適応障害記①
2024年7月、適応障害の診断を受け、会社を休職しました。
次に自身が同じ状態にならないため、そして誰かが似た状態になったときのため、適応障害になった経緯や、回復のために良かったことをまとめます。
(最終更新:2024/8/9)
0. 私について
社会人2年目。システムエンジニアとして働いています。会社は風通しも良く、分からないことも先輩社員に質問しやすい環境で、仕事内容や進め方に居心地の悪さを感じたことはありませんでした。
趣味では、星のカービィとしろたんが大好き。実家での団欒を糧に生きています。
1. 適応障害になるまで
2024年3月から、ユーザビリティ向上のため基幹システムに新規機能を追加するプロジェクトの主担当に抜擢されました。
当初は軽く終わると思っていましたが、様々な事情が絡み合い、いつの間にか体力気力共に使い果たした状態になっていました。以下は「事情」の一例です。
既存システムの設計思想との衝突による工数の増加
既存でそもそも想定されていないパスを通したことによるバグの噴出
新規機能なので社内に知見は無く、質問しても答えは無い
既存システムの設計背景の理解の浅さを先輩社員から詰められる
新規システム設計自体がtori_rakkoにとって初の挑戦であり、常に手探り
チームメンバに適切な指示出しができず手戻りを起こしてしまった
締め切りの外圧 (6月出荷のため、絶対にそれ以上伸ばせない)
残業・休日出勤が重なって趣味時間が消失
並行して走っていた別プロジェクトでの、上司とのコミュニケーション不足
直属の上司が(別の社員への)人間的な陰口を言っている場面に遭遇してしまう
7月頭に初の海外出張 (非英語圏) があり、それの準備も並行して必要
これらが重なった結果、5月~6月から、湿疹が出る、体が強張る、頭痛がする、深夜1時か2時まで考えが空回りして寝られなくなる、眠気覚ましに缶コーヒーを何本も飲むようになる (私は普段はコーヒーを飲みません) などの身体症状が出ていました。
実家の家族とは定期的にZOOMでやり取りしていて、6月付近から「生気を失っているので休め」と言われるようになりましたが、上述の状況下(6月出荷、7月出張)で休む決断ができず、無視し続けていました。
2024年7月、海外出張からの帰国して後片付けをした後、糸が切れたような状態になりました。
自分の感情が分からなくなりました。世界の色が無くなりました。夜中に涙が出ました。自分は何をしているのだろうという気分になりました。何か無くしてはいけない大切なものを無くしているような気がしつつ、考えがまとまらない状態でした。
自分の体に触ってみると板のようにこわばっていたり、触っただけで痛かったりしました。体温が下がっているのか血流量が減っているのか、体を動かすのが億劫になり、ベッドや椅子に座りこんだまま時間を過ごすこともありました。
幸い直後に長期休暇があり実家に戻ることができました。
家族と話したところ「この状態で一人で帰すわけにはいかない!!」となり、心療内科にかかったところ適応障害の診断を受け、そのまま休職に入りました。
2. 自分を取り戻す
ひたすら寝る
睡眠は大事です。まずは寝ました。昼も夜も、寝られるだけ寝ました。
心を回復させる
そのうち、日中は動けるようになったため、家族のサポートを受けつつ、心を回復させることに努めました。今まで蔑ろにしていたものを再び自分の中に取り込むことで、世界に色と熱、柔らかさが戻ってくる感じがしました。
上のイラストで描き忘れましたが、有酸素運動も良いです。ものすごく良いです。体が冷えたり、固まったり、思考が働かなくなっていたら、とにかくジムに行って、クロストレーナーで30分ほど走ることにしました。科学的にはおそらく、脳の血流量を増やすことで、神経活動を活発化させられるという話な気がしています。
3. 自分を見つめ直す
十分に世界に色が戻ってから、「認知行動療法」や「マインドフルネス」を始めました。そもそもあのとき自分はどう感じていたのかを、自分の心にゆっくりと問いかけていきました。
心が立ち直っていなければ、ここはできません。もし試してみて、心がざわついたら、嫌だと言ったら、まだそのフェーズではないので、ひたすら休みましょう。
