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day6 学校に行く意味②

前回の続き。
ですが、この記事だけでも分かるように書きます。
お時間あれば①の、小学校入学前に、学校について考えていた頃の記録からどうぞ。

私にとって学校は「人間関係を学びに行く場所」。
息子が不登校になったときに、勉強のことは、正直なんとでもなると思った。
でも、ずっと家にいることになるのであれば、放っておけない。

その心配は、すぐに杞憂に終わった。

息子は学校は嫌だったが、友達のことは大好きだった。
放課後、家の近くの公園に、友達が遊びに来る。
息子は友達と遊ぶために、公園に出かけた。
まだ低学年だったので、私も一緒に遊んだ。

子どもたちは私に聞いてきた。
「なんで◯くんは学校に来ないの?」。
私は答えた。
「今ね、行きたくないんだって」。
すると、いいなぁ!という子もいた。
その子には、「じゃあ、◯ちゃんも休んだらいいんじゃない?」って意地悪な答えをした。

学校に行かないことを特別なこととしない。
一つの選択肢として捉えられるように。
息子に、お母さんは本当は行ってほしいと思っている、ダメだと思っている。と、思われないように。

こんな風に、不登校を受け入れられたのは、一重に息子が友達と交流してくれたから。
息子は、人が好きなのだ。人に興味があるのだ。

そうはいっても、この後、自分の時間があまりにも取れないことや
経済的な不安などから、不登校って大変だー!!と、
余裕がなくなっていくのだが、もし息子が人との交流を拒むことがあれば、問題はもっともっと複雑化したと思う。

なので、私はとてもラッキーだった。
変な言い方になるが、とても恵まれていた。

息子の不登校は半年間続いた。
期間だけ見ると、不登校の定義からは外れるのかもしれない。

と思って確認した(文科省の定義)が、思いきり不登校だった。

そう、不登校だったのだが、恵まれた不登校だったと思う。
息子は健やかだったし、友達が好きだった。
友達とのコミュニケーションを取れない状態だったら、私はもっともっと悩んだし、学校への復帰も踏み切れなかった。

高学年になり、息子は学校は未だにめんどくさくて疲れて嫌で
日々苦手なこともあるけれど、
人と関わることや人の役に立つこと、
人と話し合ったり決めたりすることは好きなようで
クラスや地域の委員になって話し合いに参加したり
行事で積極的な姿を見せてくれたりする。

児童数が少なく、全員が何らかの役割に着くという環境も、息子のそういった部分を後押ししている気がする。

前から何度か書いているが
子育てとは、魚の釣り方を教えること。
ずっと魚を渡し続けるわけにはいかないので
多少荒い形になったが、私は息子を海に放った。

息子が溺れそうになったので、一時的に家に戻したし
今でもフォローは続けているけれど、海に放ったことは後悔はしていない。


【蛇足の補足】
これから書くことは蛇足かもしれないが、
以上はあくまで我が家のケースだということは、書き添えておきたい。

不登校になる理由も子どもの性質も家庭環境も千差万別だからだ。

今、福祉施設で働いているが
接する障害者の中には、不登校経験者も多い。
そして、コミュニケーションに苦手意識がある人がある人も、とても多い。

その人たちを見て感じるのは、不登校になるのも、そこから学校に戻るのも戻らないのも、その子自身の性質が大きく、親の思惑通りにはいかないということだ。
そして、学校に戻ったからといって、子どもが無理をしているなら、結局は他の道を探すしかないのだ。

息子の場合、今は通ってくれているし、なんとかなっているように見えるが
この先どうなっていくかは、彼にも私にもまだ分からない。
この先どうにかなった時に、また一緒にドタバタしようと思う。

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