オタクが見つけた同調圧力と戦う「法則」
久しぶりにnote書いてみようと思います。
いきなりですけど私、すごく人の影響を受けやすいです。
皆が右と言えば右な気がするし、左と言えば左な気がしてしまう。
自分の意思を一本貫き通した人間でいたいのに
いつも周りの目を気にして、世間体を気にして、自分の中にある偏見でがんじがらめになって結局「多数派」に落ち着いて安心してしまう。
「本当の自分の気持ち」はいつもどこかへ消えてしまっていました。
怖いのはそれにいつだって気付いていないこと。
なにかを選択した時点では「これは誰にも左右されてない私の意思だ」
と信じきっているのです。
あとになってみて
「あぁあのときの選択は周りの目を気にして決めてしまった選択だった。
私本来の意思ではなかったな」と気付くことも一度や二度じゃありませんでした。
人の影響を受けやすい私にとって
他人の意見はそれくらい気付かないほど静かにゆるやかに、でも確実に
頭の中に蔓延って離れない厄介なものでありました。
このままではいけない。
本当の自分の気持ちを大切にして生きていきたい。
そこで私が編み出した法則が『逆さまの法則』でした。
同調圧力に気付く『逆さまの法則』
例えば周りを見渡すと皆青い帽子を被っていたとします。
みんな口々に「青い帽子はいいよ」「やっぱり青でしょ」「赤はないでしょ」
と言います。
そんな言葉は自分の意識していないところでも頭に残っています。
そしたら私も段々と青い帽子を被りたいなと思えてきて青い帽子を手に取ります。
周りなんて関係ない。私は私の意思で青い帽子を被るのだと思い込んでいる。
でも果たしてそうなのか?
そこで『逆さまの法則』を使います。
もし仮に周りが皆赤い帽子を被っていて
「赤い帽子が一番いい!!」「青はないでしょ」
なんて言っている世界線に変わったら・・・
果たしてそれでも私は青い帽子を頭に乗せていたんだろうか?
もしそこで「いやぁそれなら青い帽子被るのはやめておこうかな」と思ったのなら
もはや『青い帽子を被りたい』というのは周りに流されていただけで
本当の自分の意思ではないことに気付けるのです。
私のしたかったことは「青い帽子を被りたい」のではなく「周りに合わせて安心したい」だったということに気付くのです。
帽子なんてハナからどうでもいいのです。
それに気付けたら「実は帽子じゃなくて黄色いサンバイザーが欲しいんだよね」って思うかもしれない。
見えてる世界をひっくり返すことでだんだんと隠れていた本当の自分の気持ちが見えてくるようになってきます。
こうやって文章にして客観的に見てみると
「それ最初から周りに流されてるの丸分かりじゃん」って思えるんですが
(私も文章にしてみたらよくわかった)現実だとまぁこれが難しいんです。
そもそも周りの目なんて気にしないよっていう人はわざわざこんな回りくどいことをしなくてもすぐに本当の自分の気持ちを確かめることができるのかもしれません。
でも周りの目を気にして世間体を気にして
無意識的にも周りの意見に影響を受けすぎてしまう私にはとても難しいのです。
青い帽子を被っているときは「青い帽子を被りたかったから被れて良かった」とさえ本気で思っているのです。
本当は青い帽子じゃなくて黄色いサンバイザーを身につけたかった。
と気付くのはいつも何年も後になってからでした。
これがたかが帽子の色の話だったらまだいいです。
進学、就職、恋人、結婚、妊娠、出産、子育て、車、家・・・
人生にはたくさんの選択があります。
まさに「人生は選択の連続だ」ってやつですね。
その人生の大きな選択の中で私が『逆さまの法則』に気付いたキッカケは大学進学でした。
オタク大学生の後悔
私は当時絵を描くのが好きな腐女子で美術科クラスのある高校に通っていました。
周りは全員腐女子で毎日毎日アニメの話をして漫画を描いて同人誌を出して・・・
寝てるとき以外はずっとBLのことを考えて絵を描いている。
趣味の合う友達と趣味の絵を切磋琢磨しながら
それはそれは毎日楽しく充実した生活を送っていました。
でも進路を決める時期。
絵を描くのは好きだけど絵の才能はないと思っていたので
「絵を描いていたって食べていける訳じゃない」
「閉鎖的な環境で人から嫌われやすい趣味ばかりしていてはダメだ」と思うようになりました。
昔ほどではないですがまだまだオタクに対する偏見も差別も激しかった時代です。
趣味の内容からして腐女子となると余計にです。
リア充で日々謳歌している学生が世の当たり前で、オタクは日陰者で否定されてもしょうがない雰囲気がありました。
事実普通科クラスの人達からは「このクラスはオタクだらけで気持ち悪い。教室内も臭い」と揶揄されることもしょっちゅうでした。
