見出し画像

西のマルーン 東の臙脂に混ざる時

ここ数年、家の近所以外を散歩する場合の正解が”早稲田”になりつつある。早稲田大学そのものよりは広く早稲田駅一帯を指している。しかし頭の中の村上春樹が俺をやたらに夢想早稲田生に仕立て上げるのか、早稲田生の根城と思しき喫茶店を探してはコーヒーを飲みながらイマジナリータバコをくゆらせる。街の根幹となる早稲田大学、ここを愛する"稲門会"の連中が愛校心だけで成り立たせている世界。だからこそ街の至る所に人の手の入った温故知新があり、よその土地なのに居心地がいい。喫茶店で早稲田生が就活のOB訪問の話をしているのすらノリのいいジャズにきこえる。ジャズ喫茶だ。

大学のバンドメンバー5人で朝から高田馬場のスタジオに入った。普段使わないスタジオに行くのは東京でバンドを始めてからひとつの趣味になった。移動とバンドが伴うと嬉しい。だからライブツアーなんてやったら人生で一番楽しい思い出になると思う。今年初のスタジオ練習、年末からひび割れていた心に活気が戻る。スタジオの後は大学の学食に行こうとしたが先週と同じく私立大学の少し駆け足な(我々にとっては)スケジュールのせいでそういう類は閉まっていたので、駅前のくら寿司にした。45分ぐらいの待ち時間を告げるパネルに絶望したものの、だらっとしてたら45分はあっという間だった。高田馬場のくら寿司にいる家族連れはどこから来て何をしてどこに帰るのか、こういった問いに早くだれか答えてほしい。

神田川沿いに散歩して早稲田大学を目指すことにした。早稲田大学周辺を一周半した。誰も早稲田に通っていないのにみんな早稲田に対して思い出やお一方的な思いがある。それらが交差する。12年も一緒にいてまだ会話の切り口がある。大学近くの、カレーが有名な喫茶店に入る。渋くて視界が全部茶色みたいな居心地抜群の店なのに客が全然いなかった。コーヒーとレアチーズケーキをいただきつつ、『早稲田学報』に目を通す。同窓会かなんかが隔月でだしている機関誌。隔月でそこそこ厚さのある雑誌を、早稲田というテーマで出し続けられるその愛校心、あまりにすごすぎる。喫茶店特集という回で、1980年、2000年、2020年のそれぞれの年代のマップを掲載するという切り口は素晴らしい。これは愛校心がプラスに(我々にとっては)作用している例だ。愛はアーカイブに帰結してほしい。ページの後半は世に広く存在している同窓会からの報告が、愛校心だけで年を取ったような白髪の連中の集合写真とともに1ページに2団体ずつぐらい載っている。TMEIC稲門会、なんてものもあった。こんなことに帰結する愛なんて育む必要はない。

この喫茶店を一発で表現しているコーヒー、量や味、ソーサーの色など

早稲田の愛が作り上げた空間に没入していると外は暗くなっていた。暗くなっているということは晩御飯を食べてもいいということなので、一日を締めくくるのにふさわしい居酒屋を求めて歩き始め、レビューの星の数と雰囲気のよさそうな居酒屋に決めた。地下に潜り、畳のほどよい宴会場の横のテーブル席に座る。全然オレンジじゃない照明、厨房からフロアまで一連の床のタイル感など、大学時代に好んでいたタイプの居酒屋を引けた。メニューの感じも近い。東京にもあったんだ、と思った。なんでこういう居酒屋は地下に潜らせるのか。

