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三浦雅士――人間の遠い彼方へ その4第3章 生命の方へ――三浦雅士『身体の零度』を読む

三浦雅士――人間の遠い彼方へ その4

 

鳥の事務所

 

 

 

 

第3章 生命の方へ――三浦雅士『身体の零度』を読む

 

1 はじめに

 さて、今回も前回と同様に、以前書いた文章を読ませていただきます。恐縮ですがよろしくお願いします。1994年に刊行された『身体の零度』についてお話しいたします。

 

2 生命の方へ――三浦雅士試論Ⅱ

【コラム 10 『身体の零度』】

コラム ☕tea for one

~『身体の零度』~


■三浦雅士『身体の零度──何が近代を成立させたか』1994年11月10日・講談社選書メチエ。

■書き下ろし長篇評論(社会史・現代思想・舞踊・身体) 。

■1,500円(税込み・発売当時)。

■284ペイジ。

■装幀 山岸義明・中津川稔、カバー図版:TADA Kayoko。

■編集担当 鷲尾賢也・横山建城。

                📓

 

 

 

1 身体と舞踊

 

 「レオタード」、という身体に密着した薄手の衣装がある。ダンサーあるいは、体操の選手が着用しているあれである。三浦雅士によれば、本書の主題〈身体の零度〉を《これほど具現する衣装はほかにない》というのである。──〈身体の零度〉。一体その〈身体の零度〉とは何なのか? 〈身体の零度〉とは《裸で何も塗らず、形を変えず、飾らない人間の身体》のことであり、レオタードは《ダンサー個人の肉体の特徴をも消去することによって、裸体以上に裸体であるといってよい。つまり裸体の抽象である》というのだ(本書257‐8頁)。 三浦雅士は70年代において詩誌『ユリイカ』、思想誌『現代思想』の編集長を務め、80年代初頭のニュー・アカデミズム・ムーヴメントを準備した一人としてつとに高名だが、その後、フリーの文芸評論家として着実にその文名を高らしめていた。しかし、1991年、突然、『ダンスマガジン』の編集長に就任して人々の耳目を驚かせたのである。何が三浦雅士をして文学・思想の領域から突如として舞踊というある意味ではマイナーなジャンルへの参加を駆り立てたのであろうか。本人の言によれば《一九八四年から八六年まで、コロンビア大学の客員研究員としてニューヨークに滞在しているあいだに、すっかりダンスの魅力に取り憑かれてしまった》というのである(「ダンスに魅せられて」)。これは一体どういうわけか? そもそも、今、何故、舞踊なのか?

 

 いま、なぜ舞踊か。二つの答えが考えられる。/一つは、舞踊が始源的かつ根源的な芸術であるということ。舞踊は、人類とともに古い芸術であり、音楽も美術も演劇もそこから発生した。にもかかわらず、近代に入ってから長く貶められてきたのは、近代の人間観に歪みがあったからであり、いまその歪みが正されようとしているということ。/もう一つは、同時に、舞踊は芸術的な表現としてきわめて新しいということ。表現としての舞踊の中心にあるバレエもモダンダンスも、二十世紀に入って成立したにすぎない。たとえば「白鳥の湖」が広く上演されるようになったのは半世紀前にすぎない。そういう意味では、舞踊は若く初々しい芸術なのだ。それは成長期の魅力を漲らせている。/舞踊は古くかつ新しい。現代を考える手がかりとして舞踊ほど格好の主題はない。(「いま、なぜ舞踊か」)

 無論この考えは後に整理されたものだ。三浦雅士がアメリカで遭遇したものは、一体何だったのだろうか? 三浦雅士によって書かれた、ダンスに関する文章を私が最初に目にしたのは、私の記憶が間違いでなければ、1986年、『早稲田文学』に発表された「ダンスと語学学習」というエッセイである。彼自身にとってもダンスについての文章の最初期のものだと思う。恐らくそれは8月のことであった。とても蒸し暑い夜、書店でそれを立ち読みしながら背筋がひんやりと凍りついたのを覚えている。何か一つの強烈な思考が巨大な杭のように打ち込まれる思いがした。何故かそれは単行本に収録されていないので、以下記憶に頼って書く*。

