりズレてましたねー。家の裏には森林公園、家の周りには田んぼが連なり、自然に愛されて育ちました。ガールスカウトにも所属していたので、キャンプも大好きで、子供の頃から自立心を高く、男性に頼らず女性一人でも生きていけるように育っていきました。

彼、Riccardoは、イタリアのプーリア州アンドリア市出身。アンドリア市にはオリーブ畑しかない超田舎。彼も長男らしく、かなり母親を手こずらせたやんちゃ男子(母親談w)。私と同じように公園で虫をむしゃむしゃ食べたり、トカゲを捕まえて遊んでいたそうです。子供の頃からとても社交的なのですが、でも今でも人前に出るのは苦手な人です。誰に紹介しても、第一印象が、最高にヒゲもじゃ、じゃなくて、とても優しそう、チャーミングね、という印象を残す人です。私と違い、どの国の人とも一瞬で仲良くなれるすごい人と私は尊敬しています。

そんな私とRiccardoはオーストラリアで出逢いました。彼は元デザイナーで、超有名なフォスカリーニやアルテミデ、カリムラシッドなどの照明器具のデザイナーでした。彼がデザインしたランプなどは、普通にショーケースで何十万〜の値段で今も売っていますw。ミラノ、アムステルダム、ニューヨーク、とデザイナーのキャリアを着実に積んでいた彼ですが、毎日パソコンと向かい合うだけ、建築家やデザイナーによくある締め切りに間にあわせるように、連日夜明けまでの徹夜の仕事というオフィスワークが嫌になったと、いきなり友人2人と東南アジアへと飛び立ち、最終的にオーストラリアへと辿り着きました。

一方私は、12歳の時に夢見た、「オーストラリア人になる」を目標にオーストラリアに移住。専門学校、ヘッドハンティングなどがあり、最終的にレストランやカフェの経営をしていました。

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仕事に疲れ、労働ビザの更新を戸惑っていた私は、元カレとの婚約破棄も重なり鬱に。6ヶ月ほど自分を失いました。見かねた友人たちが救ってくれたのですが、もう仕事三昧の生活はこりごりだと思い、ワーホリビザに切り替え、純粋にオーストラリア生活を楽しむようになります。2年目のビザ更新はゴールドコーストのWWOOF(農家で住み込みみたいな感じです)にて。私が電話をかけたホストのおばあさんが、実際は1人しか欲しくなかったのに、なぜか私だけでなく彼も受け入れてしまったのでした(しかもおばあさん、結局彼のことがすごく気に入って、私家から追い出される始末w)。

そんなミステイクから始まった私たちの出逢い。出逢うはずがなかった2人。そんな私たちは、オーストラリアから出て、東南アジアに拠点を移しました。マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシアと旅を続け、私たちの関係も真剣な付き合いに発展していきました。

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デザイナーだった彼、カフェ経営をしていた私たちが、なぜ農家になろうと思ったのかというと、多分きっかけは、私たちが出会ったWWOOFだと思います。土に触れ、はちみつを作り、コーヒーの栽培をし、鶏を絞めて食べる。そんな普通であるはずの生活だけど、今の私たちが忘れてしまっていた自然たっぷりの生活。子供の頃、自然の中で一杯遊んだ、あの頃の生活に戻りたいと思ったのです。

私は鬱と出会った時に、過剰ストレスにより化学物質アレルギーが発症。食についてとても考えさせられるようになりました。農薬も酸化防止剤も入っていないものを、と選ぶうちに、足はファーマーズマーケットへと自然に向かうようになっていました。

インドネシアのバリ島では、環境汚染と戦うオーガニック農家に出会いました。ベトナムのハノイでは、若手農家にスローフードの概念を教え、子供への食育活動をする新米ママ起業家に出会いました。インドでも、ゴミの山が隣にある農地でオーガニック栽培と戦う若手農家にも出会いました。これらの出会いに心がとても揺さぶられました。世界中で食を豊かにするために戦う人がいる。

実は1819年から200年も続くRiccardoの農家。彼の父親で家業を辞めてしまうのはとても残念だし、私たちが継いで農家に投資し、さらにより良くすることが私たちの使命だと思うようになりました。

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オーストラリアのファームにいたこと。それが大きな引き金になり、私たちはイタリアへと拠点を2015年に移しました。彼は農業を勉強したこと、経営を勉強したことないのに、いきなり100ヘクタール超える農園(東京ドーム25個分ぐらいかな)の経営を始めました。私はまずフィレンツェに移住し、生活に必要となるイタリア語から始めました。

半年後、私はプーリアに移住し、イタリアに移住してもうすぐ5年目になります。この5年間、本当は今住んでいる家を改築してファームステイもすでに始めている予定でした。でも私がとても大きな投資に対して、今までやったことがないことに対してかなり臆病で(ホテル経営専攻してたのにねw)、いきなりインドにヨガ逃亡したりと、彼の期待に答えられなかったことがとてもたくさんあります。彼はその間ずっと何も言わず待ってくれていました。私が「I'm ready!」というまで。

今回のクラウドファンディング。実は手を出すのにもかなり臆病でした。

でも、私たちの夢を知ってもらいたい。私たちのオリーブオイルを知ってもらいたい。そんな思いをただただ心の中に持っていても後悔するだけじゃないかと。

だから、このクラウドファンディングは私の最初の一歩でした。そして、応援してただいている皆さんから、今とっても背中を押してもらっています。不安で仕方がなかった。でもこのクラファンを始めてから、毎日誰かにハグされているような、背中をポンと押してもらっているような感覚があります。

私たちの夢は、オリーブオイルを世界に広めることだけではありません。将来、私たちが住んでいる17世紀のファームハウスを改築して、皆さんをいつか私たちのファームステイにお迎えすることも夢です。オリーブオイル、農業を通して、食育を次の世代に、農業が持っている可能性を教えていきたいと思っています。

農家は作って終わりではなくて、それを美味しく食べていただき、どうやって作っているかを知っていただくこともミッションだと思っています。特に次世代は食からかなり離れてしまっていると聞きます。食育をしているシェフの友人が、今の子供が、魚の切り身と泳ぐ魚が同じものだとは思っていないとか、鶏肉が鶏からきていると教えると、子供がベジタリアンになるから親から苦情がくるという話をしてくれました。

イタリアも同じで、オリーブ工場見学に来ていた生徒が、出来立てホヤホヤのオリーブオイルを味見しようとしたら、母親が汚い!と言っている所を見たこともあります。

だからオリーブオイルだけじゃなくて、食育の大切さももっと発信していきたいと思います。

でもまずはオリーブオイルから。皆さんの力を私たちに貸していただけますと幸いです!


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