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小1の息子は発達障害で不登校

前説


①自閉スペクトラム症
②軽度知的障害
③不登校

 小1の我が息子の話をするなら、この3つは外せません。

 小学校入学以前は①②が彼の主な特性でしたが、入学式当日から③が加わりました。

 1学期の登校数は0(ゼロ)。

 初めはなんとか小学校に通ってもらいたく、いろいろな手を尽くしました。
 しかしどれも暖簾に腕押し、糠に釘。手応えをまったく感じぬまま時だけが過ぎ。
 私と妻はただ焦りとイライラが募り、4/28に辿り着いた答え、

 「ゴールデンウィークまでは説得する。それでダメなら諦めよう!」

 とは言え本当に諦めたわけではありません。
 あくまで「前向きな諦め」。
 「前向きな解散」的な。
 「解散するけど再結成も匂わしておくからね」的な。

 私たちの焦りとイライラは息子にも伝染し、また遅く訪れたイヤイヤ期と重なり、当時の我が家は非常によろしく無い家庭環境、空気になってしまっていたのです。
 この状態を解消するのが何より大事だと気が付いたからこその諦めでした。

 果たして何も事態は変わらぬままゴールデンウィークは過ぎ去り、めでたく私たちは前向きに諦めることとなりました。

 そして現在、小学校一年生の3学期。
 息子は小学校に通っています。
 親同伴、午前中の90分程度ですが、大きな成長だと思っています。
 まだまだ不登校の部類に入るのかもしれませんが、間違いなく大きな一歩を彼は踏み出すことができたのです。

 私たち家族はいろいろなことを諦め、これまでの考え方や方法をいったんすべて忘れ、捨てて、一からやり直しました。
 そこにはたくさんの方々の支えがありましたし、何より息子が彼なりにたくさん考え、そして決心した結果だと思っています。

 では、実際に私たち夫婦が「前向きな諦め」を経て、息子と一緒に登校できるようになるまでにどんな行動をしてきたのか。

 少しずつ、時間はかかると思いますが、noteに綴っていければと思います。
 願わくば、我が家と同じような悩みを抱えているご両親、ご家族様、教育関係の方々へ、少しでも何かのヒントになりますように。

「不登校の兆し」の話

 さて、小学校入学式当日から登校を拒否した息子ですが、実はそれ以前、療育園に通っていた頃から兆しは見せていました。
 その日を遡ること約2ヶ月前、療育園卒園を間も無くに控えた2月の中旬。

 「あしたぼくはあおばすさんにのりません」

 突然の宣言でした。前触れもなく。ブロック遊びをしながら。こちらも見ずに。

 青バスとは療育園登園の時に乗って行く登園バスのことで、療育園に行きたくないという意思表示と解しました。
 当時の息子は言葉を発することが極端に少なく、会話のコミニュケーションを取ることもあまりできませんでした。
 そんな彼が自分の気持ちを、誰に促されることもなく自発的に口にしたのです。驚きと共に嬉しさが込み上げたものでした。

 「そうか〜、子どもだってそんな時もあるよね。それなら明日はお休みにしようか!」

 彼の願い通り次の日は園にお休みの連絡を入れ、一日好きなように家で遊ばせました。
 息子の気持ちを配慮した行動であったのは間違いないのですが、それが正しかったのかどうか。

 息子はその日以来、療育園に行くことを拒否するようになりました。

 理由は一年経った今でもわかりません。先ほど書いたように彼は言葉を発することが苦手で、自分の気持ちを表現することもほとんどできません。
 ただそんな彼の言葉ですから、重いものであることは確かでした。必死に絞り出された訴えなのは間違いありません。
 しかし当時の私と妻は、これまで楽しそうに通っていた療育園を拒否する息子に戸惑うばかりで、どうしたら良いのかわからず悩むばかりでした。

 「どうして行きたくないの?」
 「おともだちとケンカしたの?」
 「せんせいになにか言われたのかな?」

 行きたくない理由になりそうなことを手当たり次第聞いてみましたが、息子は話を理解しているのかしていないのか、答えは返ってきませんでした。

 療育園の先生方も心配して毎日連絡をしてくれました。時にはわざわざ家まで訪ねてくれました。
 遊びに来てくれた先生を拒否することもなく息子はニコニコと受け入れていたので、先生が嫌とか怖いという風でもありません。

 またある時。息子が登園バスの絵を描いて、いつもの席順通りの場所を指差して「〇〇くん、〇〇ちゃん」と説明してくれたことがありました。バスそのものに問題があるとか、お友だちに会いたくないとか、そんな理由でもなさそうです。

 結局その後に登園したのは一日だけ、卒園式の練習の日だけでした。
 その日はいつもと違って朝から「りょういくえんにいきます」と宣言していた息子。ニコニコと青バスさんに乗って登園して行きました。
 そして無事に青バスに乗って帰ってきた息子がバスから降りて行った一言。

 「ぼくはそつえんしました。もういきません。」

 どうやら予行練習で彼は卒園を済ませてしまったようです。その翌日から彼は一足早い春休みに入りました。

 これが小学校入学式の前日譚です。つまり入学式当日から登校拒否となってはいるのですが、実際は療育園から続いている拒否であり、前触れなく始まったものではなかったのです。明確な兆しを見せていたのです。
 さらに言えば入学式前日、彼はしっかりと宣言していたのでした。

 「ぼくはしょうがくせいにはなりません。」

と。

そして入学式当日〜不登校開始〜

 小学校拒否宣言をされていよいよ本当の焦りが我々両親に生まれました。
 実は療育園を不登校になる前までは、
「しょうがくせいのおにいさんになります!」
と息子が張り切っていた時期もあったので、きっと入学式が来れば喜んで小学校に行くようになるだろうと腹を括っていた部分があったのです。

 我々は入学式当日の朝まで必死に説得しました。

「小学校は楽しいよ!」
「先生もきっとみんな優しいよ!」
「お友だちがたくさんできるよ!」
「小学校に行ったらお兄さんになれるよ!」

 しかし現実は甘くない。当の息子の心にはまったく響かず、むしろ意固地を拗らせてしまいました。悩みに悩んで選んだランドセルも完全拒否される始末。
 なぜ息子は療育園に行くのを拒否したのか、そして何故同じく小学校も拒否するのか。自分の思っている事や感情を表現できない彼からその理由を引き出す事は非常に困難でした。
 一体どうすればそんな息子の気持ちに寄り添うことができるのか、当時の私たちはその方法を持ち合わせていなかったのです。

 ついに入学式参加を諦めた私と妻。
 「少なくとも私たちだけでも先生方にご挨拶しておいたほうが…」ということで息子を私の母にお願いして小学校に行くことにしました。
 足取りが重い小学校までの5分の道のり。入学式を終えてすでに児童がいなくなった静かで寂しい小学校。これからうちの子はどうなってしまうのだろうか。不安ばかりが押し寄せます。
 そんな私たちがこの先なんとかなる、頑張っていこうと気持ちを切り替えられたのは、校長はじめとする先生方から希望の声をかけていただくことができたからでした。

息子のこれからの方針


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