* もし将来『三浦雅士舞踊論集』なるものが編集されるのであれば、「ダンスと語学学習」は是非収録してもらいたい。

【コラム 11 『身体の零度』目次】

コラム ☕tea for one

~『身体の零度』目次~

まえがき

第一章 亀裂

1 子どもの数だけの世界

2 悪夢が人間を人間にした

3 人間は身体をつくりなおす

第二章 加工

1 纏足とコルセット

2 文明化とは何か

3 身体加工を意味づける視線

第三章 表情

1 どこまで自分でどこから他人か

2 社会的な泣きかたと個人的な泣きかた

3 笑いにおける近代

第四章 動作

1 日本人の歩き方は違っていた

2 農耕的身体と遊牧的身体

3 運動会の悲哀

第五章 軍隊

1 見せ物としての軍隊

2 その見せ物が身体の工場になる

3 産業的身体の成立

第六章 体育

1 舞踊から体育へ

2 「未開人」の体育

3 オリンピックの時間

第七章  舞踊

1 体育からふたたび舞踊へ

2 身体の新しい地平

ブックガイド、あるいは引用文献および典拠文献について

あとがき

索引

                📓

 ダンスと語学学習はよく似ている、というのがその主題だ。アメリカに渡った三浦は語学学習に勤しむ傍ら、ダンスをたくさん見たというのだが、やがて両者の共通点に気づく。よくもまあ、こんなふうに舌がまわるものだ、という感慨と、よくもまあ、あんなふうに身体が曲がったり、動いたりするものだ、という感慨はどこか相似形をなしているというのである。ダンスにおいて我々が発見するのはいかなる動きをもなし得る身体の可能性だ。それは言語で云えば、まだ言葉になりきらない、赤ん坊のうわごとに似ている。それはこれからフランス語にも英語にも日本語にもなり得る可能性のるつぼなのである。まさにダンスこそ、身体があらゆる動きの、そしてあらゆる表現の可能性のるつぼであることを示しているのだ。そしてさらにダンスにおいて我々が逆説的に確認するのは、日常的身体が極めて限定された姿なのだということである。 ──誤読や誤解をしているかも知れないが、恐らくこのような内容であった。今要約してみると、決して目新しい考えではない。しかし、これを目にした当時、私が驚いたのにはそれなりの理由があったのである。
 

2 無力感あるいは相対的有り様との戦い

私が三浦雅士を読み始めたのは1983年、『國文學』に発表された大江健三郎論「無力感について」がきっかけであった。それを手に取ったのは大江に関心があったことは言うまでもないが、むしろ論中言及されている小林秀雄への関心の方が強かったように思う。いずれにしても、誰が書いているかということよりも、誰について書かれているかという点で呼んだわけだ。しかし、一読驚倒、深い感銘を受けた。こんな批評家がいたのかと本当に驚いた。ギョッとしたといってもいい。早速三浦雅士の全ての著作を手に入れ、多くのことを学んだ。それ以降愛読する著作家の一人として新刊を心待ちにしているのである。 ──自覚的であろうとすることは必然的に自覚しきれなさを照射し、人は〈無力感〉に陥る。《無力感の根源は、人間は人間の主人であるという幻想にあるということになるだろう。いうまでもなくこれこそまさに近代の問題にほかならないのである。》(「無力感について」/『メランコリーの水脈』202‐6頁)三浦は、大江健三郎をそのような〈無力感〉と堂々巡りのようにひたすら戦い続ける小説家として描き出す。これは要するに大雑把に云ってしまえば、意味の問題であり、そしてまた価値の問題だ。意味や価値の根拠をどこに置くのかという問題なのだ。近代の人間は前近代における〈神〉にではなく、自身にその根拠を置く。だが、それは正しいと言えるのであろうか。



 「私は気違いではありません」と人は述べることができる。だが、そう述べたからといってその人間が気違いでないとは限らない。本人がそう信じ込んでいることを示しているにすぎないからである。気違いでないことを証明するには第三者の証言が必要なのだ。(……)しかしこの第三者の証言もまた真であるか偽であるかにわかには決定しがたい。(……)かくして第四者が、さらに第五者が要請されるわけであり、この連鎖は論理的には無限に続くことになる。 (「無力感について」/『メランコリーの水脈』202‐6頁)



言うまでもなく「気違い」の代わりに「私は正しい」と置いても同じ事態に立ち至るはずだ。やはり、正しさの証明も無限に続いていくのである。だから、《連鎖を断ち切るには何らか絶対的な判定者、すなわち神のごときものが必要とされるのだ。》(「神の不安」/『メランコリーの水脈』63頁)

