そろそろ8月も月末のおかたし整頓モードなんですが。
ちなみに私の一番好きな「やる夫スレ」に出てくる
民明書房ネタはこれ。
泳ぐやる夫シアター やる夫が光武帝になるようです
第二十七章 「郭聖通」
といふことで、月末の文章整頓ひとまず締めモードで、
ありていに言うと最近の雑感、なんですが。
で、ここのところは公式noteのフォローを外して
ます。理由は9/7締切の「憲章タグ」に厭気があるからと。
いじれない部分を毎回そこだけカラーで見さされる
(受動使役)がホントに「気が滅入る」以外の何物でも
ないので、そこが終わるまでの「物忌」かな、と。
ま、数十年前のテレビでダウンタウン浜田が「タレカク」
話をしながら平気で階段を下りてくるところから始まった
パカなソニック・ヘッジホッグズのジレンマに同情も感情も
ない無神経で接するのが吉だとは思っているので。あの冷え
切った御時世に青白い光で心から冷え切るような青白い
パカロゴをテレビ塔に掲げ続けた無神経さは絶対忘れねえ。
なので、許せる札幌テレビ塔の写真はここまでなんだけど。
まあ日テレでカズレーザー司会の新番組が編成される、
というのは喜ばしいことですが、ふと昔作った「康快役に
立たず」粗年表、ってのがあって、ここのところ壊れかけた
日テレ、ってテーマでもいくつか書いているから、あえて
その眼で観ると、改めて飛び込んで来た記述が少しあったので
あえて、並べてみる。
1997年
当時『スーパージョッキー』の番組アシスタントだった大神
いずみアナが熱湯コマーシャルで、号泣しながら入浴を拒否
した事から騒動に発展、そのまま本人不在のまま同番組を降板
(『スーパージョッキー』打ち切りの端緒)。
大神いずみアナはこれが原因で1999年に退社、フリー転向。
1999年3月28日
『スーパーJOCKEY (SUPER JOCKEY) 』721回の放送で打ち切り終了。
ちなみに末期のテコ入れではレギュラーに鈴木史朗、1995年10月
から加入した「悪魔の子」辺見えみりをフル活用しており、ラスト
EDは上島竜兵と辺見えみりの「アッチッチサンバ」が使用される
などのさまざまな「終了フラグ」が立っていた。
1999年9月16日
『マジカル頭脳パワー!!』打ち切り。
主原因はやはり1996年10月に番組を卒業した所ジョージの不在が
挙げられる。
(もうひとつは所ジョージの降板要素でもあった「クイズ<ゲーム化」
の流れと盲信)
で、シメにナンシー関の御託宣でも持って来ればいいか、
と思っていたが意外に1990年代後半のワイドショーで日テレの
話は出て来ない。でも、この斉藤由貴評はなんかしっくり来たの
で、並べておくと納まりが良さそうだ。
そろそろ8月も月末のおかたし整頓モードなんですが、でした。