童謡、おもしろい

息子は、ボタンを押して音楽を流せる絵本が大のお気に入りだ。

なかでも繰り返しかけるのが「こどもとこどもが」という曲である。いかにも童謡らしい音階で、ゆったりしたテンポ、暗いとは言わないまでも、「鬼のパンツ」のような陽気さは欠片もない曲で、息子がなぜ好むのかはわからない。歌詞の特異さもあいまって、折に触れてこの曲を流そうとする息子がおかしくてたまらず、いつしか私も好きになってしまった。今では、単調なメロディーに、演歌並のこぶしを込めて熱唱するのがストレス解消になっている。先日も、半ば無意識に「こどもとこどもが〜」と歌っていて、ふと、やはりこの歌詞はおかしい、どんなセンスでこんな詩になったのだろう、と考えた。その歌詞が以下である。

こどもと こどもが けんかして
くすりやさんが とめたけど
なかなか なかなか とまらない
ひとたちゃ わらう
おやたちゃ おこる

最初のフレーズから違和感が爆発する。短い曲にのせる歌詞、最小限の言葉で情景を表現できるように無駄を排しそうなものだが「こどもとこどもが」とはいかなることか。字数に縛られない、日常の話し言葉であっても、わざわざ同じ名詞を 2 つ重ねた挙げ句、大した情報もこもらない言い方はしやしないだろう。

そして唐突に登場する「くすりやさん」である。「こども」を連呼するぐらいなら、なぜ「くすりや」が出てくるかの情報を教えてほしい。「くすりや」を直接介入させないといけないぐらい、血みどろの肉弾戦になっているのだろうか?だとしても、呼ぶなら医者であって、「くすりや」か?

止まらない喧嘩に対して、他人は笑い、両「こども」の親は怒っているらしい。ふーん。それで、なぜこの場面をわざわざ歌にしたのか?激しい喧嘩を描写するでもなく、仲直りのオチをつけて道徳的なメッセージをこめるでもなく、子どもの喧嘩に対してありきたりな反応を見せる大人たちを描いて終わる、その心とは?

気づいた瞬間、思わず「あ!」と声が出たのだが、これは指遊びの歌だ。

こどもと こどもが けんかして(両手の小指を打ち合わせる)
くすりやさんが とめたけど(両手の薬指を打ち合わせる)
なかなか なかなか とまらない(両手の中指を打ち合わせる)
ひとたちゃ わらう(両手の人差し指を打ち合わせる)
おやたちゃ おこる(両手の親指を打ち合わせる)

なんだか、気持ちいいなぞなぞを解いたみたいに、嬉しくなったのでした。

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