【小説】神の一手
時はデス令和五〇〇年。将棋界は未曾有の危機に瀕していた。AIの発達は凄まじく、もはや人間の思考は対局に介在することなく、人間の皮を被ったAI同士の戦いの如き様相すら見せていた。
そんな最中、かつての名人果糖九段は若手の有望株半尻七段との順位戦での対局中、誰も見たことの無い斬新すぎる新手を繰り出した。AIですら予想することの出来なかったその一手は対局相手である半尻七段の闘気を文字通り根こそぎ奪っていった。
半尻七段、ショック死。
この対局をたまたま見ていた将棋連盟会長細眼鏡悪治九段はこう呟いたという。
「この手があったか……!」
この事件をきっかけにし、将棋に新たな勝ち方がひとつ加わることとなる。
すなわち、『斬新な一手により相手をショック死させた場合、勝ちとなる』と。
さらに細眼鏡会長はこの勝ち方を推奨し、将棋連盟もデス将棋連盟と名前を変え、ここに新たな時代の将棋、デス将棋が誕生することとなったのであった。
◇
「頼む、当代一のゴシップ記者と言われたお前のことだ。アイツのゴシップの一つや二つ持っているんだろう!この対局に俺の全てがかかってるんだ!」
男はそう言うと、脂ぎった額をテーブルに思い切り擦り付けた。茶を差し出そうとした秘書が眉を顰めるのもお構いなしにグリグリとテーブルに汗のシミを作り続ける。
「まぁまぁ頭をあげてください、屯田兵先生。先生にそう褒められると悪い気はしないんですけどね、先生の次の対局相手っていうと、あの猛牛名人でしょう?」
「ああ、その通りだ。このデス将棋界の絶対覇者たる全冠王子、三年連続対局中キル数ナンバーワンの天才にとうとう俺のようなチンケなデス棋士が挑まざるを得なくなったってことさ」
「いやいや、タイトル獲得経験のある屯田兵先生がそんなチンケなだなんて……」
「いーや、俺のことは俺が一番わかってんだ。デス棋士となってはや三十五年。確かにかつてはこの百鬼夜行たるデス将棋界で栄華を欲しいがままにしたこともあったさ。だが、今の俺は二割も勝てない老害。いつ対局中にキルされるかビクビクするだけの哀れな生き物に成り下がってしまったんだよ」
「だからってゴシップで脅してなんとかしようなんて恥ずかしくないんですか!?」
声を荒げる記者をよそに屯田兵は茶をひとすすりし、ニヤリと口角を上げた。
「腐ってもデス棋士の端くれ。そんなことはせんよ。しかし、かの細眼鏡会長は言った。『斬新な一手により相手をショック死させた場合、勝ちとなる』ってな。別にこれはデス将棋の駒を動かしての一手とは言ってないよな。つまり、俺の手番で駒を打たずゴシップ写真を打つ! そうして奴を討ち取り勝利を手にするのだ!」
「脅すのとほぼ変わらないじゃないですか!」
「そんなことはない! 対局前には相手をリスペクト、対局中はルール無用。どんな手を使っても泥臭く勝利をもぎ取るのが俺の流儀なのだ! それにお前に拒否権はないぞ。お前に貸した百万円、ここで今すぐに取り立ててもいいんだぞ」
屯田兵の大きな目玉がギョロリと動く。記者はため息を一つ吐くと、テーブルの上に置かれたファイルから一枚の写真を取り出して屯田兵の前へ差し出した。
「これは猛牛名人が既婚者である姉弟子とホテルへ入る写真です。なにぶん清純が売りの名人ですからだいぶ苦労はしましたがね。でもこれきりですよ。ぼくはあなたの泥臭い棋風が好きなんです。もう一度あなたが輝く姿を見たいんです。こんな汚い真似をせずとも正々堂々相手を打ち負かす屯田兵三郎を」
「……わかってる。俺にだってプライドがある。それになにより元とはいえ可愛い弟子にここまで言われたら立ち上がらんワケにもいかねえ」
屯田兵は写真を懐に収め立ち上がった。
「これ一回きりだ。アイツに勝てば俺はまたデス将棋界の中心に戻れるんだ。そしたらお前にもう一度俺の生き様を見せてやるよ」
◇
「振り駒の結果、先手は猛牛名人に決まりました。それではお願いします」
名人の手が駒へと伸びる。2六歩。飛車先の歩が動く。それを見て屯田兵は右手を盤ではなく懐に伸ばし、盤のど真ん中にゴシップ写真を叩きつけた。
「どうだ! これが俺の神の一手じゃあ!」
慌てる記録係を尻目に名人はニコリと微笑みおもむろに立ち上がった。そしてズボンを脱ぎ始めた。
「お、おい! 何してんだ!」
驚く屯田兵を全く気にすることなく、名人は微笑んだままパンツに手をかけ、思いきり下へ下ろし……。
「う、うわあああああああああああああああああああああああああああ!?」
「まで、三手をもちまして猛牛名人の勝ちとなりました」
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