変なところを気にしすぎて疲れる話
私は大犯罪を犯そうとしている。
今この瞬間、汗水垂らして働いてる方々に対して、真っ昼間に海を眺めながら湯に浸ろうとしているのだ。湯船から出れば即ビールである。
なんて、なんて罪深いんだろう。
心の中で舐め腐った態度で笑いながら全世界に謝罪した後、大罪を犯してでも成し遂げたいという並々ならぬ思いで湯に突入した。
突入した瞬間、拍子抜けをしてしまう。
湯船に8人くらい浸かってたからだ。犯罪者がここまで多いと罪悪感みたいなものが薄れてしまう。興ざめだ。
「こんな時間になにやってんだよ。働けよ。」と心の中でつぶやいたら、「おまえもである」なんてキートン山田にツッコミを入れられそう。
この温泉、目の前で真っ青な海を眺めながら湯に浸れるという至福な空間となっているのだが、そこそこの人が湯に浸かっており、ちょうど視界に窓枠が入ってしまうような場所しか空いていなかった。
窓が開いていて、海の眺めを充分満喫できるポジションはもう既に人で埋まっていたのだ。
私は眺めの悪い場所で妥協し、ポジションが空くのを待った。川口能活から代表正GKの座を奪う楢崎の如く、虎視眈々とポジションを奪うためにいつでも移動できる準備を怠らない。
温泉に浸かる人が少なくなり、窓が空いてちょうどよく海を眺められるポジションが空いたので即座に移動する。
狙っていたポジションを奪うことに成功し、真っ青な海を眺めるというこの上なく幸せな時間を過ごした。
絶対にポジションを譲らない。そんな強い気持ちとともにずっとこの最高の景色を眺めていた。
だがそんな幸せな時間が続かない。
あろうことか私の視野の中に得体の知れない男が入ってきたのである。
私は鑑賞していた名画を突如宣材写真のような画にラングダウンさせたこの趣がわからない男に苛立ちを覚えた。
わかっている。どこにいようが自由だが、今までこの湯に浸かっていたもの全員そんな窓際には行かなかった。暗黙の了解で視野に入らないポジションを維持していたのだ。
周囲を見渡すと気づけば今私と彼しか湯に浸かっていない状態。他にも広いスペースがあるはずなのに何故わざわざそこに浸かって邪魔をするのだ。
私は苛立ちを隠しきれない。
そしてやってしまったのだ。
舌打ちをしてしまったのである。(思わず)
やった瞬間まずいと思ったのか「チェゥッ」って感じの、舌打ちとも取れるし舌打ちともとれないような、唇が滑って変な音が鳴ったのだろうかと思わなくもない感じに反射的に修正した。
そんなわけのわからない手応えを感じたものの、どう考えても舌打ちである。
聞こえたのか、舌打ちした5分後くらいに彼は私の視野外へ移動した。
本当に申し訳ない。
そんな罪悪感でいっぱいだった私はふと彼の背中に目を向けるととんでもない事実に気づいた。
背中に大きな入れ墨が入っていたのである。
入れ墨が入っている入っていないで人を判断するのは間違ってる。
頭ではわかってるのだけど実際にみるとビビってしまう。そもそも入れ墨入った人入れんの?という疑問もあったが、後々調べてみるとOKな銭湯らしい。
一瞬しか見れなかったけど、ドラクエの遺跡にある紋章みたいな、小学生のランドセルの絵柄をそのまま背中に彫ったような感じ。
舌打ちを気にして頭がリラックスできずにいた私だが、リラックスどころか少し身の危険を感じるようになってしまった。
まず落ち着こう。一旦サウナに入ろう。
普段サウナが苦手で入るという考えにもならない私が逃げるようにサウナに入ろうとした。
しかしその瞬間彼も湯から立ち上がり、私と同じ進路をとるのである。
その瞬間に目的地を変更するのはあまりにも不自然。私はそのままサウナに入り座ると、彼は私の真後ろに座った。
後ろから絞め殺される。(絶対にない)
そんな危険を感じた私だが、ここですぐにサウナを出るのもおかしい。
後ろから(勝手に)感じる殺意をダイレクトに受け止め
「整う」とかけ離れた疲労感が増していく。
10分後にサウナを出ることを決めて、5分が限界だった私が新記録となる10分を記録し、シャワーを浴びて脱衣所に行った。
舌打ちをしてしまった。それがずっと引っかかってしまってリフレッシュできなかったのである。
変なところをずっと気にしすぎて疲れてしまうということがよくある。
例えば、旅行中にある観光地で外国人の方から写真を撮ってくれと求められた時のこと。
撮影し終わった後にこちらも撮っていただいたのだけど、撮ってもらった写真の構図が素敵で、きっとこういう構図を求められてたんだなぁってずっと心の何処かで引っかかって旅行を楽しめなくなったりとか。
今日だってそうだった。
色々と被害妄想をしては誇張しては変な緊張感を勝手に生み出すのだ。
首を絞められることはないにせよ、不快な思いをさせてしまったかもしれない。本当に反省している。
本当に罪を犯した犯罪者みたいな気持ちになるなんて。
勝手に感じた疲労感を飲み込むように、ビールを喉に流し込んだ。