【短編】追放された聖女は亡命先で糾弾される【約7500字】

 なぜ国のために青春のすべてを犠牲にして、血と汗を流し続けていた私が王宮から追い出されることになってしまったのか、事細かに説明する必要はないでしょう。
 
 冤罪でした。すべてが不当でした。私の声は神にすら届かず、覆ることはありませんでした。
 真犯人は誰なのか。誰が嘘をついているのか。誰が私を陥れようと画策していたのか。すべてどうでもいいこと。
 
 婚約者だったロサ……祖国アスバラの王子は初めのうちこそ私を信じて動いてくれていましたが、日に日に私を見る目が暗くなりました。
 潔白の私ではなく、次々と並べられた偽証に心が揺れ動いた彼は「本当にやっていないのだな?」と念を押すように言いました。何度も、何度も、そう言っているのに。私は諦めました。

 極刑。極刑あるのみ。周りは石打ちを熱望しましたが、人望が厚い王子ロサの口利きもあって用意された別宅にて幽閉されることになりました。
「殿下の靴でも舐めることだな」と誰かさんがゲラゲラ笑っていました。王子ロサは「必ず名誉を挽回する」と言いましたが、私の凍りついた心には響くことはありませんでした。城から出ても、思い出の丘を越えても、けして振り向いてはやりませんでした。
 
 私は聖力せいりょくを使って監視役を振り切り、海を渡り亡命しました。近々、私の力が惜しくなるのは目に見えていました。再び搾取されるのはごめんでした。
 私は物心ついた頃から聖女としてアスバラを魔素まその脅威から守っていました。魔素は魔物を活発にさせるだけでなく、人間を狂気で侵し死に至らしめるという未だ正体の解明に至っていない恐ろしい存在です。それを私の聖力で打ち消すことができていたのです。
 
 ロサがいつも励ましてくれたから。いつも感謝の言葉を忘れずにいてくれたから。くじけることなく頑張り続けていられたのに。
 私がいなくなったら魔素はどうするのかと釈明の際にも言いましたが、新たな聖女が現れたのこと。つまりは、そういうことです。
 私が必死に命を削っていた間、彼はよろしくやっていたということなのでしょう。元より噂は絶えませんでした。まことしやかに話が浮上するたびに彼は慌てて噂の根を叩き、「私はあなたに夢中なのだ。信じてくれ」と。甘い言葉をささやく唇は今や不快の根源です。
 
 第二の人生の地を踏み、そこでも魔素を消し続けました。聖女なのですから、務めは果たすべきでしょう。
 亡命先のハイグランドは海に面した段丘の国です。魔素は酸素よりも重いので、他国と比べて被害が少ない土地でした。
 
 私はハイグランドの王子チョウに見初められました。最も被害がある最下段で魔物を弱体化させ、魔素に侵され狂い死にそうになっている民を救う私のひたむきな姿に惹かれてくれたのです。
 私たちは結婚し、チョウは国王になりました。子どもができ、いつ破水してもおかしくはない時期に入った頃……海の向こうのアスバラが魔素に脅かされ酷い状況だと聞かされました。
 
 予想通り、新しい聖女は役立たず。アスバラは窮地に陥りました。
 私がハイグランドで王妃になったと知り、ロサが護衛もつけずひとり海を渡って私の前に現れました。会いたくはなかったのですが、チョウが海を隔てた国の現状を詳しく知っておきたいと言うので、仕方なく謁見のに顔を出しました。
 
 一年足らずでロサは随分と老け込んでいて、なぜ彼のことを一途に思っていたのかわからなくなってしまうほど魅力が削げ落ちていました。
 
「随分と探した。もう二度と会えないかと思った」
 
 不快な根源は健在でした。
 
「私は会うつもりなんてなかったですけどね」
 
 辛い思いをしたのは私なのに。ロサは傷ついた表情をしました。
 
「わざわざ遠くから来てくれたのだ。そう冷たくしてやるな」
 
 チョウが苦笑いしながら言いましたが、私は優しくするつもりは毛頭ありませんでした。
 
「護衛をつける余裕もないほどなのか」
 
 ハイグランド王の指摘に、ロサはうなだれました。
 
「魔素の浸食が早く、清浄が間に合わないのです」
 
 魔物が国に入ってこないように、アスバラ王の指示で何年も前から国境の長壁の増築を着実に進めていました。しかし魔物は高い壁を越え、破壊し、天の結界を突き破ってくるほど活発になっているそうです。駆逐に国軍だけでなく自治隊まで出動しなければならず、魔物による死亡数が上昇し続けているそうです。
 
