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小児がん女子・シーズン2(1)

2019年8月26日、長女は外来で診察を受けた。2018年の4月はじめに退院し、1年以上が経過していた。これまで1~2カ月に1度、内科で受診していたが再発の兆しはなく、先生も「大丈夫だね~」と毎回和やかな雰囲気だった。

それが、その日の診察で「とんちゃん(長女)、ママにお話があるからちょっと外に出ててもらっていい?」と先生がにこやかに長女に言った。長女は外に出た。いやな予感しかしなかった。

「肝臓付近に塊があります」と。腫瘍とは言われなかった。「えー…」と顔を覆ったことを覚えている。

「水がたまっているのかもしれない。検査しましょう」と、急いでMRIの手配をしてもらい、そこから食事はNG。手の甲に点滴を入れられゲームもできないまま、数時間を長女と過ごした。

途中、私と長女それぞれのスマホ、長女のswitchの充電がなくなり、充電器を買ってくるも、コンセントが使用できずに高い買い物をして泣く。電池式を買ってきて、3台分の充電を順番にしていたが思うように溜まらずに泣く。

ご飯も食べられない、ゲームもできない、スマホもほとんど機能していないという3重苦を耐え、長女は検査に向かった。

検査後、しばらくして先生が来た。夫も会社から駆け付け、3人で話を聞くことにした。

画像を見ながら「4cmくらい。再発が疑われます」と。開けてみない限り、断定できないそうだ。「腫瘍にしては、血液が流れ込んでないんだよね」という先生のつぶやきを覚えている。

夫は何ともいえない顔をしていた。多分、私もそんな顔をしていたのだろう。その後、以前もお世話になった外科の先生と話をした。

私たちと話す前に、内科の先生が画像を見せながら外科の先生に説明していたが、「これなら取れる取れる~」と軽い調子で話していた。

「再発か、もしかして炎症を起こしているだけかもしれない。いずれにせよ開けて取りましょう」と。塊そのものは簡単に取れそうな位置と形らしい。再発の場合は、化学療法でたたいておこうと言われた。

長女は、ずっと黙って聞いていた。「大丈夫?」と聞かれても、「大丈夫」と答えていた。自分の病気がどのようなものか、治療によってどのようなことが起きるかは把握している。

長女は「小児がんはきちんと治療すれば死ぬことはない」と理解していた。以前の経験からだ。「死ぬかも」と思ってしまったステージⅣでも、長女は治療をして帰ってきた。

即入院即手術という状況でもないということと手術の枠を取れないということで、翌週の入院・手術で決まった。親としては一刻も早く~と思うけれども、それほど切迫した状況でもないことに心の余裕が持てた。

長女の真意までわからないが「学校に行かなくてよかったー」などと、入院までゲームとYouTubeを満喫していた。学校のクラス自体が荒れていて、いわゆる学級崩壊を起こしかけていたのだ。面倒でいやだったそうだ。

入院まで2人でケーキを作ったり、買い物に行ったりと、夏休みの延長のような日を送っていた。ずっと続けばいいのに、と心から思ったことを覚えている。

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