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【短編小説】バナナ・バナナ・バナナ

とにかくバナナ!
ひょんなことからバナナを大量に手に入れてしまった女のバナナ消費奮闘記

 バナナと聞いたらいったい何を思い浮かべるだろうか。手軽に食べられておいしい果物? 朝のデザート? 詳しい人ならばカリウムやビタミンが豊富だと連想するのだろうか。
 私にとってのバナナとは、いや今の私にとってのバナナとはそのどれでもない。私にとってのバナナとは黄色い悪魔の名である。甘ったるい香りを私の肌にまとわりつかせ、「もう諦めてしまいなさいよ」と往生際悪く足搔く私を嗤う悪女の名である。
 私だって何もはじめからこのバショウ科バショウ属の果実を親の仇のように憎んでいたわけではない。むしろ先ほど挙げたイメージのようなポジティブな印象しか持っていなかった。
 だが昨日の味方は今日の敵。
 バナナはもはや私にとって爽やかな朝の象徴ではなくなった。私を苦しめる悪夢である。
 テーブルの上にはバナナが四房。それも大阪のおばちゃんが着こむヒョウ柄のシャツのように茶色い点がそこかしこに浮かび上がる、末期のバナナだ。
 それが四房。でんと我が物顔で机の上に腰かけている。現実逃避しようにも甘すぎて胸焼けしそうな匂いがふとした瞬間に鼻につき、意識をそらすことさえ許されない。
 いったいどうしてこのような事態に陥ったのか。事の発端は一昨日まで遡る。

「今日はいいものあるから持っていってね」

 そう声をかけたのはバイト先で最もベテランのパート、加藤さんだ。
 ここでいう「いいもの」とは廃棄予定の野菜のことを指す。
 私がバイトとして働いているのはとある工場の農産部門だ。その検品時に廃棄認定をくらった野菜たちが時たま格安、あるいはタダでバイトやパートさんたちの手に渡ることがある。
 もちろん廃棄認定された野菜たちだから当然傷もあるし、熟しすぎて柔くなってしまったものもある。だが個人で消費する分には十分魅力的だ。傷があろうが、皮をむくなり傷んだ場所を取り除くなりすれば市販のものとなんら変わりない。
 元より加熱すれば基本何とかなるだろうというずぼらな性格のおかげで、よほど酷いものでなければ有難くちょうだいさせてもらっていた。そもそも繊細な性格ならば、この職場に一年もいまい。葉物には愉快な「お客さん」が葉の隙間に隠れていることがよくあるし、ミカンの箱など底に腐海が広がっていることもしばしばだ。ここのお土産に拒否反応が起こるほどの潔癖な人間ならば、多分ひと月も持たずにやめている。
 その日出たのは鷹の爪とバナナだった。
 鷹の爪。なんともニッチなところを攻めてきたものだ。唐辛子は果たして野菜なのだろうか。植物ではあるが、野菜かと聞かれたら首をひねる人が多いに違いない。少なくとも私はそうだ。
 袋には真っ赤な爪が五本。鮮烈な濃い赤は見ているだけで舌がしびれてきそうだ。ただ私の貧相な脳の引き出しにはこの情熱的な香辛料を使いこなせるようなレシピは入っていない。ましてや栗やらさつま芋やら秋の味覚に甘やかされた舌には少々刺激が強すぎる。
 対してバナナは最悪そのまま皮をむけば食することが可能だ。見たところ「いいもの」にしては珍しくさほど傷もない。既にシュガースポットが浮かびあがっている点には目をつむろう。「いいもの」にしては上澄みのほうだ。
 そこで私の心に悪魔が囁いた。バナナはかごいっぱいにある。一人暮らしの身に果物は縁遠い。ならばいつもより多くとってもいいのではないか? と。
 別に個数制限があるわけでもなし、ただ自分が消費できる範囲に収まるように少なめにとっているだけだ。ここで一つ私が多くとって帰っても誰も咎めない。
 私は黄色の山から手を伸ばし、ふた房バナナを引き上げた。――それがのちに地獄につながることも知らずに。
 さて、バナナというものは毎日食べるにしても毎食食べるものではない。しかも食べて一本だ。ひと房ではない。房についているバナナは六本。つまり単純計算で消費するのに十二日はかかる。しかしふた房だけであれば楽しむ余裕もあった。そう、ふた房だけであれば。
 地獄はその次の日に笑顔でやってきた。
 その日も私はバイトに励んでいた。淡々と進む無味乾燥とした作業。空虚を体現した灰色の時間を、今月出たコンビニの新作スイーツに思いをはせることでなんとか乗り切る。
 ようやく作業もひと段落つき、後は帰るだけ。のろのろと足を動かす私の耳に加藤さんのやわらかい声が入ってきた。