 だが、もし〈神〉が存在しないとすれば、どうなるか。近代におけるあらゆる領域において、独自に成し遂げられた仕事は、この「神の不在」、「意味の無根拠」、すなわち〈相対〉的な有り様を巡って繰り広げられた戦いであったといっても過言ではない。無論、これは三浦雅士にとっても戦わねばならぬ重大な問題であった。だが、もし本当に我々の存在に根拠がないというのであれば、──1985年当時、私はその時点までに刊行されていた三浦の6冊の著作を読み終わり、書棚に収めながら、こう思ったのだ。──何故三浦雅士は書き続けるのであろうか、と。そしてこの問題は私自身の問題でもあり、さらにそれは近代に生きる人間自身の問題にも接続するのである。──生きるに値する人生が解体しているにも関わらず、何故、人間は生き続けるのか、という問いかけに。

 

3 絶対への問いあるいは人間の方へ

 
 私がその翌年、「ダンスと語学学習」を手に取って驚いたのは、ある意味ではその問いかけに応えていたような気がしたからだと思う。近代において人間が人間の主人になり得たのはひとえに、その理性によってであった。だが三浦は、ダンスにおける〈身体〉というテラ・インコグニタによって人間は人間を再発見できることを衝撃をもって受け止めたのではなかったか。 後に三浦は批評の基準について《批評は絶対を狙わねばならない》として、種々検討を加えた上で、次のように述べる。

 おそらく、これまでのところ、批評が絶対を狙う過程で導き出した最大の基準は自己意識である。作者の、あるいは作品の自己意識の強度が作品の価値を形成するという考え方だ。/(……)これを要するに文学作品は人間ということにかかわることによって読者を感動させるといって誤りではない。あたりまえのことだ。だが、あたりまえだからこそ重要なのだ。/作品の善し悪しを決めるのは、その作品がどれだけ深く、また強く人間ということにかかわっているかである。(『死の視線』10‐12頁)

 

やはり、三浦雅士は人間に帰ったのだ。舞踊を通じて人間というまさに絶対的なものに帰っていったのである。



4 過剰なる身体あるいは身体の零度 

 本書『身体の零度』は、「いま、なぜ、舞踊なのか」という問いへの前提である身体の問題について、文学作品や歴史的な事例も紹介しながら展開されたものである。 我々は、例えば、今世紀の初頭にまで残っていた、中国における纏足や欧米におけるコルセットといった〈身体加工〉をどう考えるだろう。批判されるべき野蛮な風習と考えるのではないか。──だが、むしろ事態は逆だ。その中に入ってしまえば、それをしていないことこそ野蛮な行為であり、それらこそが文化だったのである。卑近な例をあげてみよう。《頭と足ははっきりと差別され、右手と左手も同じように差別された。左利きは矯正された。火鉢はまたいではいけなかったし、本をまたいでもいけなかった。人の枕元にたってはいけなかったし、足で襖や障子を開けてはならなかった。立ちかた、座りかた、歩きかた、笑いかたから目つきにいたるまで、人はまず身体をしつけられた。》身体は《過剰な意味の場所》だったのだ。無論、このような意味、タブーは次第に喪われつつあり、《人間はただ純粋にその身体に向きあっているように見える。人間は、あらゆる虚飾を剥ぎとって、自分自身の裸の身体、「身体の零度」に立ちあっているように見える。》(本書2-3頁) 

 〈身体の零度〉とは、──三浦はアメリカの文明批評家ルイス・マンフォードを引用して次のように定義づける。それは《裸で何も塗らず、形を変えず、飾らない人間の身体》のことであり、マンフォードはそれをして《きわめて後世の、一般的でない文化的成果》だとしている(マンフォード『機械の神話』。本書31頁から援引)。つまり、三浦は《この物いいの背後に、人類の歴史において現代文明はきわめて特殊なものなのだというマンフォードの認識が潜んでいる》のだという(本書31頁)。

 すなわち、前近代における身体は過剰な意味に彩られていた。しかし、近代以降、身体はその意味を喪っていったということになる。そしてそのことは人類史のなかでも極めて特異なことだったのである。ではなぜ、そのような事態が出来したのであろうか。そのことを考えるために、三浦は舞踊を、武智鉄二の説に基づき二つの類型に分類して考察を進める。「舞い」と「踊り」の二者がそれである。