 恐怖は感染し、魔素で国民は狂っていったそうです。家族同士で、友人同士で殺し合ったそうです。埋葬する暇もなく蓄積されていく死体の山を見上げ、国民は爽快に笑い狂い死んでいったそうです。身を守るために壁を築いたのではなく、閉じ込められるためだった。逃げ道を狭め、袋の中の餌になっていたのだと歓喜し、死んでいったそうです。王城内も死屍累々として機能していないそうです。
 
「本当は、もっと早く真実を突き止め、きみを陥れた者たちを一網打尽にできればよかったのだが。疑いを晴らすのに時間がかかってしまった」
「そうですね」
「きみの居場所を取り戻すために、全力で名誉の挽回に駆けずり回ったのだが……今となっては意味がなかったのだろうな」
「そうですね」
「本当に、すまなかった。償っても償いきれないことをした」
 
 ロサは深く頭を下げました。
 
「そうですね」
 
 これは私を呼び戻すための手段だとしか思えませんでした。
 
「彼女が言うには新しい聖女とやらと浮気をしていたようだが?」
 
 ハイグランド王の問いかけに、またしてもロサは被害者ぶった蒼白な顔をしました。
 
「神に誓って私は……いえ、もはや何を言っても信じてはもらえないのでしょう。あれは藪蛇です。アスバラを滅ぼすために寄こされた使いなのです。奴の目論見通り、我々は誤った道に突き進んでしまった。奴の目的は今にも、果たされようと……」
 
 突然、ロサは息を詰まらせました。胸を押さえながら前のめりに倒れました。チョウが慌てて駆け寄って上体を抱き上げると、ロサはガクガクと震えながら泡を吹いていました。
 
「しっかりするんだ!」
「しゅ……醜態を晒してしまい、申しわけ……ございません。こ、この国に着いてしばらくはマシだったのですが……は……かのじょに会えて、ちからがぬけてしまったようです……」
 
 泡を垂らしながら息絶え絶えに、ピンク色の鼻血まで流し、笑いながらロサは言いました。
 
「死ぬのは、仕方ありません……自業自得……ですが、こ、国民に罪はありません……どうか……アスバラを……どうか……」
 
 ついにはピンク色の涙まで流して私の感情に訴えてきました。仕方ないので、私は歩み寄って彼の手を握りこう言いました。
 
「見てのとおり私は身重みおもなの。無事に赤ちゃんを産んで、体調が良くなってからでもいいなら、アスバラに行くわ」
 
 ロサは目を見開き、「ありがとう」と満面の笑みを浮かべて息を引き取りました。聖力で命を繋ぎ止めることはできなかったのかとチョウは悲しそうな目を向けてきましたが、私はハッキリとできないと答えました。
 
 その後、私はロサの亡骸を海に投げ入れるように家臣に命じました。チョウは驚いていましたが、魔素に侵された死体をいつまでも放置するわけにはいかないのです。せめてアスバラに帰そうと食い下がってきましたが、国に返したところでまともに葬儀が行われるはずもないと言えば納得してくれました。
 
 死体が海に沈んでいくのを見届けた私は「ざまあみろ」と誰にも聞こえないように言ってやりました。許せるわけがなかったのです。
 そんな私なので、聖女として資格をはく奪されたのでしょう。「ざまあみろ」が呪文になったのでしょうか。その日から聖力が使えなくなりました。
 しかし問題はありませんでした。翌日には娘リナを出産し、聖力が彼女の方に受け継がれていました。なので、私が「ざまあみろ」だなんて発言して力が失われていることに気づいた者はいませんでした。
 
 私は出産の疲れが酷く、アスバラへは行きませんでした。何せ海を渡らなければいけないのですから。その後も体調が芳しくなかったので延期し続けました。そしてついにアスバラが壊滅したという知らせが届いたのです。
 あの国は魔素で汚染され、魔窟となり、少なくとも百年先は人間が立ち入れられない不浄の土地となりました。私は悲しむふりをして、ひとり部屋で「ざまあみろ」と何度も歓喜しました。
 
 それから二十年が経ちました。私は幸せでした。
 
 わずか二十年で、アスバラは海に沈みました。魔素との因果はあるのか、原因不明の海面上昇はハイグランドの国土もじりじりと削っていきましたが、最下段の住民を避難させるかどうかの決断をする前に上昇は収まったという報告が入りました。
 ホッとしたのも束の間で、海が割れたという報告が入ってきました。天変地異の前触れだと王宮内は大騒ぎ。落ち着くよう夫がまとめている間に……あの男が謁見の間に現れたのです。
 