「今日もいいものあるからね。持って帰ってねー」

 途端に私の足は軽くなり、タイムカードを切るや否やコンテナボックスまで舞い戻った。
 しかしそれは箱の中身を見た瞬間凍りついた。浮かれた私の視界に飛びこんできたのは昨日ぶりの黄色。しかも昨日よりもさらに追熟が進んだ、恐らく今日明日に食べてしまわねば手遅れになるバナナたちだ。
 だがこうしてコンテナの目の前まで来てしまった以上、何も手にせず踵を返すのは気が引ける。仕方なしに最も小ぶりで、なおかつ熟しきってない一つを探しあて、退散しようとしたそのときだった。

「あら? 一つでいいの?」

 振り返るといつも柔和な笑みを浮かべている加藤さんが立っていた。気遣わし気にこちらを見つめているその眼差しに悪意があるわけではない。だが今の私には悪魔の笑みにしか見えなかった。心なしか、まさか断るわけないでしょう? と無言の圧すら感じる。

「じゃ、じゃあもう一個もらいます。ありがとうございます」

 語尾を震わせながらも、礼まで口にすることができた私の舌は優秀だった。これからも頑張っていただきたい。

 これが昨日までの出来事だ。集まったバナナは四房、計二十四本。ここまでバナナが集結することなど二十数年の人生史上初ではないだろうか。
 と、感慨にふけっている暇はない。私は早急にこの明日にも腐海に沈んでしまいそうなバナナを救出しなければならないのだ。
 だが私の引き出しの少ないレシピでは大量のバナナをさばくことなど不可能。前方には今にも溶けてしまいそうな完熟のバナナ。対する私の脳内には解決策がない。これでは強敵に丸腰で挑むようなものだ。そのまま食べるという手もあるが、一日バナナふた房を流しこむというのはカロリー的にも、私の気分的にも決して優しいものではない。
 このままではふた房はゴミ箱行きになってしまう。乗り気ではなかったとはいえ、せっかく廃棄行きを回避したのだ。ここで生ごみに捨ててしまえば、彼らの運命は変わらなかったことになる。それではあまりに可哀想だ。
 それに諦めるにはまだ早い。私には心強い味方がいる。そう、スマートフォンという名の文明の利器が。
 早速「バナナ 大量消費」で検索すると、即座に先人たちの知恵が列をなす。
 その中から、ケーキの型やらミキサーやら我が家にはないものが登場しないレシピを探していく。欲を言えば手間のかからないものであればもっと良い。なぜなら、どれほど大量消費だの救出レシピを謳っていても、四房を一気に消費してくれるレシピがあるわけがない。救わなければならないのは最低十二本。目標はその倍の二十四本。今日一日でどれだけ料理に転換できるかがカギだ。
 ざっと目を通してみたが、やはり材料が材料なだけあって、ほとんどが甘いものばかりだ。甘いものは好きだが、甘いものばかりでは飽きる。調べてみたところ数は少ないがおかずにも利用できるようだ。それらを活用しながらなるべく保存できる品を選んで延命を図りつつ、一本一本腹に収めていくしかない。
 まずは余っていたホットケーキミックスを使ってバナナホットケーキを作る。朝は米派だが、背に腹は代えられない。今日はアメリカンな朝食といこう。たまには国際色豊かな朝食だっていいではないか。
 レシピには一本と書いてあったが、瀕死のバナナは小ぶりだったので倍の二本をいれる。お玉でかき混ぜてもやわらかい果実は粉たちに難なく融合した。
 フライパンの上に油を引いて、粘度の高い生地を流しこむ。薄黄色の肌にゆっくり泡が浮かんではじけて、ぽつりぽつりと小さな穴が開いた。薄っぺらの生地が持ち上がって厚みが生まれていく。それを見ているうちに私はとある絵本を思い出した。
 幼い頃、擦り切れるまで読み聞かせをねだった本だ。しろくまの子がホットケーキを焼く話なのだが、ホットケーキが可愛らしい効果音とともに徐々に焼き色がついていく様がなんとも美味しそうで、親が呆れ返るほどその本を繰り返し読んでいた。
 その頃の憧れがまだ心の底に残っているのだろうか。それとも戻ることのない過去への一種の郷愁とでも言うのだろうか。成人した今でもホットケーキを焼くたびにあの優しい世界が瞼の裏に浮かぶ。
 懐かしい香りに混ざるのは焼けた果実の匂い。ねっとりと糖分を蓄えた実が熱を入れられて、より強くその芳香を振りまいた。
 一袋でちょうど四枚分作れるので、二つは朝ごはんにして残りは冷凍に回しておく。バナナ入りで冷凍したことはないが、どうせ明日、明後日の昼ごはんになるだろうから、さほど問題はないだろう。
