ことでん長尾線乗車記と公文明(くもんみょう)駅の不思議。
ともあれことでん長尾線なんてメニアックが過ぎる路線にほぼ完乗
したのはこの日はほぼ高松市近辺にいようと思った日のことで
大半はさぬきうどんのもぐもぐ記ではあるのですが、まあそこは
多めに割愛して高松築港から公文明(くもんみょう)駅まで
行った日のレポートでもここでリライトしてみましょうか。
まあそう思えたのもさぼさんの記事から派生した「あんころ
雑煮」に関してのレポートが概ね良かったので、ならばその前後の
日のレポートもこの際少し纏めて出してしまおうかと。
推しのお雑煮|さぼてん主婦|note
レファレンスのオーダーがなんとなく入ったから耳を揃えて
書いてみましょう。「あんころ雑煮」と「青のりおはぎ」の
高松旅行記から。|torov|note
まあことでん長尾線に朝早くから乗った理由は二つ。
①高松三越が開くまでの時間に朝からうどんを鉄道駅の近くで
廻っておきたかった
②事前学習してた公文明(くもんみょう)駅の謎をある程度
実況見分しておくこと
それに加えてここは主に『うどんの国の金色毛鞠』の聖地巡礼が
出来るところだったので、聖地巡礼+アルファを体験してきたの
でした(その余暇がこの日は「うどんバカ一代」の釜バターうどん
から『うどんの国の金色毛鞠』のモチーフの一つライオンさんの
大元モデルなのに高橋ナツコの三割引脚本でアニメでは削られて
しまったライオン通りにある「川福うどん」までの讃岐うどん巡り
だったわけですが)。
で、噺としては①をうろんに回遊しつつ、②と聖地巡礼の
レポートをかつて書いてたものからぼちぼちリライトするかと。
ちなみに夜明け前だった(ちょうど3月くらいだったので、日の出
が午前6時前後だった)高松築港駅の感じは大体こんなあたり。
もちろん高松城から片原町駅までのあたりは高松城の外堀を埋め立て
て作られたガタゴト路線ですから、高松築港駅から高松城を眺めるの
もまた乙なものです。
木太東口駅ってのは(きたひがしぐち)と詠むのでどっちの方角だよ、
ともツッコミたくなりますが、以前はもっと複雑だったらしいのだけど。
で、いいトコ行ってたのに肝心のブツを撮り忘れていたのがこれで。
で、ホントの正解は「かつてあった駅舎に掲げられてた木目の
駅名標がこの写真の上部にあった」だったワケですが。
このページが一番近いものが映っているか。写真の上の方にまだ
かつての駅名標が現存してたとは思わず、だったので(確かかつては
有人駅だったが無人駅になって付設のトイレとかも撤去されたとか)
まあそんな感じでことでん長尾線は多分に単線である処が多く、
駅も軌道(路面電車)か、というくらいに片面一車線の横に
どちらの方の乗客も並ぶ駅がくっついている、なんて光景も至って
普通にあります。
『うどんの国の金色毛鞠』で初めて電車に乗って行くシーンとして
描かれた林道(りんどう、ではなくはやしみち)駅もそんな感じの
鄙びた光景が広がるあたり。
歯医者の名前は変更されてますが、これに近いアングルの映像も
『うどんの国の金色毛鞠』には出て来ます。
納得したページはこちらでした。さて今もあるんだか。
Webコラムマガジン「のらり」
■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
あったか。あれば「マナーポスター」の写真もあるかな。
以前「異郷の駅前食堂」で何度もことでんに乗ってたヒロシが
ちゃんとこの「マナーポスター」にツッコんでいるのは流石に
目のつけどころ、と関心したけど。
ってことで「荘園地名」のバリエーション、北海道で例えると
各地にある「学田(がくでん)」のようなもの。役職を得る上で
土地の管理をするかたわら年貢を頂くところで官吏の役職に公文
(くもん)って役職があった名残の地名と。
一応その時撮った案内板の写真はこれか。
あ。
長尾線なのに長尾駅まで行かなかった理由?
それは大方これなので。
長靴も冬靴も、当然手袋も「履く」のはそれが北のプロ仕様だから。
方位称や野郎自大で咆えている程度の生半可な「はめる」程度の
野郎や自治体はどうでもいいからすっこんでな。|torov|note
なのでことでんは大体全線ある程度は乗ったけど、長尾も志度も
忌避したし、「トラウマ」がヒドい栗林公園には一切近づかなかった、と。
ことでん長尾線乗車記と公文明(くもんみょう)駅の不思議、でした。