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人生の目標
こんにちわ。眼鏡トレーニーです。
ついに30歳になりました。
20代の頃はそこまで意識していなかった年齢。
あーまた1歳年を取ったなー。くらいに軽くしか考えていませんでした。
30歳を迎えて20歳よりは人生の終わり方を考えるようになりました。
重たいようですが、20代→30代になったことによって強く感じるようになりました。
このタイミングで自分の棚卸をしておこうと思います。
20代の振り返り
20代のことを振り返ろうと思います。
20歳 大学2年生
遊び呆けて単位を落としまくる。
後の研究室の恩師の授業も2回落とし、熱烈なリピーターと呼ばれる。
21歳 大学3年生
遊び呆ける。
大学院には行きたくないという理由から公務員試験を志す。
22歳 大学4年生
公務員試験に落ちて仕方なく院に進むことに。
大学院試験勉強をしながら毎日10kmのランニングを継続。
研究活動でなかなか結果が出なくてつらかったものの向上心が芽生えて研究テーマをもっと追求したいと思うようになる。
23歳 大学院1年生
思うような研究結果が出ずに試行錯誤を繰り返す。あきらめず粘る。
結果ではなかったものの学会に出たいという強い思いから学会に出る。
のちにそのデータが修論データの一部となる。
妻と付き合い始める。
24歳 大学院2年生
就活。色々な企業を受けるものの落ちまくる。自分の価値は何なのかを悩んだ。
中小企業と大企業二つ受かり見栄から大企業に入社することに。
研究はストイックに進めることができ、満足のいくデータで修了。
25歳 入社1年目
モノマー、製造という配属先によってギャップを感じる。
良くも悪くも教育担当のペースに合わせてしまった。
もっと技術的なことがしたいという気持ちが強かった。
26歳 入社2年目
コロナが本格化。
製造のことがわかってきた。色々な案件の主担当になり始める。
定修準備を忙しく実施。
初めての定修を経験。
27歳 入社3年目
製造から生産技術に異動する。
前任者とトレード異動となったのでゆったり引き継ぎながら仕事を進める。2021年8月に白内障発覚。目を大事にしようと決める。
11月に東京でプロポーズ。2022年2月に入籍。
28歳 入社4年目
入社後、最も大きいテーマのパイロットテストを実施。
0から検討した設備でのテストでトラブルが多く学ぶことが多かった。
結婚式を実施。
妊娠発覚。
29歳 入社5年目
解決できない課題に対する慣れでマンネリ化。
担当工場の閉鎖決定。
白内障の手術を受ける。
子どもが生まれる。
30歳 入社6年目
研究開発に異動
to be continued
20代の総括
20代を印象づける出来事を総括しますと・・・
バイト
家事のベース、マルチタスクなどのベースが出来たと思う
サークル(サッカー)
一生の友達の獲得。
スポーツは素晴らしい。
研究活動
学問的好奇心を感じる事柄へ出会えた。(ポリマー)
論理的思考力の鍛錬になった。
一生の友達の獲得。
やはり自分の持ち味は10代に身に着けたあきらめねぇド根性であるということを再確認。
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製造現場の経験、担当工場の閉鎖決定
入社して当初はどこか下に見てしまっていた製造現場。どこかおれはこんなところで仕事をするんじゃないんだと心の奥底で考えてしまっていた。
その環境で5年間仕事をすることで現場のすばらしさを学んだ。
現場の方々は自分たちの生活をしながら、現場の大変な仕事を誇りをもって行っている。
そして何より会社の売上を出しているのは現場である。企業人である限り売上を上げることに固執するべきであると痛感。
白内障発症
自分の健康は永遠ではないということを認識した。
手術を受けることで我が子の顔を鮮明に確認することができた。
その幸せを感じた。
結婚
結婚という事象のイメージが沸かず、なかなか踏み切れなかった私をずっと待っていてくれた妻と結婚。
共同生活は難しい点もあるものの楽しい。
確実に結婚する前よりも成長している。
出産
第三者目線では理解していた子どもが生まれるという現象。
当事者目線になると全く理解できていなかったことに気づいた。
育児は大変だしずっと眠たい。
でもなによりも世界で一番かわいい。自分より大事な存在が二人になった。
私も成長させてもらっている。
人生の目標
30代にもなって人生の目標というものを立てられていません。
難しいです。
ですが、自分の人生を使い果たすためにも自分の人生に後悔がないようにも現時点での目標を抽象的でもよいので立てておこうと思います。
たくさんの人に幸せを与える人間になりたい。
人間が生活をするためにはお金は必要不可欠です。それを入手するために労働しています。
20代最後に味わった工場撤退によって、人々の労働が失われるかもしれないという思いからくる不安、嫌悪、怒り・・・様々な感情に触れました。
同じ境遇だとはいえ色々な人がかかわっている工場、名前も知らない人々の感情にも触れました。
私はそんな思いをする人が少なくなるように自分の仕事をしていきたいと思いました。
これまでは自分、自分と関係のある人の幸せを願っていました。
もちろん名前を知らない人であっても幸せになってほしいとは思いますが、そこに私が干渉してどうこうしたいというところまでの気持ちは持ち合わせていませんでした。
この出来事をきっかけに自分の中の考え方が少し変わりました。
自分の力で他人であっても幸せにしてあげたい
そう思いました。
これから私は研究開発になりますが、新製品をたくさん開発して顧客の課題を解決するとともに、現場の仕事を途絶えさせないようにさせます。
30代の抱負
やはり目標や志は口に出したほうが良いと言いますが、良いですね。
この文章を書いているうちに「私はこの人生で多くの人々に幸せを与えるんだ。」という気持ちが大きくなってきました。
その目標に向けて30代のこの10年間をどう生きるか、30代の抱負を考えたいと思います。
とにかく打席に立ち続ける
自分の考えを発信できる機会があれば、絶対に手を上げる。
失敗は恐れない。
一回二回負けたくらいで折れるプライドなんてものは捨てる。
結果を求める
どんな小さな結果でもよいから結果の数にこだわる。
笑顔を大事に
自分一人でできることなんて限られている。むしろ何もできない。
人に話しかけられやすい人間になる。話しかけやすい人間になる。
環境にこだわる
誰と積極的に関わるか。
自分の意識で変えられることなんて知れている。
習慣を変えることで変える。環境。
周りの環境は自分の行動(機嫌、言動、アクション)によって作られていると認識する
プレゼンは3回練習する
自分の強みの再確認
これまでの人生で身に着けてきた自分の強みを自分への言い聞かせとして明言しておきます。
諦めない気持ち、粘り強さ
10代はサッカーの人生でした。
そこで身に着けたあきらめない気持ちと粘り強さは確実に自分の骨の髄に染み付いていると思います。
研究、仕事にも生かされていると強く感じます。
自分の人生の目標認識したこと
このnoteを作成するにあたって、無理やりですが目標を掲げました。
無理やりでしたが、文章を書いているうちに自分の感情が大きく出てきたように感じます。
そしてその感情はなぜ出てきているのかを考えることでこれまでの人生との整合性がとれた部分がありました。
以上二点が今の自分に持っている武器です。
この二つの武器を引っ提げて人生の目標を取りに行きたいと思います。
このnoteを通して自己分析が進んだ気がします。
皆さんのことも知りたいです。
教えてください。