day3 「グダグダ言いたい」に付き合うと…
学校に通わない時期を乗り越えた後も、息子は「今日も行きたくない」を前提に動いていた。
そんな息子に付き合って、なんとか気持ちを盛り上げて、少しでも気持ちよく通ってもらおうとするも、
少しのことで躓いて「それならもう学校行かない」と泣きわめかれる時、こんなに行きたくないのに行かせることへの迷いと、同時になぜ「学校行かない」が母親への脅しとして使われるのだろう?と納得いかない気持ちの挾間にいた。
当時は本当に疲労感がすごくて、たまに楽しみな行事などで何も言わずに遅刻もせずに家を出た日、「朝からこんなに体力と気力が残ってることがあるなんて!!!」と感動したほどだ。
最近は、さらに成長が進み、「行く」を前提に動いてくれるので、本当に助かる。
普段は行く。きついときは遅刻する。たまに休みたい。
段階があることで、私も選択肢を提示できる。
白か黒じゃないのがいい。
では何も問題ないのかというと、そんなに事は簡単ではない。
息子はよく、学校で起きた嫌なこと、友達の困ったこと、先生が言った嫌なこと、さらには「それは別に普通だよね」ということまで、グチグチ言っている。
息子の学校のストレスになっていることの原因が知れるので、基本は「それはしんどいねー」と共感する。
たまにアドバイスなんかもしたりして。
けれど、「普通だよね」ということについては、共感しにくい。
なんなら、そこで共感しては、行きたくないに拍車をかけてしまう可能性がある。
捉え方を変えるために、「相手にも事情があったのかも」「母さんのときもそうだったよ」などの声かけをすることで、しつけることもある。
また、どうしようもないことをグダグダ言っている(例えば、「なんで国語が2時間もあるんだ!」とか)こともあるので、
それについては「そんなこと言われてもねぇ」と流すこともあった。
でも、ある時、私に余裕があったので
仕事でやっている傾聴のスキルを最大限動員して、ひたすら聞いてあげたことがあった。
息子「◯ちゃんの、リーダーシップが強すぎで、大変なんだよ」
私「リーダーシップ…?」(オウム返し)
息子「そう。自分の意見と違う意見があると、言い返して、最後は勝つの」
私「違う意見に言い返すんだね。勝つ、というのは?」(オウム返し、質問)
息子「自分の意見と同じにするの」
私「勝ち負けなんだね。それは疲れちゃうね」(気持ちの代弁)
この通りではないが、こんなかんじのことをずっと繰り返した。
息子は生き生きと話し、文句も言い、けれどその子のことを「良いところもあるんだけどね!」と言い、色んな話をしてくれた。
話し終わった後は、満足した顔で、「今度また話そうね!」と言っていた。
そのことがあってから、私は息子のグダグダ、グチグチ言うことへの考えが少し変わった。
大人でもある。変えられないことをグチグチ言いたくなること。
受け入れるしかないことをグダグダ言いたくなること。
別にアドバイスなんか要らなくて、ただ聞いてほしいだけのこと。
なのに、なぜか子どもへは、それを適用せずに「友達の悪口を言っている!!」「こんな考えをずっと持ってたらいけない」「教えないと(しつけないと)」になってしまっていた。
勝手にオオゴトにしてしまうのだ。
息子の「学校嫌だ」に繋がりそうな話も、真正面から受け止めるわけでも、流すわけでもなく、頑張ってる本人を認めて労るつもりで傾聴する。
案外これだけですっきりして切り替えてくれることがある。
この視点があるとないでは、こちらの心的負担がずいぶん違う。
ただし、あくまでも、私に余裕がある時限定。
いつもできるわけではないことだけは、最後に書いておく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?