「ロサ……?」
「いいえ。そんなはずがないのは、ご自身がよく知っているでしょう」
 
 魅力的だった頃のロサと瓜二つの顔でにらみ上げ、憎たらしい声で冷たく言い放ちました。
 
「シャン!」
 
 若い頃の私そっくりに育った娘が飛び出してきて男に抱きつきました。男は一瞬だけ娘に甘く微笑み、すぐ険しい眼差しを私に向けました。
 
「私はロサの息子です。あなたに希望を託し、見捨てられたアスバラの王子ロサの子です」
 
 男の言葉に場はどよめきました。「生き延びた者がいたのだな」と夫が喜びと歓迎の声を上げましたが、男はゆっくりと首を横に振りました。
 
「いいえ。あなた方の知るアスバラは滅びました。ロサの子と言いましたが厳密にはそうではありません。私は彼の魂の分身のような存在なのです」
「どういうこと?」
 
 私が問うと、娘に怒りに燃える目を向けられました。一体この子はいつの間に逢瀬を繰り返していたのでしょうか。
 
 興奮で今にも罵倒しそうな娘の髪を優しくなでてなだめながら、男はこう答えました。
 
「あなたはロサの亡骸を海に捨て“ざまあみろ”と、そう言いましたね」
「きみはそんなことを言ったのか……?」
 
 夫は唖然としました。私がそんなことを言うはずがないと反論する間もなく男は続けました。
 
「だから海の女神ンナ・マレが憐れみ、彼の魂を救いあげたのです。アスバラを海に沈めたのも、彼のためだったのです。アスバラは海底の国として再建……いえ、陸にあった頃よりさらに繁栄するでしょう」
「あなたはンナ・マレの子だとでも言うの?」
「ンナ・マレの涙、ロサの魂で生まれたのが私です」
「その証拠はどこにあるの? 国民はみな死んで海に沈んだのに、国が復活するなんて本気で思っているの?」
「信じたくないのであればそれで構いません。ですがかい帝国アスバラの王として、私はあなたを告発します」
「なんですって?」
 
 私はこの男を拘束するように兵に命じました。しかし、誰も動くことができませんでした。見ると、全員の足元に黒いもやのようなものが蛸のように絡みついていたのです。どんなに力強く振り払おうとしても、誰一人脱することができずにいたのです。
 
「アスバラが蛇の悪意に侵され危機に陥りました。あなたもその被害者の一人でした」
「ええそうよ。みんな私を信じてくれなくて、仕方ないから追放に甘んじたの」
「みんな。あなたの言う“みんな”とは? アスバラの国民全員があなたを信じなかったとでも言うのですか?」
「ええそうよ。別宅に向かう間みんなから罵倒され、石まで投げつけられた。何も悪くないのに!」
「国民全員が、あなたを罵倒したのですか?」
「そんな細かいことなんてどうでもいいじゃない! 私は許せなかったのよ! 誰も私のことを庇ってくれなかった!」
「ロサは……蛇の悪意に惑わされながらも、あなたを最後まで信じていましたよ」
「嘘よ!」
「本来は処刑されるはずだったというのに」
「ええそうね。けどそれは私の力が惜しかったからよ。だから監視を振り切ってやったの」
「あれはあなたを蛇から守るためでした」
「なんとでも言えるわね。だったらなぜ私に何も言わなかったの? 教えてくれていたら私だって」
「教えていましたよ。ロサは何度もあなたに無実かどうかの確認をしていましたね。あなたが是と答え続けることで、彼も蛇の悪意に抵抗することができていたのです」
「そんなこと知らないわ!」
「ええ、あなたは知らなかったのでしょうね。彼がどれだけ必死にもがいていたのか。まあ、弱い姿を見せたくなかった彼にも落ち度はあったのでしょうね。それでも、必ず名誉を挽回すると言った彼を信じなかったのはあなたですよ」
「だって彼は浮気を」
「していません。蛇のまき散らした噂は非常に厄介ですね。延々と人の弱みに絡みついて離れない。国が滅んでもなお、あなたは噂を信じ続けている」
 
 ロサと瓜二つの眼差しは氷のように冷たく、私はぞくりと背筋が震えました。
 
「それと。仮に浮気をしていたとして、それがあなたの浮気をする理由にはならないですよ」
「は?」
「あなたが結婚した時期と、彼女が生まれた時期を計算すると、そういうことになりますが。相手はアスバラ人ですか?」
「あんた何を」
 
 夫が「どういう意味だ?」と混乱しながら私に疑惑の視線を向けてきました。娘も涙を浮かべていました。
 
「私は浮気なんてしてないわ! 一緒にしないで!」
 
 本当に私は浮気なんてしていませんでした。またしても冤罪をかけられました。
 
「ですからロサもしていないですよ。通じない人ですね」
 
 悪い子を叱るかのような声音。私の苛立ちはひどくなるばかりでした。
 
「まあ、あなたが浮気をしているかどうかはこの際どうでもいいのです。私にとっての問題は、あなたがアスバラに帰らなかったこと。この一点にありますからね」
「その時は出産で」
「ええ、ええ。知っていますよ。リナを産んでくれて感謝しています。産後はすぐれなかったそうですが、そのあとは仮病であったのは明白です」
「仮病じゃないわ! それに、行ったところでどうせ間に合わなかったわよ!」
 