 ついでにバナナのベーコン巻きも作る。触れただけで形が崩れてしまう限界バナナは避け、まだ硬さが残っているバナナを使用する。デザートはもちろんバナナだ。まだ朝だというのに、バナナが夢の中に出てきそうなラインナップである。だが文句を言う暇はない。消費できたバナナは四本。残りは二十本。まだまだ道のりは遠い。
 戦場におもむく武士のような気持ちで、私はフォークを手にとった。
 まずはホットケーキを一口。予想はついていたが、甘い。付け合わせはバターのみにしたがそれでも甘い。
 どろりと溶けたバナナが口の中で濃厚な甘さを広げていく。ただでさえホットケーキだけでも甘いのに、バナナがいるので倍甘い。ひと口、ふた口と進めていくたびに小麦粉とバナナが舌と腹にダブルパンチを仕掛けてくる。まさかバターの塩気にすがる日が来ようとは、数日前の私は夢にも思わなかっただろう。
 一枚食べ終わったところで皿の端にちょこんとのったベーコン巻きに目を向ける。数少ない手軽に作れるおかずレシピとして採用したが、正直味の予想がつかない。美味しいのだろうか。バナナにベーコン。甘じょっぱいという概念があるのだから、合う可能性はもちろんある。
 だがしかしバナナとベーコンである。いくらどちらも朝の定番とはいえ、人気者同士がコンビを組んでも最高の相乗効果が起きるとは限らないように、彼らの化学反応もまた未知数である。が、時間は有限だ。私にはあと二十本のバナナを使い切る使命がある。無為に時間が過ぎ去っていくのを見送るほどの暇はない。
 つやつやと光るベーコンと表面がとろけてうるんでいるバナナがじっと私を見上げている。ごくりと喉がなった。
 今にも怖気づきそうになる手を叱咤して、一つを口の中に放りこむ。瞬間、カリッとベーコンの旨みがはじけて、その内部からバナナが溶け出した。
 美味い。素直にそう思った。
 カリカリのベーコンにとろとろのバナナ、塩と脂と糖が絶妙に組み合さって、独特なハーモニーを作り出している。相棒が白米でなくてよかったかもしれない。ベーコン巻きは素晴らしいが、彼ら一つで完結していて他者が入る隙間がない。いくら米といえど、このコンビの間に挟まることは不可能だろう。
 対してホットケーキは一人で完結しようと思えばできる料理だ。お互いが自己完結している料理だからか干渉しあわず、いい意味で喧嘩しない。
 バナナとベーコンのコンビで時おり味を変えながら、残りのホットケーキを口に運べば、平皿は片づいた。締めに生のバナナをそのまま頬ばれば今日の朝食はこれで終了だ。
 次に作るのはバナナジャムである。使用本数はなんと十本。これが完成すれば今日の最低限のノルマは達成できることになる。
 ジャムのいいところは何と言っても保存ができることだ。瓶の消毒と砂糖の分量さえ間違えなければ、長期間持たせることができる。一回で十本のバナナを食べれば嫌になるが、二、三週間でバナナ十本なら無理なくできるだろう。これも全て砂糖のおかげである。砂糖さまさまだ。
 戸棚から一番大きいボウルと鍋を取り出し、早速ジャムづくりに入る。
昨日もらってきたバナナたちは皮どころか一部実まで黒ずんでいた。ただ匂いはまだ赤信号をだすほどではない。
(まあいっか。どうせ食べるの私だけだし)
 皮をむき、適当にちぎってはボウルに放りこむのを続けること数分。十本分のバナナが山を作っていた。見慣れたバナナとはいえ、それが十本も集まれば壮観だ。それらを鍋に放りこみ、砂糖をかぶせてやればもはや雪山である。砂糖の冠をいただいたバナナ山だ。仕上げにレモン汁を振りかけてやれば頂上までの道までできた。
 これは自宅でお手軽に雪山を愛でられる良い方法なのではないか。怪我をする心配も、霜焼けに怯える必要もない。必要なのは大量のバナナと砂糖。それとほんの少しのレモン汁だけ。ガソリン代や登山用品に比べればびっくりするほど安くて簡単だ。
 なんて馬鹿なことを考えながら、出来上がったばかりの雪山を崩すためにヘラをいれた。
 淡く黄色みがかった果実も黒く変色した果実も純白の砂糖も全部が混じりあって、一緒くたになっていく。自己と他者の境界線がなくなって、みんな一つになっていく。
 部屋はバナナの香りでいっぱいだ。朝からバナナに囲まれて、私までバナナになったような気分になってくる。
(昼間は豚肉でも焼くかな)
 とにかくバナナ以外の香りが欲しかった。おかず系の匂いであればなお良い。
 しかしまだバナナが十本残っている以上、私はバナナから逃れられないのである。

