海に沈む、2
「聴こえは正常です」
思いの外丁寧な聴覚検査の後、診察室で伝えられた診断に、ほう、と私は感心する。聴こえは、正常。ということは正常ではないのは他のところなのだ。
「ジカン、というところに何かしらあるかもしれませんが、経過観察がいいと思います」
頭の中で、時間、と変換されたそれは、次第に耳と結びついて、耳管、へと形を変えた。お医者の先生は説明を続けてくれる。
「耳と鼻や喉をつなぐ管のことです。トンネルとか、山とかで耳が詰まるような状態が、何かの拍子に起きることがあるのです」
「2週間経っても変わらなければ、もう一度来てください」
耳鼻科を出て駅に向かう。聴こえは正常、という言葉に励まされて、私は少しだけ、もどかしさに固くなっていた身体を解く。身体が解けると、詰まっていたのが耳だけではなく呼吸もだったのだと気がつく。久しぶりに、と言っても数時間ぶりに、だけれど、お腹の深くまで空気を送り込んだ私は、勢いづいて地面を踏み締めるようにして歩き始めた。
そうして考える。つまり私は、何かの拍子にトンネルに入り込んだ、ということなのだ。一体なんのトンネルなのだろう。この、海の中にあるトンネルは、どこからどこに通じているのだろう。
先生は、経過観察がいい、と言っていた。どこに行くのか、どこに向かうのか、観察してごらんということだ。ぼわぼわする耳と共に、私は、どこに行こうというのか。それに、そもそも私はどこから来たのだろう。どこから来て、今どこにいて、どこに向かうのか。その流れの全てを、知りたい気がした。私の耳がトンネルに入り込んだのは、しかも水の中にあるトンネルに入り込んだのは、一体どんなルートを選んだ結果で、どこに向かう過程なのだろう。
考えながら私は、唾を飲んだり、深く呼吸したりする。そうしてそのたびに大きく響く、それらに携わる器官の音に意識を傾ける。いつもの数倍、それらの器官の存在感が増している。そう、私がいるのはわたしの海の中なのだ。ここで響くのは、わたしの音。居心地がいいようでもどかしく、届きそうで届かないなにかを、いつも拾い上げようとしている。それは、結局、わたしの海なのだ。
気がつくと、私はゆらゆらと揺れる深い青の中にいた。踏みしめていた地面はもうそこにはなかった。今朝目を覚ました時よりもずっと、深いところ。それははっきりと、わたし自身の海だった。自らの海の中で、沈むように、埋もれるように、自分の全てに耳を傾ける。膜を張り、繭のようになって、わたしを私として動かしてくれているあらゆる音に、耳を澄ます。それは自分の身体が分解されていくような、突然器官ひとつひとつが独立した意志を持ち始めるような、それぞれになって、ひとつひとつになって、原始の頃に戻るような、感覚だった。
そうだ、だけれど結局、私という生き物は、本来それぞれであった粒が集まったものなのだ。粒が波を描いて、私というひとつの旋律を鳴らして、この世に存在することになったのだ。私はこれまでそれを、ただ一本の弦による振動だと思っていたけれど、一本の弦は強く、柔く、依られたいくつもの糸から出来ていた。
ひとつひとつの糸は、弾かれる度にそれぞれの音を奏で、それらがお互いの音を聴いて響きを増し、どこまでも辿り着けるほどの広がりを持って、鳴っていた。いつの時も、私がどこにいようとどこに行こうと、わたしを私として、この世に響かせてくれていたのだ。
私は深く深くまで、耳を澄ます。足の先から頭のてっぺんまで、震え、鳴り響き、海を揺らす波。わたしを私とならしめているそれら一本一本の糸の、細く輝く光のような音を、地上にあっても轟かせたいが、ために。