4つの学びは家族の死から
一緒に暮らしていた猫が昨日亡くなった。
生活を共にしてまだわずか半年だった。
初めて彼女と出会ったとき、彼女は疲れ切った顔をしていたが、初対面の私に警戒することなく甘えてきた。
通勤でいつも使う道で座り込んでいた彼女。
疲れ果て、動く元気もなかった彼女。
そんな彼女を咄嗟に抱えて家に帰ったのは半年前。
その時から共に過ごした時間は非常に楽しいものだった。
そんな彼女の死という現実から学んだことがいくつもあった。
心の中で留めて置こうと思ったが、いつか昇華されて消えてしまうと思うと、心苦しいものがあったので何かに残しておきたいと思ったところ、開始して1ヶ月で投稿が止まったnoteにアカウントが残っていることを思い出した。
将来の自分に宛てた手紙として、彼女から学んだ今の気持ちを書き残す。
いつかの自分が読んでくれたら嬉しい限りです。
彼女から学んだこと①:一時の甘えが一生の後悔になる
彼女の死は巨大結腸症による食欲低下、それに伴う免疫力の低下による蓄膿症の悪化、更には内蔵機能の低下だった。
彼女は家に来た時から、便の状態があまりよくなかった。
主に下痢が続き、基本的に軟便だった。
保護という形で家に連れ帰ったときから、足腰が弱っていたので便を出すために踏ん張る力が弱いことが原因だと病院の先生からは聞かされていた。
ある日、彼女は強烈な下痢に見舞われた。
3日ほど出す便出す便、全てが下痢状だった。
その時は数日すれば元に戻るだろう、と考えていたが、今思えばこの段階で病院に連れていくべきだったと強く自責の念にかられている。
その後下痢は収まったが、今度は便秘になった。
猫は便秘が3日続くと危険ということをネットで見たので、3日便が出なかったので病院に連れて行った。
病院で診てもらった時に先生が気になったのは、体重の低下だった。
彼女はもともと痩せ型だったが、更に痩せており、子猫程度の体重しかなかった。
原因はおそらく蓄膿症で、食欲が落ちたんだろう。ということだった。
病院の診察結果としては
蓄膿症の悪化 ⇒ 食欲の低下 ⇒ 胃袋に食べ物がない ⇒ 便が出ない
というもの。
蓄膿症は家にきたときから患っていたし、最近鼻水の粘り気が強くなった気がしていたので、まずは蓄膿症の炎症を抑えることが優先だと納得した。
しかしそこから彼女は食欲不振は治らず、筋力低下につながり、歩くこともままならない状態になっていった。
そして2月9日の夜中、突然呼吸困難になった。
身体が硬直し始めて、あきらかに様子がおかしかったので、救急病院に電話し慌てて向かった時には心肺停止状態だった。
1%でも可能性があってほしい、と蘇生処置をとってもらったところ、奇跡的に息を吹き返した。
そして救急病院で原因を教えてもらったところ、
巨大結腸症(強烈な便秘) ⇒ 食欲不振 ⇒ 体重低下 ⇒ 免疫力の低下 ⇒ (おそらく)蓄膿症の炎症 ⇒ 内蔵機能・筋力の低下
というものだった。
彼女は便が溜まり過ぎて腸が肥大化してしまい、他の内蔵を圧迫してしまっていた為、食べることができず弱っていったという結果だった。
その後、近くの入院設備のある病院で体調を戻す予定だったが、救急病院から入院する病院に運ばれて1日後、彼女は息を引き取った。
最後の数週間、彼女はずっと苦しかったと思う。
あの時、下痢がひどいと感じたあの時、すぐに病院につれていけば彼女は苦しまなくて済んだかもしれない。
彼女は死ななくて済んだかもしれない。
今となっては分からないが、あの時まぁすぐに収まるだろうと思った自分に、病院連れていくは少し面倒だなぁと感じた自分の甘えた考えが許せない。
彼女の苦しみに気づいていながら、対応しなかったこのことは一生後悔として残ると思う。
後悔先に立たずとはよく言ったもので、失ってから悔やんでももうどうしようもない。
そして瞬間瞬間の甘えが、将来役にたつことはない。
彼女を救う選択肢を狭めてしまった自分のあの時の甘えを戒めとして、胸に刻んでおきたい。
彼女の死から、生きる上で大事な考え方を教えてもらった。
彼女から学んだこと②:セカンドオピニオンの重要性
彼女の死は巨大結腸症による様々な機能低下だったが、これは救急病院で見つかったものであり、かかりつけの病院では見つからなかった。
本来巨大結腸症は死に直結するような病気ではない。
簡単に言えば、ひどい便秘なのだから。
便が出なくて病院に行ったとき、先生は便秘ではないという診断だったが、結果は重度の便秘だった。
(今日葬式をあげ、納骨をする際に骨と一緒に残っていたのは大きな大きな便の塊だった。あれだけの便をお腹に抱えていたことを思うと、辛かっただろうと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。)
ただし、見つけられなかったのはかかりつけの病院がダメだったから。という結論にはしたくない。
どんな名医だろうと見つけられる病気と、見つけられない病気はあるだろう。
それに普通の巨大結腸症の症状は異なり、彼女の便は柔らかったそうだ。(普通はもっと固い状態になるらしい)
お腹を触診しても巨大結腸症ではないと判断してもおかしくないだろう。
だからこそ違う病院に行くという選択肢を持っておくことが重要になる。