自分のあの時の状態。
そもそも6月~7月の自分が本当はどう感じていたのかを知るため、「マインドフルネス」を意識して自分を見つめ直す時間を取りました。思い返すだけでも症状が出てきましたが、実家でしっかりと体と心を休めたこと、家族と話してその感情に共鳴してもらえたことが鍵となって、症状に飲み込まれずに自分を見ることができました。
怖かった。
言葉にすればたったこれだけでした。もちろん、大量の負の感情の底に埋もれていましたが。
ですが、この一言を認識するのに、およそ2ヶ月かかりました。早いとか遅いとかの判断はせず、ただ、2ヶ月かかったことを受け入れるようにして、初めて自分が見えてきたように感じました。
本屋で偶然見つけた下の本は良かったです。
筆者の方が事故で脳に障害を受けた経験があるそうで、「自分の脳をスマートフォンにたとえるなら、バッテリーが残り3パーセントのまま生き続けているような状態 (本文引用)」で、それでもそのままの自分を受け入れる、自分を思いやる、という経験から書かれています。説得力が違います。
自分の価値。
マインドフルネスの一環として、今自分がここにいることを、ただ受け入れる、という瞑想をしました。良いも悪いも判断せず、ただ、今自分がここにいることを受け入れるというのは、自分の価値を見つめ直す上で非常に大きな意味を持つと感じました。
ありきたりな話ですが、自分がここにいることそのものが掛け替えのないことです。今弱いから、今何かに貢献できないから、今失敗したから、だから自分に価値がないというのは、もしかすると早すぎる判断なのかもしれません。
自分が譲ってはいけない一線。
マインドフルネスを使って当時の自分の心を深堀りしていくと、自分の心がざわついていたことに気づきました。仕事だから、社会人だから、と抑え込んではいたものの、心の奥底では何かを訴えていたのだと思います。何か自分が譲りたくない一線があって、それを超えざるを得なかったから心がざわついていた。であれば、そこを深く見ていけば、自分の心の方向が見えてくると思いました。
私には「家族が傷つけられることは許せない」という思いがありました。自分の価値を見失っていても、その一つだけは変わらない道しるべになります。
自分を客観的に見れない、自分の価値を無意識に下げてしまう、周りを優先して自分を抑えつけてしまう。自分ひとりであれば、我慢すればよいかもしれない。では、家族で置き換えてみると?家族を自分と同じ環境に押し込んで、その結果傷つけられて、魂が抜けた状態になって、許せるか?
許せないと思いました。
どうして私の家族にこんな悲しい顔をさせるんだ。その会社にいるために家族が苦しんでいるなら、会社とだって戦ってやる。私の家族を傷つけるんじゃない。という気持ちになりました。
家族を傷つけたくないという一線があるのに、会社で体力を消耗しすぎて疲れ切った顔しか家族に見せることができない自分、という点で、自分で自分の譲れない線を踏んでしまったのかもしれません。
そう考えてみると、今、自分を抑えつけるべきなのか、自分を解放するべきなのか、少し客観的に見られた気がします。
自分のエネルギーのもと。
物理学の世界には、「共鳴」という現象があります。
すべての物体には、固有の「固有振動数」という値があり、それと一致する振動数の外部刺激を受けると、他の振動数の刺激を受けた時と比べて、振幅が大きくなります。
例えばラジオのアンテナなどは、指定した周波数の放送電波のみを増幅させ、それ以外の周波数の電波を減衰させるために共鳴を使っています。(「同調回路」と言います)
固有振動数より低い振動数だけでなく、固有振動数より高い振動数 (エネルギーの高すぎる刺激) でも共鳴しない = エネルギーを受け取れない、というのがポイントです。
別の言い方をすれば、外部刺激の振動数と、自分の内部構成が要求する振動数が一致した際に、外部から与えられたエネルギーを取り込む効率が最大になります。損失無く、エネルギーを自分の中に取り込めるようになる。外部の刺激は、振動数が高すぎても低すぎてもいけない。
人間にも応用できそうではないでしょうか。