 ジャムを全て瓶に注ぎ入れて蓋をしたとき、時計の短針は頂点を超えていた。変色した部分もいれたせいか、菜種油のようなくすんだ黄色になってしまったが、見た目は気にしない。大事なのは十本のバナナが救われたという事実だ。
 ずっとバナナの香りに包まれていたせいかあまり腹は空いていないが、貴重なバナナ消費タイムである。この機を逃す手はない。
 使うのは豚肉、ピーマン、味噌などの調味料。それとバナナ。使用本数は二本である。
 豚肉の焼ける匂いが鼻腔をくすぐると肩の力が抜けた。見知らぬ土地で偶然友人に会えたかのような安心感がする。やはり慣れ親しんだものの匂いはほっとするものだ。
 本音を言えば、もうこのまま塩胡椒を振ってご飯と共に食べてしまいたい。だがバナナが十本もいる以上そんな甘えは許されない。
 肉に火が通ったら残りも入れて炒めていく。バナナの香りも当然するが、味噌のおかげか、そこまで甘ったるさを感じない。味噌を開発したご先祖様は偉大だ。
 ついでにサイドメニューとしてバナナ入りたまごサラダも作る。使うのは同じく二本。
 緑に黄色に茶色。カラフルでトロピカルだ。実に目を楽しませるメニューである。今朝も使った食材が四本も使用されていることに目を背けたら、の話ではあるが。あとは白米を添えれば今日の昼食は完成。
 今朝の時点で肉と相性がいいのはわかっているので、豚肉と合わせるのはそれほど抵抗はなかったが、味噌がいい仕事をしたのか、ベーコン巻きよりも協調性がある。おかげで白米とも仲良くやれた。
 サラダもいい。そもそも卵が万能型のため、バナナをサラダという異色のステージで上手く立たせている。何より塩もみきゅうりが脇役として最高の立ち回りをしてくれた。脂と糖で重くなった口には塩もみきゅうりのあっさりした味がオアシスとなる。今日の助演俳優賞は君だ。
 バナナの豚肉味噌炒めは半分、サラダは六割ほど残して冷蔵庫に入れる。これで明日の朝食はご飯を炊くだけでいい。ある意味不幸中の幸いだった。
 昼食が終われば午後の部の開幕だ。
 取り掛かるのはバナナアイス。アイスは保存方法を間違えなければ、ジャム同様長くもつ。使うバナナは二本。
 手順は簡単。牛乳、砂糖と共にジップロックの中で混ぜ合わせて冷凍庫に入れるだけ。十分もかからない。
 私は緑茶のティーバッグにお湯を注ぎ、ひと息ついた。渋い茶の味がバナナで染まった口を癒してくれる気がした。
 残るバナナは四本。
 夕飯はカレーにするつもりなので、二本は残しておく。と、なれば残る二本のバナナの行先を決めなければならない。
 どうせ二本だけなのだ。明日以降の朝食に回せばいい。私は十分頑張った。
 だが心の奥底で声がする。
 本当にここで諦めてしまっていいのかと。楽な道に逃げてしまっていいのかと。ここまでバナナと闘い続けてきたというのに、最後の最後で白旗をあげてお前は納得できるのかと。
 気づけば私は立ち上がっていた。必ずやこの廃棄予定だったバナナたちを生まれ変わらせてやらねばならない。この二本を美味しく食べてこそ、真の勝利を掴むことができるのだ。
 しかし私の腹は限界だった。度重なるバナナの襲撃に疲れ果てていたのだ。次に食欲が湧いてくるのは太陽が沈んでからだろう。
 よってバナナ二本で、なおかつ保存ができるレシピに限定される。そして今の私の手持ちでできる料理だ。
 探すこと十分。
 選んだのはバナナ酢だ。バナナを酢に漬けこむだけであるし、何より今すぐ食べなければいけないものではない。夕飯にもバナナが控えているのだ。体力は温存しなければ。
 工程はアイス同様とても簡単。煮沸消毒した瓶に切ったバナナと酢、砂糖を注いでレンジに入れるだけ。
 酢の海でぷかぷかと浮くバナナたちを見ているうちに、ふと氷砂糖を入れれば良かったと思った。瓶の中に砂糖と共に熟成していく図は梅ジュースを作る工程とよく似ている。亡き祖父が作ってくれた甘酸っぱい夏の飲み物がよみがえり、ふと懐かしいあの家に帰りたくなった。
 私は瓶の蓋を固くしめた。思い出に浸るのは明日以降でいい。