その刷り込まれた偏見意識はオタク本人である私自身も強く持つようになっていきました。
『絵ばかり描いている腐女子は日陰者で気持ち悪い』と。
それが私の目の前の当たり前の世界でした。
「もっと普通の人と触れ合って普通の人間にならないと!こんなキモオタのままでは一生迫害されて社会に出られない。」本気で焦りを感じていました。
最終的に進路を決める際
「私はオタクをやめて普通の大学生になりたい。これは私の意思だ」と本気で思っていました。何百冊もあった大事な同人誌は全部捨てました。
「○○を学びたい」などはなく「迫害されないような世の中の求める"普通の人間"になりたい」がためだけに大学に入りました。
親からしたら高い学費払ってヒドイ話だよね(笑)
そこからの4年間はもう地獄でした。
動機が動機なのでこの大学で学びたいことなんて何一つなかった。
趣味の話が通じる人は全然いないし(そもそも脱オタしたかったので封印してた)
学内の空気自体が肌に合わないのをひしひしと感じていました。
高校時代のように絵を切磋琢磨するような環境ではもちろんない。
みんな彼氏彼女や人間関係の話で持ちきり。まるで別世界でした。
当然です、それが私の望んだ世界でしたから。
そんなリア充になりたくて大学に入ったけど
結局心からそういうことをしたいと思う気にもなれず
そもそもそんなことできるコミュニケーション能力も持ち合わせておらず。
あっという間に私は孤立しました。
思い返すとこの頃にはちょっと鬱の気も出てきていて
いつも「私は気持ち悪くてダメな人間だからちゃんとしなければならない」
と思うようになり、正常な思考もあまり持ち合わせていなかったように思います。
「いってきます」の次に喋る言葉が「ただいま」の日もザラで
毎日毎日壁に向かってお弁当を食べていました。ザ・コミュ障(笑)
「こんなに辛いなら新しく環境を変えよう」なんて気力も一切湧いてこず
大学生にもなって保健室通いの日々もありました。
就職氷河期だったこともあり中退する勇気もなく、指折り数えてなんとか卒業したというような感じでした。本当に本当に辛かった。
そして今。
私が学生時代のときに蔓延っていた
「オタクが気持ち悪い」なんて見方はほとんどなくなった世界。
積極的に"推し"を作ろうなんていっている世界。
オタクはネガティブなイメージからポジティブなイメージに様変わりしました。
私が思っていた『当たり前の世界』はいとも簡単にひっくり返りました。
なんでこんなことになったのか。
それは単に「自分の本当の気持ち」を尊重しなかった自分のせいに他ありません。
周りの意見に流されてプライドだけ高く、人からどう見られるかばかり気にして
自分で自分の大好きな趣味を全否定し続けた自分のせいなのです。
最初から自分の気持ちにとことん素直になれば良かっただけの話なのです。
世論なんてあっという間に変わります。
これが本当の「手のひら返し」か、というくらい瞬く間に変わる。
目の前の世界をひっくり返した先が明日の未来かもしれない可能性は十分にあります。
目の前の世界をひっくり返してみる
だからこそ私はもう「本当の自分の気持ち」を無視したくはないのです。
自分の本当の意思に気付かないで周りに流されて選択した先で
どんな日々を送るか経験してしまったから。
でも三つ子の魂百まで。
人の目を気にしてしまう性格はそう簡単には変われないから今でも「自分の本当の気持ち」を見つけるのはすごく難しい作業です。
周りの環境のみならず今はSNSや動画、テレビなどあまりにも入ってくる情報の量が多いです。
すぐに世間に流されて同調圧力の波に攫われて溺れてしまいそうになります。
そのときに頼りになるのが『逆さまの法則』という浮き輪なのです。
私の場合、世界を逆さまにしても変わらない答えが「本当の気持ち」であることが多いです。このやり方が一番「自分の意思」を探しやすい。
こんな些細なことでこんな盛大に躓くコミュ障オタは私だけかもしれません(笑)
でも誰もが大なり小なり周りの影響を受けて自分の気持ちが分からなくなってしまう人もいると思うんです。
それで最善の選択を選べず後悔したことがある人もいると思うんです。
そんなとき
今悩んでいる世界を
今当たり前だと思っている世界を
一度頭の中で正反対にしてみて欲しいんです。
そんな世界だったら
あなたは何を選択し、何を考え、どう行動しますか?
もし明日世界がひっくり返っても、それでも変わらない気持ちがあると思うんです。
その気持ちをしっかり見つけて大事にしていけるよう
これからも躓いたら私は目の前の世界をひっくり返します。