映画『トラペジウム』と映画『風立ちぬ』の話【ネタバレあり】
こんにちは。今回の記事では映画『トラペジウム』とジブリ映画『風立ちぬ』についての感想、解釈を書きます。今回は私の勝手な解釈が多い記事になると思うのでその点よろしくお願いします。また両作品のネタバレも含みます。
私はジブリ映画の中でも一、ニを争うほど風立ちぬが好きです。その理由の一つは風立ちぬという作品が「夢を追うことの残酷さ」を描いていると思うからです。
大抵の(プロが作った)作品は、人が夢を追うことを尊いこととしてのみ描いている傾向があると思います。それは主な視聴者層の子どもたちに夢を与えるためだとか、そもそも夢を叶えている人たちがその作品を作っているからだとか色々と理由があると思います。そういったテーマで作品を作ること自体は間違っているわけではありません。
ただ、私は思ってしまいます。もしもそれらの作品を見て自分も夢を叶えるために頑張るぞ! と決意した人がいるとして、その人にとっての夢が例えば人を傷つけるようなものだったとしたら? その背中を押してしまっているとしたら?
私は別に夢をポジティブに描くなとか、表現の責任の話をしているわけではありません。ただ、夢を追うということは本当にいいことばかりなのでしょうか?
その私の疑問に対して一つの例として答えてくれた映画が『風立ちぬ』です。この映画の主人公(脚色もありますが実在の人物)は飛行機を作るのが夢でしたが、実際に作ることになったのは戦闘機でした。主人公は映画の最後こそ「私はたくさんの人を殺しました」というようなことを言いますが、それまでは自分が戦闘機(人を殺すためのもの)を作っていることの罪悪感をあまり表にだしません。時代背景的に(風立ちぬの舞台は戦時中)、そういったことに罪悪感を抱きづらかったというのはあると思います。しかし、個人的にそんな主人公はどこか怖かったです。
風立ちぬを見て、私は夢を追うということは必ずしもいいことだけではなく、時には人を傷つけたり、別の何かを切り捨てることができる人間になってしまうことなのだと学ぶことができました。
そして風立ちぬと似たメッセージ性を持つと私が勝手に思っている映画がもう一作あります。それが『トラペジウム』です。
トラペジウムは主人公がアイドルになるために手段を選ばず色々なことをして、でも最終的にはうまく行かず、しかしその後主人公が傷つけてしまった登場人物たちとの和解も描かれているという作品です。主人公のせいであることを他の登場人物たちが知らないので和解できるのですが……。
もちろん戦争とアイドルでは話のスケールが違いますし、トラペジウムでは人が死んでいるわけでもありません。ですが私は両作とも似通ったテーマがあるように感じました。
風立ちぬの主人公もトラペジウムの主人公も、個人的にはリアルで友達にはなりたくないタイプです。風立ちぬの主人公は周りに無関心気味なところでこちらが傷つきそうだし、トラペジウムの主人公はこちらを利用してきそうです。でも夢を追うということはそういうことなんだなとどこか思ってしまうような残酷さを持つ二人だと思います。
今回の記事はここまでです。思ったよりも自説を並べているだけになってしまいましたが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。