外の刺激からエネルギーを得られるなら、活動を続けられます。外の刺激からエネルギーを得られず、ただ消費する一方であれば、いずれ消耗しきってしまいます。そして、いたずらに高いエネルギーを浴びせればよいわけではなく、最適な振動数の刺激を与えてあげる必要があります。
自分がエネルギーを受け取れる最適な振動数、自分の固有振動数はどのくらいでしょうか?自分のエネルギーのもとはどこでしょうか。
私はやはり少しでも人に何かを届けたかった (届けるという行為でエネルギーを得られた) ので、意識的に情報を出すようにしました。
家族に自分の状況を伝えるようにしたり、自分の経験をnoteに書いてみたり、ゲームのイベントにイラストを提供してみたり、エネルギーをもらったnoteにはコメントを書くようにしてみたり。私はもともとROM専で、コメントを書いた経験などほとんどありませんでしたが、これらの活動を通して、より多くのエネルギーを得られた気がしました。
せっかくなので、とても暖かなエネルギーをもらえた記事を、ここに貼っておきます。
コメントの書き方はここが参考になりました。
自分を信じること。
「自分が譲ってはいけない一線。」の項で、「家族を傷つけたくないという一線があるのに、疲れ切った顔しか家族に見せることができない自分」という書き方をしました。
「自分の一線を守ること」は、即ち自分を信じぬくことで、自己肯定感に直結するものです。極端な話、自分の名前地位財産その他すべてが無くなっても、その一線だけは自分である、というのをどこまで言えるか。
自分を自分たらしめるものを失わないことが、ストレスを受けたときに、自分の心を救えるかどうかの境目になるのかもしれません。
お互いさま。
自分の心を回復させ、自分を見つめ直したあと、改めて今回の出来事を見返してみました。その結果、お互いさまだったと考えて良いのかな、という気持ちになりました。
全て自責にして適応障害になるのも、全て他責にして反省や感謝を忘れるのも、どちらも現実を客観的に見れていない故です。体力を回復してから改めて振り返り、「お互いさま」と考えられるようになったことで、ようやくこの問題について、自分の中で落としどころを見つけられたかな、と感じています。
私の良かったこと:
〇新規機能追加を自分から提案した。
〇プロジェクトを主担当として主体的に進めた。
〇投げ出さなかった。
私の悪かったこと:
△精魂尽き果てるまで自分を追い詰めた。
マネージャの良かったこと:
〇既存システムと新規機能を融合させる方法について、率直にフィードバックをくれた。
〇自分の業務範囲外の部分でも、見捨てずに我慢してくれた。
〇残業・休日出勤に付き合ってくれた。
マネージャの悪かったこと:
△自身がプレイングマネージャで余裕がないのに別プロジェクトにGOサインを出してしまった。
△ストレートにものを言うだけでは解決しないこともあった。
会社の良かったこと:
〇1年目の若手を主担当として大胆にプロジェクトを進めさせてくれた。
会社の悪かったこと:
△負荷が集中した後の1年目社員のケアが少しばかり手薄だった。
4. これからの生き方を考える
今回の出来事は、自分のこれからの生き方を考えるうえで、結果的にとても良い経験になりました。
自分をただありのまま受け入れる心の思いやりの概念があること。
「家族を悲しませない/家族に誇れる生き方をする」のが譲れない一線であるならば、睡眠、食事、運動、本、対話、遊び、ぬいぐるみ、イラスト、ゲームなど、捨ててはいけない「余分」があるということ。
自分から感想やイラストを提供することで、巡り巡って自分のエネルギーをさらに増やせること。情けは人の為ならず。
しっかりと休養を取って、ゆっくりと自分の心の中を掘り下げれば、あれほど自分を追い詰めた一連の出来事も、客観的に落としどころを見つけられること。
適応障害になって、自分をゆっくり見つめ直したからこそ得られた気づきでした。これをもとに、これからの生き方を模索していこうと思います。
最後に
大好きな本の一節。
大好きな歌の一節。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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