 日が落ちた。さあラストスパートだ。闘いの最後を飾るのはバナナカレーである。
 とは言ってもいつものカレーにバナナが加わるだけだ。ベーコン巻きのような心配はしない。カレーは万能料理なのでどんなものを入れても広い心で受け止めてくれる。
 いつもの面子にバナナが加わっているのはなんだか妙な気持ちだ。潰していれたので、バナナの姿は跡形もない。本当に入っているのか、見た目だけでは判断できないだろう。では味はどうか。
 一口目。カレー特有のスパイシーな香りと共に肉や人参の感触、――そしてたしかにバナナがいた。カレーの辛さを和らげつつ、南国の華やかさを損なわない。しかしそれは決して他者を邪魔する甘さではないのだ。互いの個はちゃんとあるのに、全体としてまとまっているのは流石という他ない。もはや脱帽だ。
 残りのカレーは明日の夜以降になるが、きっとより深みが出て、より味に魅力がかかることだろう。既に明日の夕食が楽しみだ。
 私はそっとスプーンを置く。試合終了のゴングが鳴った。

 ようやく長い戦いに幕が下りた。私の勝利である。崖っぷちバナナたちは一本も生ゴミになることなく、新しい姿に生まれ変わることができた。
 今日はきっといい夢が見られるはずだ。私は謎の達成感に満たされたまま、風呂の準備を始めた。


 後日、そんな熾烈なバナナとの死闘を友人に話すと、彼女はしばし考える素振りを見せた後、

「そんなにたくさんあったのなら、冷凍すればよかったじゃん」

 と、呟いた。
 たしかに。アイスを作った時点で気づけばよかったのだ。そもそも先にもらったふた房は、その日のうちに消費する必要すらなかった。
 期限が差し迫っていると私を急かせ、その日のうちに自身を食させたバナナの見事な作戦勝ちである。
 友人の視線と空の青さが痛い。私は深くため息をついた。


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