 《舞いの特徴は、摺り足にナンバ(*)、腰をしっかりと据えてゆっくり動くこと。踊りの特徴は、跳ぶこと、跳ねること、回ること、である。》《舞いの典型は能であり、踊りの典型はバレエである。》さらに、この二つの舞踊類型はそのまま、世界の《二つの舞踊文化圏》として線をひくことができる。そして、《それはそのまま農耕民の文化圏と遊牧民の文化圏》にもなるという**。なぜならば《生産の様式が、身体所作の様式を規定し、舞踊の様式を規定するからである。》(本書143頁)

 

* ナンバとは《右足が前に出るときは、右肩が前に出、極端に言えば、右半身全部が前へ出る》歩き方(武智鉄二『舞踊の芸』。本書134頁から援引)。《たとえば相撲の押しの体勢、張り手の体勢を思い浮かべて見るがいい。明らかにナンバの体勢になっている》(本書133頁)。昔の日本人はみなナンバで歩いたのだ。言うまでもなく農耕という生産様式がそのような身体所作を生んだのである。

 

** 三浦はガーナの民族舞踊の見聞から、これら二つの舞踊文化以前に「狩猟採集民の舞踊文化」が存在したのではないかと推測している(本書145頁)。
 

5 軍隊・学校・工場あるいは産業民的身体 

 では、我々が現代のダンスにおいて見る〈零度の身体〉はいかなる生産様式によって作り出されたものだろうか。それは近代的な産業ということになるのだが、準備をしたのはいずれも近代的な意味における軍隊と学校である。軍隊・学校・そして工場が近代的な身体を作り上げたのだ。逆に言えば、前近代的な、意味に満ちた身体を根絶やしにしたのはそれらの社会装置ということになる。

 軍隊・学校・工場が行ったことはひとことで言えば〈規格化〉ということだ。言い換えれば、それ以前の身体がいかに〈規格外〉的であったかということを意味し、それは同時に現在の我々の身体がいかに〈規格化〉されているかということをも示す。歩き方ひとつから、前近代の人々は、我々とは全く異なっていたのである。三浦は内外の文学作品、様々な記録、史料、社会史的研究を例示・解説した上で、次のようにまとめる。

 

 《ここで重要なのは、日本においてだけではない、ヨーロッパにおいてもまた、集団的、組織的に歩くこと、走ることは、学習しなければならなかったということだ。そしてその場は、何よりもまず軍隊であるほかになかったのである。/比喩としていえば、身体は、軍隊という工場で鋳直され、それから本物の工場へと送られたのである。やがて、軍隊に変わって、学校が、身体の工場としての機能を果たすことになる。だが、そのようにして成立した身体は、農耕民的でなかったどころか、遊牧民的でもなかったというべきだろう。あえていえば、それは産業民的だったのである。》(本書193頁)

 

 踊るのは女で、男はそれを見るだけだという構図がある。いまでこそ多少なりとも変化がみられるようになってきたが、このパターンは昔からそうであったのであろうか。──無論そうではない、前近代においては男女ともに踊ったのだ。《産業革命が、男性を職場に、女性を家庭に、という図式を作ってしまった》のである。そして、《見るのは男であり、見られるのは女であるという図式》が同時に形成された。そして、さらに、舞踊を奪われた男性には〈体育・体操〉が課せられたのである。無論それは農耕民的身体あるいは遊牧民的身体を〈産業民的身体〉へと鋳直すためである(本書209‐215頁)。 いくつかの紆余曲折こそあったが、そのような経緯をたどって、文字通り〈制服〉のごときものとして、背広とシャツが全世界のビジネスマンを征服したように、規格化され、意味を喪った〈零度の身体〉はヨーロッパから全世界へと〈輸出〉されていったのである。

6 精神と身体のすべてあるいは生命の方へ

 
 さて、このようにして、我々は振り出しに戻る。「いま、なぜ、舞踊なのか?」と。──〈身体の零度〉。──規格化されているというのであれば、逆にいえば普遍性が高いことを意味する。規格化は流通度を増すからだ。意味を喪失したというのであれば、逆にいえば自由で可能性に満ちていることを意味する。意味は限定に他ならないからだ。三浦雅士がアメリカで襲ったダンスの衝撃とはその自由度を意味したのではないか。三浦は本書を次のように結論づける。

 

