短編小説『1日遅れの花火』
俺たちは家族じゃなくなる。
今までのことがなかったことになる訳じゃない。でも、一つ屋根の下住んでいた家族から赤の他人になるのだ。俺はそれが裏切りの様な気がしてならない。
小さい頃から知っている、それこそオムツを履いていた時期から、ジョセフと俺はずっと一緒で兄弟だった。
寒い日は、他の弟と妹達を集めて、おしくらまんじゅうの様にして寝た。暑い日は皆で公園の噴水まで行ってずぶ濡れになって先生に怒られたっけ。なんでもない日は園の屋上にこっそり入って干された洗濯物に混じって、壊れかけのギターをかき鳴らし歌ったんだ。喧嘩する日もあった。泣きたい日もあった。どうしようもない日だって一緒に乗り越えてきた。学校に行かれなくたって、親が居なくたって、ジョセフさえいれば俺はなんだって出来た。俺はお前さえ居れば幸せだった。
たった、数ヶ月腹の中に居ただけの関係だろ。あの女はジョセフ、お前を一回捨てたんだ。今度も俺は捨てられるのか。
俺はぼうっと、弟達が祝日のトリコロールをツギハギで直しているのを見ながら項垂れた。カレンダーを眺めれば七月十三日。明日はル・カトルズ・ジュイエがある。ジョセフは明日の巴里祭を兄妹達と一緒に過ごしたら明後日には母親の元に行くのだ。
ジョセフが行くと決まってから、一ヶ月あった。けれど俺は二人になるとジョセフとなぜだか上手く話せなくて、この怒りを言葉にすることさえできなかった。俺たちにはもう時間がない。俺はなんとか自分の思いを言葉にしようと思うが、果たしてこの俺の思いを言葉にする事が正解なのかふと考えてしまって、肝心なとこで話が出来なかった。
明日なんて来なければいい。そしたら永遠に明後日なんて来ない。
窓の外を見ると、太陽の光が降り注いでいてこの分だとあしたも晴れだろう。まるでそれが神様までもがジョセフがいなくなってしまうのが賛成だとも言うようで、俺は余計に不機嫌になった。
兄妹達と楽しそうに旗の準備をするジョセフを横目に屋上への階段を上った。行かないでと言えればどんなに楽だろうか。俺を置いて行かないでと言えば、ジョセフはどんな顔をするだろうか。
屋上で干してある洗濯物を眺めながら、ギターを何と無く抱き締めていると白いシーツの隙間から妹のアンナがやって来るのが見えた。
「ルュカ、準備手伝わなくて良いの?」
「良いんだよ、人数は足りてる」
アンナは俺の不貞腐れた様子を見て、大きなため息をつきながら俺の隣に座った。
「ジョセフと話さなくて良いの? 」
「話すことなんてない」
アンナは少しムッとしたようにこちらを睨んだ。
「アンタがそんな態度だったら、ジョセフがサン・マルロにいけないでしょ?」
「そんな、田舎行かない方がジョセフも幸せだろうよ」
俺が、そういうとアンナは目に一杯涙を溜めて俺を睨んだ。
「そんなわけないじゃない! 」
屋上にアンナの大きな声が響く。彼女のサファイア色の瞳からはポロポロと止めどなく涙が溢れる。俺はどうしようと考えてオロオロして、二人の間には彼女の泣き声が響いた。
先生が勢いよく階段を駆け上がってやって来る。兄妹達はそれを心配そうな顔で覗いてて、その後ろにはもちろん困った顔をしたジョセフも居た。
「ルュカ! あなたはまた兄妹と喧嘩して」
「待って、先生! これは違うんだ! 俺はただ、アンナと話をしていただけで」
「じゃあ、何故彼女は泣いているんですか」
俺はない頭で精一杯言い訳を考えた。長い沈黙の後、俺はやっとの事で声を絞り出し
「……さあ?」
と言った。すると、アンナの泣き声は一際大きくなってしまった。俺はじりじりと後ずさりをするが、ロクな言い訳も考えつかず。空を仰いだ。正直、泣きたいのはこっちだった。アンナはなんで泣いているか全く分かんないし、ジョセフは明後日には居なくなってしまう。俺の前には問題が山積みでその問題はおおよそ俺一人の力では解決できそうにない。
