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2025.01.08過去のうす味に塩は足せない【くだらない日記】
今日のは長くなる。
かなり久しぶりに通っていた大学の近くまで来た。
キャンパスの目の前にある神社に用があったのだ。
神社の名前は穴八幡宮。この名前を出すともはや隠す意味がないので書くが、わたしの通っていたのは早稲田大学の文化構想学部だ。
入学式の日は雨だったけど、両親と穴八幡におまいりをした。母は「早稲田なんてかわいげがない」と言っていたけど、信心深いひとなので、大きな神社がすぐそばにあることをとても喜んでいた。父は、自分にとっても母校である早稲田に娘が入学して、やはり喜んでいた。
穴八幡では毎年冬に「一陽来復」と書かれたお守りが売られる。期間は当時から節分と決まっていて、早稲田に在学中も、初日である冬至の日には石段よりも長くお守りを受けにきた参拝客の列が伸びてすごい混雑になっているのをよく目にした。
うちの母も冬至に穴八幡を参拝する”一陽来復ガチ勢”で、我々家族は毎年、母が人数分受けてきた一陽来復守を各自1年間持ち歩くことを求められる。ちなみに、前年のお守りは冬至の前に母が徴収し、神社にお返しするというルールだ。
わたしが実家を出てからもこの取り組みは途絶えておらず、今もわたしの財布には、去年の12月に母が神社で受けてきた「一陽来復」が入っている。
だが去年、冬至の前に古いお守りを母へ渡すのを忘れてしまった。
いつも持ち歩いているはずのものを?白状しよう。ここ数年、財布の中にお守りを入れておくのがうっとうしくて、ほとんど机の引き出しに入れっぱなしだったのだ。
わたしも、信心深いほうではあると思う。神社が好きで、わりとよく参拝している。でも、信仰のために自分の行動にルールを設けるのが、どうも窮屈に思えてしまう。
その窮屈な、しばられているようなイメージは、母の姿に重なる。
母が「持っていなさい」と渡してきた、電車の切符くらいの大きさでしかないお守りを重たく感じていたのはそのためだ。
渡し忘れたお守りは「ごめん!最近財布違うの使ってて」みたいなことを言ってごまかして、いけしゃあしゃあと「自分で神社に返しに行くね、久しぶりに大学の近くも行ってみたいし」と言った。
嘘だ。わたしは、大学のことをあまり思い出したくない。後悔ばかり残る4年間だったから。高田馬場~早稲田近辺には近寄りたくもない。
卒業してから高田馬場で降りたのは3回だけ。仕事の用事と、友だちの結婚式と、あとそれから、謎に1度、猫カフェに行った。エドシーランの武道館ライブまでの暇つぶしで、場所と料金設定がちょうどよかったんだったと思う。
というわけで、本当は、新年早々早稲田に来るつもりは全然なかった。お守りは近所の神社にでも持っていけばいいかな、と思っていた。さすがにゴミ箱には捨てられないのがわたしの信仰心ライン。
じゃあなんでわたしは今日、東西線早稲田駅で降りたのか。それは、知らないひとの会話を盗み聞きしたから。
先週の土曜日のこと、ちょっと長い列に並ぶ場面があった。夫とふたり、トータルで30分くらい並んでいたので、さすがに飽きたなぁと思っていたら、背後からこんな言葉が耳に飛び込んできた。
「そこのお守りのご利益がめちゃめちゃすごくて、夫もわたしも年収めっちゃあがったんだよね」
「本当に?」
「ほんと、ほんと。わたし1年で200万くらいアップしたもん」
に、にひゃくまんだと…!?
思わず首が振り返りそうになるのをグッとがまん。羨ましすぎる。いや、もちろんご本人の努力あってのことだと思うけど…頼む、その霊験あらたかなお守りの正体を教えてくれ。
「なんかね、新宿のほうにある…ナントカはちまんの、ゴライコウ?みたいな名前のやつなんだけど」
それ、早稲田の穴八幡の一陽来復じゃろがい!!!
