2020/9/24(うたの日366)
長靴に入った水を許すとき思い出すのは虹のかけかた/杏藤ミレイ
(2020/9/2「長」)
長靴に水が入るシチュエーション…水たまりに子どもが踏み込んだのかな、などを想像する。主体がそれを許せるのは、自身もそうやって水たまりに踏み込みたくて踏み込んだ経験があったからかもしれない。そのようにすっと思い浮かぶストーリーでも読めるけれど、この歌自体には「許すとき」、誰を許すのかが明示されていない。なので、読みをそれに留まらずもっと膨らますことができて、いいなと思う。「子ども」や「水たまり」の存在も直接描かれていないので、省略の上手さとしても読めるが、あらかじめそれらがないものとしても読める。
例えば、「許す」のは長靴に入った急な夕立などの雨に対して、ということとしても読める。履いていたのは主体で、不快さにただ苛々してしまった。でもそういった雨があることでかかる虹がかかるのだと思い直す…楽しいこと、うつくしいことの前の準備のような、裏方的な存在を「虹のかけかた」という語で表していて、上手いと思う。