 しん、として。黒い靄と格闘していた兵士たちが動きを止めました。誰もがあらぬ目で私を見つめました。
 
「間に合うかどうかではなく、見捨てたかどうか。本当に体調が悪くふせっていて、それで罪悪感を覚えていたのなら。懸命に海を渡り、間に合わなかったことを悔いていたのなら。アスバラが海に消えたことを悲しんでいたのなら。私はここにはいません」
 
 諭すように男は言いました。
 
「“ざまあみろ”とあなたは言った。ハイグランド人を救ったことは称賛しましょう。ですが、それでアスバラ人を見捨てた罪を償ったことになるのでしょうか? つり合いが取れているのでしょうか? そもそも償いのつもりでハイグランド人を助けていたのではない。聖女として当然のことをした、そのつもりなのでしょう。その時点ではまだ純粋に怒り、許せずにいただけなのでしょうか」
 
 男の声が謁見の間に響き続けました。
 
「ですが“ざまあみろ”と。あなたは明確な悪意を持ってアスバラを救うことを放棄したのです」
「違う! 私はただ復讐したくて」
「ええ、それで。満足したから“ざまあみろ”と言って聖女である資格も放棄した。ハイグランド人を救うことも放棄したのです」
「今はリナがいるわ!」
「ふざけないで!」
 
 怒りのあまりに叫んだのは娘でした。
 
「私はこの国を出ます」
 
 娘の宣言にまたしても場がどよめきました。
 
「り、リナよ! これからどうするというのだ!」
「お父様。私はシャン様と共にアスバラへ行きます。ですがご安心くださいませ。遥か海の底からでも魔素を清浄することはできます」
「し、しかし」
「その人は救いに向かわなかった。ですから私が代わりに行くのです」
 
 娘の凛とした決意に、夫は唇を震わせました。
 
「あんたリナに何を言ったの!? 娘を巻き込まないでちょうだい!」
「いいえ! これは私の意志で決めたことです! あなたはロサ王子を愛することをやめた! だから代わりに私が彼を愛します!」
 
 彼女に怒鳴られました。夫のことはお父様と呼び続け、私のことはもう母親だと思っていないのでしょうか。一体いつから。
 
「僕はロサの代わりなのかい?」
「言葉の綾です。私はシャンを愛しています」
 
 ふたりは甘く見つめ合いましたが、すぐにそろって私の方に厳しい目を向け直しました。
 
「王妃様。私はあなたを一生許しませんが、私はあなたと違って祖国の民を見捨てはしませんので」
「ハイグランド王。その女性をどうするかはあなたにお任せしましょう。二度とお会いすることはないでしょうが、娘を必ず幸せにすると約束します」
 
 夫は土気色で「つれていかないでくれ」と懇願しました。
 
「お父様。私ひとりがいなくなるだけです。国民全員が見捨てられるよりマシなのです。海の底からずっとお父様のことを思っていますわ」
 
 娘は涙を流し、夫にだけ愛情のこもった笑顔を見せました。
 
 男は娘をつれていってしまいました。黒い靄から解放されてからも、私たちはしばらく呆然と立ち尽くしていました。
 
 私はハイグランドに尽くしてきたつもりです。それなのに夫は私を幽閉することを決めました。そもそも娘を産んでから体調不良を言いわけに王妃としても聖女としても職務をまっとうせず、子育ても侍女に任せっきり。王宮の敷地からも出ていなかったので、今までと大して変わらないだろうと夫は力なく言いました。
 
 ほどなくして彼が側室を迎えたことを知りました。娘が女王になる予定が崩れたからです。二年後には男の子が生まれたそうです。
 ハイグランドだけでなく、海に面している国はすべて魔素からの脅威が弱まったそうです。約束通り、海の聖女となったリナが頑張ってくれているのです。

 毎日、私は窓から海を眺めました。あれから海が割れることはありませんでした。 
 私がずっと考えているのは、結局、蛇の悪意とは何だったのかということです。単なる気まぐれだったのでしょうか。アスバラに何らかの恨みがあったのでしょうか。ロサに聞いてみればよかったのでしょうけれど。蛇の悪意さえなければ、私は今頃ロサと幸せになっていたというのに。
 
 窓を開けることはありませんでした。開けてしまえば潮騒が聞こえてくるのです。ざまあみろと、誰かがゲラゲラと笑っているのが聞こえてくるのです。
 
おわり

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