あやうく心のツッコミが口をついて出そうになった。あぶねぇ。
年収200万アップお姉さんのお連れさんは、「え?何それ?どこ?」と戸惑っている。確かにお姉さんの紹介はあやふやで曖昧すぎて、もともと「一陽来復」を知らなかったらピンと来ないだろう。
お姉さん、そんなにご利益あったんなら名前ぐらいちゃんと覚えましょうよ……と思ったところで、すかさず自分を恥じた。
どの口が言うのか。母が家族のためを思って、毎年人混みのなか一生懸命に受けてきてくれたお守りを「うっとうしいな」なんて無碍にしている人間が。
わたしが一陽来復をしまいっぱなしにしてきたのは、すでに述べた気持ち的な問題に加えて、「そんなにご利益を感じたことがなかったから」というのもあったりする。
でも、せっかくお守りを持っていたって、ごかまかしたり嘘までついているようじゃ、ご利益どころかかえってバチが当たってもおかしくない。去年のお守り、ちゃんと返そう。それで、今年はお守りをちゃんと持ち歩こう。
以上が、わたしをおよそ8年ぶりに早稲田大学戸山キャンパス前まで向かわせた経緯である。
とは言え、あまり時間もないのでキャンパスには寄らない。地下鉄駅から地上に出たらまっすぐ神社へ。道路の反対側に見えるのは”ワセメシ”として有名な「キッチン オトボケ」だ。盛りも味付けもてんこもりという噂で、結局一度も行かずに卒業した。
境内には、平日なのにそこそこ人の姿があった。海外のひともいる。たまに、若いひとの姿があるのは早稲田の学生さんだろうか。
本殿の参拝のため並んでいるとき、ふと思い出した。入学式の日、わたしはここで「悔いのない大学生活を過ごせますように」と手を合わせたのだ。
実際は、思い返すと後悔ともによみがえる4年間の日々。楽しかったことも「してよかった」と思うこともあるはずなのに、こんなに後味がわるいのはどうしてか。
参拝を終えたら、持ってきた去年のお守りを所定の木箱に返し、神社を出た。ここまで来たからにはおみくじのひとつも引いて帰りたかったけど、場所がよくわからなかった。
高田馬場~早稲田を行き来する方法は3つ。バスか、東西線に乗るか、馬場歩きをするか。交通費を節約したかったわたしは、ほとんどいつも馬場歩きしていた。
今日も、高田馬場まで歩いていく。
歩く道のりに、とくになつかしさは感じなかった。いくつか入れ替わっている店もありそうだけど、景色に大きな変化はない。「そういえばこんなのあったなぁ」という店が多く、そしてそのほとんどに、わたしは入ったことがなかった。
中華料理店。カレー屋。古本屋。どこにもわたしの思い出はない。ごはんは学食か弁当か、コンビニで済ますか、もしくはさっさと新宿まで戻ってしまうことが多かった。在学中から、この街をあまり居心地よく感じていなかったのだ。
うす味の思い出。ああ、そうか。これが、わたしの後悔か。
文芸の専門コースがある大学に入ったのに、入学して早々文章を書くことをあきらめてしまったわたし。
文芸系のサークルには入らず、専門コースも違うものを選んだ。自分がいちばん勉強したかったはずのことから逃げた。
”逃げ先”として1年のときに入ったサークルも、中途半端に2年の終わりから行かなくなった。
だったら散々遊んだのかといえば、大してそういうわけでもない。彼氏だっていたことがなかった。
すごく興味があったはずなのに、長期の海外留学へ行かなかった。
就活を真面目にしなかった。
もっといろんなことができたはずの、マシマシにてんこもりの濃い味にできたはずの4年間を、うす味で過ごしてしまった。
そのやるせなさが、この街でのわたしの居心地を悪くしていたんだな。
くだらないことを長々と書いてしまった。本当にわたしは、巧拙は置いといて書くのがすきだ。これぞくだらない日記。