俺は深くため息をつき、そして排水管を伝い園の屋上から飛び降りた。
「ルュカ! 待ちなさい!」
先生の声が上から聞こえる。俺はそれを御構い無しにするすると排水管に捕まり一階部分まで逃げようとした。
「ルュカ!」
上を見ると、ジョセフがこちらに配水管を伝ってやって来るところだった。ジョセフは俺よりも早く配水管を滑り降りると俺に
「ルュカ、こっちだ」
と言って、手を差し伸べて来た。いつも、俺達はどちらかが怒られるとこうして一緒に逃げた。これももう出来なくなるのだ。目が熱くなって涙が溜まるのをグッと我慢する。俺は鼻声なのをバレないようにわざと高めの声で
「おう!」
と言って走った。
細い路地を抜け、屋台が並んでいる大通りに出る。そこを風のように駆け抜け、川のヘリにあった舟に橋から飛び込む。錘をあげると舟はゆっくりと川の流れに乗って動き出した。
ジョセフは舟に腰掛けると、俺の顔を覗き込んで吹き出した。俺もそれにつられて声を上げて笑った。ジョセフは俺を見ながら、
「お前といると本当に飽きない」
と言った。
「お前こそ、本当に最高の相棒だよ」
俺はジョセフの肩をたたくと、また二人でケタケタと笑った。
細い川から大きな街の真ん中を流れる川に着くと、舟から降りて街を歩く。果物屋の店主がよそを見ているうちにさっとリンゴをくすねてジョセフに渡す。ジョセフは目を輝かせて
「ありがとう」
とリンゴをかじった。
町外れの丘にやって来ると、二人で原っぱに寝転がる。不意に隣のジョセフが
「お前、そういえばなんだってアンナを泣かせたんだ? 」
と聞いてきた。
俺はそれにバツが悪くなって
「いや、なんでも。」
と答えた。珍しく歯切れの悪い俺にジョセフは面白がって、
「いいだろ、教えろよ」
と小突いてきた。
俺はそれが鬱陶しくなってちょっと大きめの声で
「お前が、行くのに話さなくていいのかって言われたんだよ」
と言って、すぐに後悔をした。俺たちの間に微妙な空気が流れる。ジョセフはくしゃっと無理やり泣くのを我慢するような顔をして
「ルュカ、ごめんな。約束守れなくて」
と言った。
「なんのことだよ」
嘘だ。本当は覚えている。俺はジョセフとある約束をした。もう二年も前のことになる。
長女だったエマが結婚して園を去る時、俺は階段下の物置の中で兄妹達の泣き声を聞いていた。エマは園長先生に涙声でお礼を言うと、迎えに来ていた馬車に乗る。俺は何も言えなくて、ただうずくまって口から漏れる嗚咽を堪えた。だんだんと遠くなって行く馬車の音兄妹達の泣き声、自分の鼻の啜る音。全部鬱陶しくて、目を思い切り瞑り耳を塞いだ。
どのくらいそうしていただろうか、気づいたら自分は寝てしまっていて窓の外は夕焼けだった。先ほどの目の周りの涙は乾いて皮膚が引きつって少し違和感がある。俺は物置から出ると服の袖で目を擦り、エマが馬車でいなくなったであろう方向を眺めた。
すると何処からともなくジョセフがやって来て俺隣にしゃがみ込んだ。
「ルュカ、最後エマが探していたよ」
「知ってる」
「最後、寂しがってた」
「知ってる」
「でもね、エマはルュカが来ないの分かってたみたい」
「しって……え?」
俺は驚いてジョセフの方を見た。ジョセフは今にも泣きそうな顔をしていて、俺もつられてまた泣きそうになった。
「エマからね、手紙を預かってるんだ」
そう言ってジョセフは俺に手紙を渡していた。俺は急いで封筒を破り開けると中を見た。
そこにはこんなことが書いてあった。
「親愛なるルュカへ
私が園を去ることきっと怒っているのでしょうね。私は貴方の姉でずっといると約束したのにこの園を去り、あなたの姉ではなくなるのです。