多角的な視点で判断を仰ぐ選択肢を頭の中に入れておくべきなのだ。
もしあの時違う病院にも行けば、何か変わったのかもしれない。
これも今となっては分からないが、あの時に違う病院にも行こうと思えなかったことも大きなしこりとして残るだろう。
考えれば当たり前だが、病院によっては設備が違うし、医者の考え方も違う。
かかりつけの病院へ安心感を持つことはできても、絶対に原因を的確に突き止め、治せるという保障はないのだ。
セカンドオピニオンという言葉は知っていたが、この重要性今回身をもって痛感した。
今後自分も歳を重ねれば様々な病気にかかることもあるだろう、家族が色んな病気にかかることもあるだろう。
そんなとき、彼女から教わったセカンドオピニオンという考え方をもって、後悔のない判断をしたいと思う。
彼女から学んだこと③:お金の重要性
彼女の容態が急変し、救急病院につれていったとき、夜間ということや時間外診療(朝の5時までだったが、入院先が見つかるまでの8時30分まで対応してもらった)で、かなり高額費用がかかった。
これに関しては彼女が助かるのであれば、という想いの方が圧倒的に強いので後悔は何もない。
しかし、今回はたまたま自分達の経済事情内で収まる金額だったので対応できたが、もしこれが賄えない金額でしか、救う可能性をつかみ取れないとしたら?と考えると身の毛がよだつ。
お金がなければ蘇生処置の時に聞かれた、「高額費用がかかりますがいいですか?」に対して、「えっと…それなら…諦めます…。」と言わなければならない現実が待っているのだ。
人生お金が一番ではないが、お金がないと大切な命を救う選択肢も減ってしまう。
何に重きを置くかは人それぞれだが、私は今回のことで何かイレギュラーがあってもポンっとお金を出せる経済余裕は常にもっておきたいと強く思った。
贅沢の為のお金じゃなく、選択肢を増やすためのお金。
今後、お金を稼ぐということの価値観を高めることができたと思う。
彼女から学んだこと④:葬式の重要性
彼女の死を迎え、動かないまま家に帰ってきた彼女の姿を見るたびに辛く悲しい気持ちになり、涙が出た。それは妻も同様だった。
色んな気持ちがあふれ出る。
申し訳ない気持ちや、楽しかった思い出、一緒に過ごした日々を思うと動かない姿を見ることは苦しい。
どこかで現実感がなかった。
きっとどこかからヒョコっと現れるに違いない、そんな気持ちがあって彼女の死を受け入れることができなかった。
ずっとこの気持ちが心に残るのか、と思っていたが、葬式を執り行ったことで彼女の死を受け入れることができた。
形あるものはやはり気持ちを離れがたくする。
この過去にすがる気持ちを切り替えるには、形をなくさなければならない。
彼女とまだまだ一緒に暮らしたいという過去にすがる思いは、火葬し、納骨して、受け入れられない気持ちも一緒に昇華させることができた気がする。
今はまだ家のそこらかしこに彼女の思い出があるし、動画や写真をみると元気にうごく彼女が写っている。
簡単に100%気持ちが切り替えることはできないが、気持ちをずっと沈めてしまうようなことはないだろう。
ゆっくりと気持ちを切り替え、変わらずにやってくる毎日を前向きに過ごすことができると、今は感じられている。
葬式という形あるものを形なきものに昇華させる式典があるから、残されたものが前を向いていけるのだと感じることができた。
そんな今日は2月とは思えないほど、日中暖かかった。
きっと気持ちよく天国の階段を上ったに違いない。
そう信じたい。
最後に
彼女と過ごした日々は半年と短い期間ではあったが、そのわずかな時間、彼女は幸せだったのだろうか。
それは分からない。
しかし、私と妻は間違いなく幸せだった。
蓄膿症のせいであまり鳴き声もだせず、常にガーガーといいながら甘えるその姿
台所にたつとご飯を出してくれると勘違いして、嬉しそうにとんでくるその姿
食卓に魚が並べば、自分も食べられると勘違いして食べようとして膝に載ってくる姿
私が食べているお箸に猫パンチして魚を奪おうとする姿
夜寝るときは絶対に私の上で朝まで寝てくれたね。
同じベットで私と妻とあなたの3人で眠った日々は宝物です。
救急病院の先生から聞いたけど、野良猫時代に骨盤や恥骨の骨を折っていたみたいだね。
家に迎え入れたときから蓄膿症がひどくて、それに身体中ノミとダニだらけで、背中も何かの油がくっついてて。
壮絶な生活だったと思います。
あなたはうちにきて幸せでしたか。
ちゃんとお世話できたかは分からないですが、できる限りの愛情を注いだつもりです。
それ以上にあなたから幸せをもらったけどね。
少しでも野良猫時代より快適な生活ができていたのであれば幸いです。
最後ごめんね。辛い思いをさせちゃったね。
今はもう便秘も解消したし、蓄膿症もないはずだからゆっくり好きな食べ物を満足いくまで食べてね。
猫のご飯はあまり食べないのに人間が食べているものは何でも食べたがる姿が今でも愛おしいです。
いつも私たちの近くにいて離れようとしない、いつもスリスリしてくれる、甘え上手なあなたが私たちが大好きでした。
あなたが教えてくれたこと、あなたからもらったことは忘れません。
短い間だったけどありがとう。
いつかまた、違う形であえることを信じています。
愛してるよ。