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【わたしの履歴書①】ゆとり世代、就活から社会人スタート期をふりかえる

わたしは、平成の始まりにある地方都市で生まれました。
運動も勉強も、できるわけでも、できないわけでもなく、のんびりとした学生生活を送ってきました。

中堅大学を卒業し、民間企業を経験(2社)し、現在は公務員として働いています。

30代も後半に入りそうなとき、「これまで、なにしてきたっけ?」と思うこともあり、自分自身の棚卸しとして、何回かに分けて、社会人生活のふりかえりを書きます。

まずは、就活から社会人スタート期


①就活をふりかえる

大学を2012年に卒業した。
2008年にはリーマンショック、2011年には東日本大震災。
就活生にとっては、厳し目だった。就職率も60%台だったような・・
中堅大学だったことも理由なのか、就職できなかった同級生は多かった。

私はというと、4年生の夏ぐらいにようやく、決まった・・・
エントリーシートだけでいえば、40社くらいは出しただろうか。
当初、志望していなかった東京に本社のある食品メーカー総合職に内定をいただいた。


「どうして選んだの?」と聞かれたら
「なんでもよかった」「とにかく職を得なくちゃ、いけなかった」「卒業までに決めなきゃ、大学まで出してもらった両親に申し訳ない」
そんなところだ。
ただ、内定をいただいたときは、「嬉しかった」「解放された!」と嬉しかった記憶がある。

ふりかえれば、もっと早く準備しておけば(大学2年生くらいから等)
こんな苦労しなかったのでは・・・
大学入って早々に、「就活講座」を受けるなんて、ダサいと言っていた自分もいた。
少しくらい、自分を褒めたいところとしては、持ち前の持久力・粘り強さを発揮して「落ちても、落ちても」
受け続けたことだろう。(エントリーシートも書き続けた)

社会人になってから大切にしていた言葉
「成功するまで続ければ、失敗なんて無い」
私の持ち前の力なんじゃないかとも思う。

②社会人スタート(1年目ごろ)をふりかえる

本社と工場での、3ヶ月間の研修を終えて、
名古屋にある支店に配属された。
同期15人くらいのなかで、たった2名の法人営業の部署だった。
(あとは業務用営業)
業務用営業のほうが、売上比率・業界シェアも高く
法人営業は少数派だった。

会社はといえば、体育会系組織。
会議では「今日はだれが狙われるか?(怒鳴られる)」と話題になるような
ブラック的な組織。
新人も1年以内には数名は辞めるか休職になる。
(実際、仲の良い同期も数ヶ月でメンタルクリニック通いになった)

名古屋にある支店は、支店長1名、営業部員5名、事務員1名の少数メンバーであった。
アットホームといえば間違いではないが、とても狭い世界に閉じ込められたとも感じていた。

これから「忙しくなるぞー!」「がんばって成長しよう!」と意気込んでいた
しかし、ここからつらい1年間を送ることになる。


それは、「全然、仕事を振ってもらえないことだ」
とにかく毎日、やることが無い。
先輩たちからは
「いいよなこれで給料もらえて・・・」
「お前から、毎日、先輩になにか手伝えることはありませんか?くらい聞けよ!」
どんな罰ゲームだよ・・・

毎日、仕事へ行くのが辛い日々だった。
本当は「営業ノルマ辛い・・・」「明日までにプレゼン資料まとめなきゃー」
そんな営業マンを想像していた。
「なんで仕事をさせてもらえないんだろう?」
会社の行き帰り、悩んでいたことを思い出す。

「自分が悪かった・・」となんでも自分事にせずに考えてみると
・そもそも、部署に新人育成プランが存在していなかった
・先輩・メンターとして社員育成をしていなかった。
・いわゆるOJTという都合の良いビッグワードで社員育成を考えていない
・人事「現場で新人は育つから大丈夫!」配属先「忙しいのに面倒な仕事をよこしやがって!」という責任のなすりつけ合い。
・俺は一人で育ってのし上がってきた!という社員が多い
・新人は一人で育つものという思想が多数派
これを全て「忙しい」という理由で怠ってきた
「重要高い」✕「緊急度低い」仕事に手をつけてこなかった

③1度目の転職を考える

この会社には丸々4年間いた。
この4年を思うと
上司・先輩たちには、大変お世話になったと思っている
何度も酒を飲み交わすなど、人間的なつきあいもあって
責められない。人を責めても「突破口」は見えない。
ならば、責めていいのは「組織」という存在だと思っている。

いまのわたしは、「人材育成」という分野に興味を持っている。
張り合いのある職種として「人材育成」に携わっていきたい。
そんなことを思うのは
1年目、自身が経験してきたことがベースになっているのかもしれない。

そんな風に考えれば、
私の虚しい社会人1年目の経験、そのとき感じたことは
けっして無駄ではなかった。
ただ、こんな始末を再生産させてはいけない。
これが「学びから得た、気づき」である。

1度目の転職では、「人材育成」という言葉もあって
畑違いの「教育業界」へ転職することになる。
この続きは後ほど

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