出来ることなら、私もずっと園の皆んなと一緒に居たかった。けれど、それと同時にいつかはこの園を卒業しなければ、とも思っていました。
結婚する予定の方はとても優しい人で商会の頭として働く側、慈善事業など園のような孤児院に巨額の寄付をするなど人格者としてもとても有名な方だそうです。私はそんな方と一緒になれてとても幸せに思います。
ただ一つ心残りなのは妹弟達のことです。病気になったりはしないか、いじめられたりしないか、喧嘩したり、苦しむことはないか、私は今まで過保護なほどにあなた達に構って来ました。でも、もうそんな私もいなくなります。私はとても心配です。そこで、一番年上のルュカにお願いがあります。下の子達が健やかに育つようにあなたに引っ張って欲しいのです。間違ったことを妹や弟がした時叱って、正しい道に導いて欲しいのです。
ジョセフにも同じ頼みをしました。明日からは二人で手を取り合って、園をこれまで以上により良いものにしてください。
ただのエマより。」
いつか、こんな日が来るって本当は分かっていた。今までだって、兄妹が園を去る事は何度もあった。いつか、みんなこの園を卒業する。俺はそれを見ないふりしていたのだ。それがエマは少し遅かったからずっとこの園にいるって、そう錯覚していただけだ。
俺は袖口でもう一度目をこすった。
「ジョセフ、お前はずっと隣にいるよな」
「うん、いるよ」
俺は閉まっている玄関のドアを大きく開ける。窓から入っていた夕日は直接俺の目に入って眩しかった。エマが行ったであろう方向を見る。俺は彼女に宣言するように、大きな声を出した。
「俺はこの園を守りたい。兄妹達がずっと幸せに暮らせるように、苦しい事もあるだろう。お腹いっぱいご飯が食べられない日だってあるし、病弱な子達にとっていい環境とは言い難い。でも、それでも少しでもこの園にいて良かったって、俺はあいつらに思って欲しいんだ。そのために、協力してくれ。ずっと、隣で、俺と一緒に、兄弟のために、この園のために」
それから先は涙で上手く言えなかった。でもジョセフにはそれでも十分に伝わったようで、「分かった」と言った。ジョセフの目も涙で潤んでいたのはきっと気のせいだっただろう。
「ルュカは怒んないんだね、僕が約束を破る事。」
不意にジョセフがおずおずと俺の顔を覗き込んで言った。なんで、今そんなことを言うのだろう。そんなこと言ったって、これは俺たちにはどうしようもできない事で、ジョセフの幸せを考えたら親のところに行くことが幸せだろう。あの約束をしたジョセフまでもが居なくなる。俺はそれに怒りたい気持ちと、彼には彼で幸せになって欲しい気持ちで頭の中がぐちゃぐちゃで分からなくなった。
「ねぇ、ルュカってば」
「だから、約束なんて覚えてねえって言ってるだろっ」
不意にそんなことを口走っていた。ジョセフは不意に傷ついた顔をして、「そっか」と呟いた。それからの事はあまり憶えていない、俺は園にいつの間にか帰ってきていて、園長にしこたま怒られて、そのままベッドに入った。
そしてパリ祭の間中俺はずっと部屋に閉じこもり、気づいたらいつの間にか夜になっていた。アンナや園長は俺の様子を何度も見にきたが、俺は黙りをきめこみ二人を困らせた。花火の音が遠くの方で聞こえる、今頃パリ祭はクライマックスだ。そんな時だ、ジョセフは部屋に入ってきたのは。
「ルュカ、入るよ」
「なんだよ、花火見なくていいのか。」
「いいよ。どうせ来年もあるんだ。それより明日、発つからさ、君にサヨナラを言いにきた。」
その言葉に、俺は泣きたくなった。でも、泣けなかった。何故なら、ジョセフが泣いていたからだ。部屋は暗くて、花火が上がるたびにジョセフの頬の涙にテラテラと反射し美しかった。
