2020/8/14(うたの日366)
愛されているのね あなたから借りた中也詩集はシャボンの香り/朝野陽々
(2019/3/11「自由詠」)
一読して良い歌だな、と解る歌でありながら、読みの解釈は分かれるように思う。というのも、なぜ「シャボンの香り」がしていたのか。…本棚に大切に並べておいてもシャボンの香りがつかない。極端に云えば浴室に持って入ったとしてもシャボンの香りが移るのは難しいので、それを貸したひとが意図的につけていたのではないかと考えられてしまうからだ。一読した当初は下の句を「中也詩集はシャボンの香り(がするかと思えるほどにまっしろだ)」という意味で読んでいたのであるが、それだと、中也詩集を読み込んでいたのか怪しい(=愛されていない)のではないかと気づいた。なので、これは本当にシャボンの香りがするものとして解釈する方が面白い歌な気がする。
シャボンの香りは意図的に「あなた」がつけたのだと思う。シャボンの香水か何かで、主体に自分を印象付けたくてそうした。「あなた」は中也詩集を大事にしていないわけではなかっただろうけれど、肌身離さず持ち歩いていたから香りがついたということではない。…ただ、そういう事実にまだ主体は気づいていない。中也詩集より、自分の方が愛されているということも。…性別を敢えて規定せずとも良い歌かもしれないけれど、当初は主体は女性、「あなた」は男性として読んでいた。だが、シャボンの香水を振りかけている男性のイメージがあまり似つかわしくなく、もしかして「あなた」は女性で主体が男性という読みもできる。だが、「愛されているのね」という云い方を考えると主体も女性かもしれない。…もしかすると、女性同士の淡い交歓として読むのが意外と、腑に落ちる歌なのかもしれない、とも思った。
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