慕われ育子の一生

 今日も何も起こらない。ドラマはそう簡単にモブの人生に関わってはくれないらしい。小学生の頃から自分の立ち位置は知っていた。おそらくこの世界が漫画だったら、アニメだったら、ドラマだったら、きっと顔は描かれない。描かれたとしても部分的にだろう。

  ずっとなりたいポジションがあった。主人公の親友役。主人公達の波乱万丈なドラマの裏で、ひっそり、すんなり、幸せになれる。そんなポジション。ずっとなりたかった。

 ヒロインには憧れられない、だってそんなの憧れたら釣り合わないって知ってるでしょ。知ってたんだもん。ずっと。小学生になる前から、ずっと。幼稚園の時のおままごと、主役になれた覚えはない。好きな男の子は、私の親友が好き。可愛いって言われるのは、いつもお姉ちゃん。頭がいいのは、幼なじみのいとこ。知ってたから、ずっと。

 彼からの連絡はない。期待はしないと思ってた。彼は私が好きじゃない。私が好きなわけじゃない。言い聞かせて、期待しないように。彼から好きなんて言葉聞けない、そんな声聞けないから私は期待しちゃいけない。ずっと知ってたじゃない、小さい頃からずっと、嘘ついてたじゃん。

 ずっとやりたかったよ、おままごとでお母さん、おジャ魔女ドレミちゃん、プリキュア、選びたかったよ、赤にピンク。でも無理じゃない。できないじゃない。それって、一位の人しか手に入らない景品で、賞品でしょう?

 一位にならなかった人は、たった一人になれなかった人は違うもので満足しなきゃいけないの。違う代替品で、あーこれが欲しかったって。本当はこれが一番いい、私に合ってるって。納得しなきゃいけないの。そういうのが人生なんでしょ?そういうのが私の人生の筋書きなんだって小さい頃から分かってた。

 のに、なんで、まだ、期待してるのかな。捨てられないのかな、シンデレラ症候群?20代後半で?痛すぎでしょ、痛すぎるよ。心境的にはどちらかというと踵痛すぎて、切り落としたお姉さんの気分だよ。

 彼女もこんな気分だったかな。自分が悪役なのは分かってて、でもどうしてもヒロインになりたくて、それで痛くても、分かってても切り落としたのかな。痛いの、我慢したのにね。幸せになれないの、なんでだろうね、なんで私たちじゃダメなんだろうね。何が、足りないんだろう。

 私たちに足りないのは、すごくキラキラ輝いてて、純粋で、純潔で純白。幼い頃にはもう持てる人と持てない人が決まってる、そんななにかなのかな?

 そう思えば、楽なんだけどね。

 でも、そうじゃないよね。きっと、本当に大切なものは、自分で手放したんだ。諦めた時に一つずつ、自分で、手放したんだ。彼女達はずっと持ってただけ、手放さずに、ずっと大事に持ってただけ。それが、私と彼女達の大きくて小さい違い。

 とてもじゃないけど長い。

 ここまで読んでくれる人がいるとは到底思えないけど、ここでタイトルの訳に戻る。「嫌われ松子の一生」というドラマ、見た事ある人はどれだけいるだろうか、中島哲也監督で映画化もされたし、知ってる人は多くいるだろう。

 私は一度見ただけだった、一度で十分だった。

 彼女のような一生もありだろう、そう思わせる作りだったと思う。人の一生には色々なものがある、彼女は彼女で幸せだった、人の幸せのあり方はそれぞれだ。そんな風に描かれてた?でも、私が思ったのは違った。

 このまま生きたらきっと彼女になる。彼女と同じエンディングを迎える。人が作ったドラマと同じ、ただの悲しい、人の教訓にしかならない、そんなエンディングにされる。嫌だ、絶対にこのまま終わりたくない。彼女と同じ人生を辿りたくない。

 幼心にそんなふうに思った。で、今。私は彼女とは対極になれたかな?対極になる努力をしたかな?してないよね、いつも、思ってるだけだよね。そんなんじゃ、ずっとモブだね。

 だからとりあえず、タイトルから変えてみようと思う。今日のタオルはいつもと違う色を掛けてみようか、わざと靴下を左右逆に履いてみる?彼を思って辛くなる時間、少し絵を描いてみる、彼を恋しく思う時間、料理に心をときめかせてみる。できるかどうかじゃない、やってみる。そうしたら少しずつ、エンディングは変わるだろうか。

 彼女と逆に、そう思って行動してたらいつか、なんて。また期待してしまう。

 結局私は、期待とか、希望とか、捨てられない。でもそれは、たぶんそんなに悪い事じゃない。

 

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