 《いま、私は、二十世紀に入ってバレエが爆発的に花開いたその秘密が、わかりかけてきたような気がする。舞踊は長く原初生産性のもとにあった。それは、農耕民の舞踊であり、遊牧民の舞踊であった。だが、いまそれは、近代によってもたらされた身体の零度に根差す総合芸術、いや、芸術以上のものになってきたのである。そのなかに、農耕民の舞踊も遊牧民の舞踊も取りこみながら、それらのすべて、精神と身体のすべてを考える場に変容したのである。》(本書268頁)

 

舞踊は《精神と身体のすべてを考える場》なのだというのである。《精神と身体のすべて》とは一体何だろうか? 「身体」だけでなく、何故その上に「精神」が加えられているのであろうか? 我田引水の謗りを恐れずに暴論を付け加えれば、私にはこの箇所、すなわち《精神と身体のすべて》とは〈生命〉──そう読めてしまうのだ。──舞踊とは〈生命〉を考える場になったのだ、〈生命〉そのものを精神的にも、身体的にも考える場になったのだ、と。私は先に《三浦雅士は人間に帰った》と述べた。《舞踊を通じて人間というまさに絶対的なものに帰っていった》のだとした。だが、むしろそれはこういうべきではなかったか。──三浦雅士は舞踊を通じて〈生命〉というまさに絶対的なものに帰っていったのだ、と。

7 生命それ自身あるいは根拠関係

 

 しかしながら、それでは〈生命〉とは一体何なのだろうか。いまここでそれを説明し尽くすことは私には能力的に不可能であるし、また、そのような場でもない。ただ、たまたま本書とほぼ同時期に刊行された新刊に木村敏の『心の病理を考える』があり、私のおぼろげな思考に形を与えてくれた。三浦雅士が木村敏を読んでないはずがないが、だからといって恣意的に結び付けるのはまさに牽強付会と言うべきだ。しかしながら私にはどうしてもここで〈生命〉について語るべきなのだという気がしてならない。三浦の所論とは大きく外れてしまうかも知れぬが、しばしの寄り道をお恕し願いたい。

 精神病理学者・木村敏は『心の病理を考える』第Ⅱ章「精神病理学の歩み」において、フロイト、ヤスパースから始まったそれは二つの系統、すなわち《主観重視の立場》と《客観重視の立場》を合わせ持つという(同書49-54頁)。そして《この二つの立場を超えた第三の可能性》としての《現象学的精神病理学》に強い影響を与えたのがドイツの神経内科医ヴァイツゼッカーの医学的人間学だった(同書54-55頁)。

 《生命それ自身はけっして死なない、死ぬのはただ個々の生き物だけである。》と彼は主著『ゲシュタルトクライス』の中で述べている。──どういうことだろうか。木村は「生命」という概念には二つの意味があるという。一つには《有機的個体が一定の期間だけ生きている》、言い換えれば《その個体が死ねば消滅する》という意味であり、もう一つは《具体的には生殖といういとなみを通じて個体から個体へ、世代から世代へと引き継がれていく、それ自身はけっして死なない連続的な「何か」》を意味する。

 

 《この「生命それ自身」、生物を生物たらしめている根拠(グルント)としての「生命」は、絶対に客観的な対象とならないが、生命体はいついかなるときもこの根拠との関わりを保つことによってしか生きることはできない。この生命の根拠との関係のことをヴァイツゼッカーは「根拠関係(グルントフェアヘルトニス)」と呼び、この根拠関係こそ主体を主体たらしめている「主体性(ズプィエクティヴィテート)」なのだと言う。》(同書60-61頁*)


* ヴァイツゼッカー言うところの〈主体性〉とは極めて独特の概念である。彼の考えによれば、有機体の感覚・知覚(つまり、受入系)と運動・行動(つまり送出系)とは通来の生理学で区別されていたような二つの独立した系ではなく、《たがいにからみ合って単一の機能(……)を形成している》ものだという。この機能をヴァイツゼッカーは〈ゲシュタルトクライス〉と呼び、それによって《有機体は、そのつど変化する環境とのあいだに、彼が「コヘレンツ」(相即)と呼ぶ機能を保持している。》そしてこの有機体と環境との関係は《外界の変化にも有機体内部の変化にも絶えず即応していて、それまでの関係が解体されたときにはすでにそのつど新たな関係が生成しているという仕方で維持されている。》《この絶えず生成と解体を繰り返す相即関係の原理、有機体と環境のあいだにあって両者の出会いを維持している原理のこと