「僕だって、本当は、さよならなんて、言いたくない。でも、僕にはどうしようも、できない。僕は、君といつまでも、この園を、守っていたかった。この園で、みんなと一緒に、ずっと一緒に。」
「あぁ、そうだな。」
俺は涙声を誤魔化すように鼻をすすった。ジョセフは俺の服にしばらく顔を埋めていたが、暫くして目元を赤くしながら、「ごめん取り乱したりして」と言った。俺はベッドに寝転んで、ジョセフも同じように、俺の隣で寝転んだ。
「ジョセフ、いっそ逃げちゃうか。二人で船で逃げ出すんだ。」
「ばかっ」
ジョセフが耳元で笑う。
「俺は本気だぞ、二人で船で逃げ出して、無人島を見つけるんだ。それで、二人で魚とったり、木ノ実食べたりして」
「でもそれじゃ、兄妹がいないよ」
「じゃあ、みんなで船に乗ろう」
耳元でジョセフがクスクスと笑う。
「いいね、最高だ」
ほんとは、俺もジョセフも分かってる。こんなの叶わない夢だって、分かってる。でも考えずにはいられないんだ。俺はその晩夜遅くまでジョセフとどうやってこれからみんなで暮らしてくか夢物語を語った。
朝、目がさめると、ジョセフはもう着替えて荷物をまとめて出て行くところだった。ジョセフは俺が寝ていると判断したのか、頭を撫でながら
「さよなら、兄弟」
と呟いた。
扉の閉まる音が聞こえる。俺の目の淵から涙が溢れた。
昼頃、屋上で縮こまってるアンナを見つけた。彼女は俺の顔をみるなり、赤い目を擦った。
「私、ジョセフが好きだったの」
俺はその言葉に鼻で笑いながら、「知ってる」と言った。何年アンナとも一緒にいたと思っているのだろう。
「だからね、私。ジョセフがどれだけこの園を大事にしているか知っているの。彼ね……」
俺はアンナのその言葉を聞いて走り出した。
まだ、馬車は間に合うだろうか。俺は、ジョセフにまだ何も言えてないんだ。何も、あいつにもらったもの、返せてないんだ。屋上から飛び降り、いつもの裏路地を通る、船に飛び乗り、市場で何かないかといくつか使えそうなものをくすねる。丘の上に登ると、一つの高価そうな馬車を見つける。俺は手に持っていた昨日の余りの大きめの打ち上げ花火をあげる。
不意に、馬車の窓が開きジョセフが顔を出した。この距離で、声は届くだろうか。少し心配になって、考えるのをやめた。これは、俺が言いたいだけだ。あいつ一人だけ、かっこいい真似はさせない。
アンナの言葉が蘇る。
「だからね、私。ジョセフがどれだけこの園を大事にしているか知っているの。彼ね今回養子になるのは、彼の親がこの園の多額の借金を返すのを条件に受けたそうよ」
あいつは、約束を破ってなんかいなかった。あいつはあいつなりに、この園を守ろうとしたんだ。
「ジョセフ! お前がどこに行ったって、俺たちは兄弟だ!」
遠目から、窓から身を乗り出したジョセフが何度も袖口で涙を拭うのが見える。俺は右手を振り、流れる涙をそのままにした。
「っていうことがあってな、」
「園長先生、それで、それで、どうなったの。」
小さな子供たちが階段の周りに集まり、俺の話を楽しそうに聞く。
「ルュカ! そんなとこで油売ってないで、早く明日の準備してよ!明日はパリ祭なのよ!」
「おー、待ってって、ったく、相変わらず俺の嫁さんは怖いなぁ。あとちょっとだから」
「誰が怖いって?」
俺は小さく舌を出すと、アンナは怒ったように俺を叩いて部屋の奥でまた縫い物を始めた。
「だからな、それがな、今日ここに来る出資者がジョセフだ。お前ら、元気よく挨拶するんだぞ。なんたって俺たちの兄弟だからな。」
不意に家のベルが鳴る。俺はそばに置いてあった杖を取りゆっくりと立つと子供達に引っ張られ、ドアを開けた。
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