Googleマップのレビューに載っていたこのハムカツに惹かれて

横の宴会場を予約していた一団が入ってきた。土曜日だから部活やサークルのイベントの打ち上げだろう、今の時期は追いコンだから絶対そう、なぜなら俺たちはそれしか知らないから、と思っていたら年齢層がばらばらの、白髪でセーターを着たいかにも教授という出で立ちの老人を囲みながら幼い子連れの人もいたりする人たちで、明らかに課外活動のそれではなかった。課内活動。レトロニムも生み出してしまう。最も入口に近いところに座っている赤ら顔のお姉さんが張り切って仕切っている。ナチュラルカラーのニットスタイル。自分が服を買い始めた時代にだけ自分が服を買っている店でトレンド扱いされていたスタイルをずっと貫いている。このことからかなり勉強好きな文学部関連のゼミの一団と予想した。勉強を着々と続けてきた人(本当に尊敬します)は、自分が一瞬社会化された時点のものを好む、好むというかそれでそこに時間やお金を注ぐことを終える。だから勉強の人たちだと思う。文学部なのは、そういう人が多そうだからというのとおとなしそうだったから。うるさい人は文学部にいられない、少なくとも大阪の端っこの大学では。

どうして居酒屋の隣の団体って自分の飲食をおろそかにしてまで気になってしまうんだろう、視線をちらちらやっていたら、向こうの飲み会が終わりかけ、明らかに集合写真を撮ろうとしており、店内をきょろきょろしていた。ここが勝機と「写真撮りましょうか?」と買って出たら、「今教授を待ってるだけなんです!」と言われ、「あそうなんですね」と座りなおす。教授ってなんだよ。課内活動の集まりであることは予想通りだけど、なんで「全員揃うの待ってるんです」じゃなくて「教授を待ってるんです」なんだよ。当然のように大学の課内活動の飲み会である前提をこちらに敷くんじゃないよ。と、その自分の社会に没入してる感じも「文学部だな~予想当たったわ」と思っていたらそのお姉さんが俺を手招きしていた。教授が戻ってきて写真を撮れるようになったらしい。カメラマンは俺になった。カメラマンを任されることはうれしい。しっかり2枚撮り、カメラを返す時にそのお姉さんに「ゼミか何かの集まりですか?」と聞くと、「はい、経営の大学院の集まりなんです」と答えてもらった。経営かよ。

その後お姉さんからも「お兄さんたちは何学部ですか?」ときかれた。そりゃこんな居酒屋でガキ臭そうな男女5人が楽器抱えて飲んでたら学部生だと思うよね。「いやー実は大阪の、東京には就職で、大学からの集まりで」という毎回面倒になる説明をぐちゃぐちゃの語順でしていたら「何大学ですか?」ときかれた。「大阪大学です」ってこたえたら「あー阪大」といわれ、さらに真ん中にいた別のお姉さんかだれかをゆびさして「京大、京大」と言っていた。早稲田の人が、というか勝手にその人たちを早稲田大学大学院経営の、と思っていただけなんだけど、彼らが大阪大学ときいてつなげられる話は京大しかない。阪大は京大のサテライトキャンパスだ。

この一連の全てが「早稲田だな~」と思って5人全員でうんうんと頷いた。早稲田を早稲田たらしめるのは、あくまでも卒業した大学との比較になるが、やはり圧倒的な文系の人数の多さだと思う。意味付けは文系の役割の大きな一つで、大学や大学生、大学生活、大学周辺の街に意味を与え、早稲田大学や早稲田大学の学生街を意味から作り上げていく。隔月の機関誌も、喫茶店で話し込む学生も、ここにいる人は全員早稲田という意識も、文系が言葉にしてできた産物だ。文系は作者の気持ちを考え続けることで雰囲気を言語化し、それを読み取り、表現する能力を身に着けている。各キャンパスに別名称がありそれがかなり世に広く認知されている。戸山女子大学を抜けて西早稲田駅から電車に乗って帰った。何度かお世話になったバー「諏訪金」が今日も煌々と輝き続けていた。

ちなみに大阪大学がある石橋は、地味な大学のわりに結構しっかりと学生街っぽくなっているし、あのレベルの学生街は全国探してもそんなにない、といろんな大学を見て回って思った。理系の大学のくせに結構やってる方で、すごいと思う。

早稲田のことだけ書こうと思ったのにどうしても自分の大学生活と重ねて記述してしまう。俺もあの街によって学生にされた。嵐を呼ぶ モーレツ!大人帝国の逆襲 大学版。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集