を、ヴァイツゼッカーは有機体の「主体(ズプィエクト)」と呼ぶ》のだ。したがって《主

体とか主観といわれるものは、個々の個体が独自に内面化している固有の世界の中心点なのではない。個体が個体として存続するために当の個体の主体はつねに個体の「外部」で、個体を取り巻く「非自己」的な環境との「あいだ」に成立していなくてはならない》。《このような主体/主観概念を導入することによって、ヴァイツゼッカーは従来の医学が精神と身体を分けて考えていた心身二元論を激しく批判する。(……)医学は──身体医学も精神医学も──すべて人間が「生きている」ということに関わらねばならぬ。(……)これがヴァイツゼッカーの主張であった。》(同書56-61頁)



8 存在の根拠あるいは生命の運動 

 私はこの箇所を読んだ時、これまた脈略を全く無視することになるであろうが、新約聖書学者・荒井献の所説を想起した。その著『イエスとその時代』は小冊ながら、社会史的方法(本人は《文学社会学》といっている。同書19頁)と最新の(無論刊行時における)新約学によって、いわゆる「史的イエス」*の実像を探ろうとした労作である。

*史的イエスというのは、ドイツの代表的聖書学者ルドルフ・ブルトマンの掲げたテーゼ、《原始キリスト教団の信仰にとって本質的な事柄は、彼らによって宣教されたキリスト、いわゆる「宣教のキリスト」であって、「史実のイエス」では必ずしもない》というものに基づいている(同書6頁)。つまり、『聖書』のテクストに表出されているのは歴史的事実としてのイエスというよりも、原始キリスト教団を形成していた人々の願望だったというのである。

 さて、それによれば、『聖書』の中でイエスの神についての発言で信頼できるものは次の2箇所しかないという。

 

 《天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ(正しい者にも、正しくない者にも、雨を降らしてくださ)る》(「マタイによる福音書」5・45。( )の中はマタイの加筆)

 

 《何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことを思い患うな。……空の鳥を見るがよい。蒔くことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのにあなたがたの天の父は彼らを養ってくださる。あなたがたは彼らよりも、はるかに優れた者ではないのか。……また、なぜ着物のことを思い患うのか。野の花がどう育っているか、考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。……今日生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上してくださらないはずがあろうか。……だから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って思い患うな。……明日のことを思い患うな。明日のことは、明日自身が思い患うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である》(「マタイによる福音書」6・25-34。同書184-5頁から援引)

 

ことさらに引用、提示されてみると、何の気もなしに読み飛ばしていた箇所が生き生きと蘇るのに驚く。これがもし〈神〉だとすれば、いわゆる一神教的な絶対者の風貌とは相当異なっている。むしろ〈自然〉に近いというべきなのか、あるいは仏教的だといえば叱責を被るであろうか。荒井献は次のように注解する。

 

 《ここでイエスはまず神を、「善人」「悪人」のごとき人間の倫理的価値判断に基づく格づけを止揚する、いわば「相対化の視座」として捉えている。この視座を失うとき、人間は自己を神として立てるであろう。しかし、もしそれが、相対化の視座にとどまるならば、人間を底なしのニヒリズムに沈みこませるであろう。それは、人間のすべてを相対化するとともに、人間を、現実の苛酷さのただ中にある人間を、根元的に支える「存在の根拠」なのである。それは、「空の鳥」「野の花」のごとく、否、それにもまして、人間の一人一人を育てはぐくむ。》(同書185頁)

 

荒井自身の考えを大きく踏み外すことになろうが、やはり、この《存在の根拠》をも私は〈生命〉と呼びたい誘惑に駆られる。 我々は日常的な生活を普通に送る限り、取り立てて自分が〈生きている〉のだということを意識しない。しかし、ときにその日常の被膜が破れて、この〈生命〉がわずかながらでも露出する瞬間がある。恋愛をしている時、死と直面した時、なんでもいい、人は確かに、人生の中で、目から鱗が落ちるとしかいいようがない瞬間や、何物かに駆り立てられる(ドライヴされる)時を経験する。それは要するに〈生命の運動〉が生起している時ではないか。宗教や芸術、音楽でも、文学でも、そしてダンスでも、あるいはそれに類するものは、意識的にしろ無意識的にしろ、この〈生命の運動〉を起こそうとするものである。この〈生命〉が〈運動〉を起こす時に、レヴェルの高低は無論あるにせよ、我々は〈生命そのもの〉の素顔をかいま見る、人はその〈生命の運動〉を「神」と言ったり、「仏」と呼んだのではないか。私にはそう思える*。

