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ドラマ「俺の家の話」【第4話の感想】 “血の繋がり”によって、“俺の家”に含める範囲が変わるのか?

コメディドラマだと思って見ていたら、次々と現代的社会問題が提起されるドラマである。
第4話は“家族とは何か?”を考えさせられる回であった。その点にフォーカスを当てて分析記事をまとめてみました。

※過去の回の感想分析記事はこちら↓


世阿弥マシーンや大蛇への“変身”

寿一(長瀬智也)の週末副業バイトであるプロレス業「スーパー世阿弥マシーン」は安定した出場回数をキープするようになって、人気がうなぎのぼりでグッズ販売も好調そう。
顔出しのベテラン老舗レスラーから“覆面レスラー”へと転身し、素顔を隠して、本来の自分とは異なる“新しい人格”に変身して戦っている。
出自も国籍も謎で、“初心”を大切にはしているが、日本人なのかどうかも、その時々の状況によって設定は変わる。ゼア、ゼア、としゃべる。宇宙人説も囁かれている。突然リングにあらわれた謎多きレスラー。

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“変身”といえば、地域のイベント『YES!子供だって能(No)!』に向けて稽古をしている演目は「道成寺」。
大きな鐘の中に閉じ込められた白拍子の娘が、次に出てきたときには大蛇へと転身して、僧たちに襲いかかってくる。

沸々と溜まりに溜まったエネルギーは爆発するような作用が起こって、元の形から見た目の造形を変質させて現世にあらわれる。そういう不思議な出来事が能の舞台で語られる。熱いエネルギーが、ヒトやモノを新たな形へと変身させるのだ

俺の家の“血筋”の話

もうひとつ、今週は重要な問題が語られる。こちらのほうは“目に見えないもの”の話しなのだが「血筋について」だ。

寿一の前妻(平岩紙)が再婚相手を紹介してくるが、秀生(羽村仁成)の父親については「俺だけだ」とこだわりを見せる寿一。
育児はほとんどしてこなかったのに、再婚にも反対しているわけでもないのに、そこは譲れないと考えてしまっている。

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また、寿三郎(西田敏行)はある夜、三兄弟を呼び出して「実は寿限無(桐谷健太)は自分の隠し子だった」と告白をする。息子娘たちは急には事実を受け入れられず「このクソジジイ!」と悪態ついて次々と家を飛び出していくが、当の寿限無本人は、寿三郎の話しを静かに最後まで聞き終えてから「承知しました」と冷静に返事して部屋をあとにする。

「血が繋がっているか否か」によって「それほど違うものなのか?」という問題について考えさせられる。21世紀の現代には多様な家族形態があるし、血が繋がっていなくても濃密な関係性だってある。実際、夫婦の婚姻関係だって血は繋がってないし。他にもこのドラマの中では、「養子」や「長兄制度」、「婚約者」や「財産贈与」、それに「再婚後の名字(姓)」といった、家族定義周辺の問題がとりあげられてもいる。

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いまさら寿限無に言う必要があるのかよという考え方も議論されるが、さくら(戸田恵梨香)は「伝えたほうがいいと思います」と言った。前回、自らが親に恵まれず何人もの父親が入れ替わり立ち替わりいたと告白したさくらは、さくらなりの“本当の血の繋がった父親”への考えがあるのだろう。

この物語は『俺の家の話』というタイトルだが、どこまでを「“俺の家”とみるのか?」という“枠”の問題がここで語られているのだろうと思う。
“家族介護”がメインテーマであり「家族だからできること、家族だからできないこと」に向き合いながらも“初めての介護”に悪戦苦闘する観山家の物語が、果たして「血が繋がっているから家族」なのか、「同じ一つ屋根の下に住んでいたら家族」なのか、「戸籍に列記されていれば家族」なのか、“家族とはなんなのか?”

このドラマに出てくる主要な職業として、能楽師とプロレスラーがあるが、どちらも“一座”としての活動形態で運営されている職業である。一般的な会社に比べると比較的、“家族”に近い仲間たちとの活動形態をとっている。同じ釜の飯を食べる仲間たち。そういう“家族”だってある。

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寿限無の変身、“子供だってNo”

でも、寿限無本人は、寿三郎の告白を聞いたあともあまり変化がなく、「血縁かどうか」はあまり気にしていないような様子で描かれる。
しかし『YES!子供だって能(No)!』の本番直前に、寿限無は姿を消す。いなくなってしまう。居場所がわからなくなり探してもいないが、秀生が偶然、大鐘の中に隠れている寿限無を見つける。寿限無は泣いていた。

道成寺で白拍子の娘は、姿を変える、大蛇に。
寿限無も、鐘のなかから出てくると、ヒトが変わっている。
静かに、うるせえクソジジイ、とつぶやき、そして、能面を顔につける。
溜め込んだエネルギーは、姿形を異形に変質させてしまう。寿限無は大蛇へと変身する。

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くしくも、ふざけたイベントタイトルは、今回の“問題提起への返答”を暗示しているのである。
寿限無にだって感情がある。長い歴史がある。養子だから我慢してきた事も沢山沢山あったのだ。「子供だってNo」なのである。
家族だからこそ、許せない事がある。
寿限無がどう出るか。どんな大蛇が鐘の中から登場するか、それは来週に続くようである。

(おわり)
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miyamoto maru
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