*余談ついでに、私はこの事態を〈宗教的超躍〉と呼んでいる。と、自ら誤解を招くようなことを書きながら、しかし、と断り書きを付け加えて置けば、私の意図としては安易な神秘主義や低俗な新宗教(運動)とは一線を画している心算である。実体としての「神」・「仏」を私は一切認めない。私の稚拙な筆力の為にその意図が伝わらないことをひどく恐れている。

 さて、寄り道が過ぎたようだ。本道に戻ろう。

9 三浦雅士あるいは文明への問いかけ

先にまとめたのが本書の大雑把な内容であるが、図式的に過ぎる論理の展開に辟易とされる方がいるかも知れない。恣意的に他の研究を繋ぎ合わせただけだという批判もあるに違いない。一介の文芸評論家が手を出すべき領域ではないと冷笑する人もいるだろう。確かに三浦は純粋な意味での研究者ではない。だが、三浦としては、ではなぜこのような研究が歴史家や社会学者によってなされないのか、という苛立ちを感じていたのだと思う。三浦はマンフォードについて次のようなコメントを記している。《スペシャリストは起源論になど取り組まない。ジェネラリストが取り組むのだ。そして、スペシャリストの仕事を意味づけることができるのは、ただジェネラリストだけなのだ》と(本書270頁)。ここに三浦自身の密かな自負を見て取るのは深読みに過ぎるであろうか。

 三浦雅士の仕事はいつも根源的だった。編集者として活躍していた時から今に至るまで一貫して、文学や芸術を、それらが置かれている文明の問題として捉えてきた。そうでなければ、誰が小説と植民地の関係など問おうとするだろうか(「小説という植民地」)。そうでなければ、誰が打楽器を思想史の中に位置づけようとするだろうか(「思想としての打楽器」)。出世作『メランコリーの水脈』の意匠には《literature in civilization》、つまり「文明の中の文学」と副題のようにプリントされている。装丁者・菊地信義の三浦に対する鋭い批評になっているわけだ。そういえば、美術家の荒川修作は三浦との対談において、期待を込めて、三浦のことを《文明批評家》と呼んでいる(「建築、哲学そしてダンス」)。成程……、もしそうだとすれば、我々は今、21世紀初頭の日本を代表する「文明批評家」の誕生に立ちあっているのかも知れない。 とは言うものの、本書は全くの前提に過ぎない。問題はここからだ。現代の舞踊が〈身体の零度〉に拠っているというのであれば、それをより具体的に示して欲しいし、さらにその明と暗をもより深く追求していただきたい。次の主題はずばり、「いま、なぜ、舞踊か」。是非、それは新書として刊行するべきだ。当然のことながら読者層が格段に拡がる。柳田國男『遠野物語』から言葉を借りて応援のエールを送れば、それをもって、日本中の読書人をダンスの衝撃で《戦慄せしめよ》! とまでいいたい。

 

【引用文献】

(1)三浦雅士「ダンスに魅せられて」/『毎日新聞』1991年5月17日夕刊。

(2)三浦雅士「いま、なぜ舞踊か」1993年11月13日、朝日カルチャーセンター横浜における公開講座のためのパンフレット。

(3)ルイス・マンフォード『機械の神話』1966年/樋口清訳・1971年・河出書房新社。

(4)武智鉄二『舞踊の芸』1985年・東京書籍。

(5)木村敏『心の病理を考える』1994年・岩波新書。

(6)ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』1940年/木村敏・浜中淑彦訳・1974年・みすず書房。

(7)荒井献『イエスとその時代』1974年・岩波新書。

(8)三浦雅士「思想としての打楽器」/『小説という植民地』。

(9)荒川修作「建築、哲学そしてダンス」三浦雅士によるインタヴュー/『Art EXPRESS』No.1・1993年12月・新書館。

(10)柳田國男『遠野物語』1910年。

  ※傍線は引用文も含めて全て評者による。

(初出『鳥』1995年1月号・鳥の事務所)

12,513字(32枚)

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2024051800

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