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CECOTと東京都同情
私は「クレイジージャーニー」が好きで、録画して観ている数少ないテレビ番組の一つだ。その中でも人気のジャーニーである丸山ゴンザレスさんが、エルサルバドルを取材していた。
いわく、エルサルバドルは、殺人が世界一多かった国。だが、今は平和だ。
大統領が変わり、ギャングを一斉検挙(少しでも怪しきものは全員、逮捕状なしで逮捕できる)、巨大刑務所を作り収容、永遠に出られなくした。逮捕者は80000人以上、うち30000人を収容している巨大刑務所、それがCECOTだ。
数日後、日経新聞にもエルサルバドルの、CECOTの記事が載っていた。世界的に注目されていることが伺える。
最初にCECOTという設備が出てきたとき、既視感いうか、何か見覚えがあるような感じがした。それは「東京都同情塔」じゃないか、と思ったのだ。番組を観ているうちに、似て非なるものだとは分かったのだが。
「東京都同情塔」
第170回芥川賞受賞作品。
パラレルワールド的な世界観も好きだし、考える余白がある感じで、もう一度読みたくなる本。一回しか読んでないけど。
個人的に、一言でまとめると「平等へのアンチテーゼ」だ。
犯罪者が生まれるのは環境によるもので、犯罪者には同情すべき、その犯罪者を収容するのが「東京都同情塔」なのである。塔に住む犯罪者は、幸福を得られるように、良い生活を送っている。
他にも、多様性が受け容れられ、どんな、それこそ犯罪者でも、他の人と同じように生活ができる世界。
なんじゃそりゃ、と感じつつも、そんな世界もありかも知れない、と思わされる。
そんな思考実験が、東京都同情塔という作品なのだと思う。
一方のCECOT。
収容された人は、外部から遮断、面会も許されない。死ぬまで外に出られない。
一つの檻に数十人詰め込み、1日のうち23時間30分その中で過ごす。娯楽はおろか、布団や枕などというものもない。
食事は炭水化物のみ。武器になるようなフォークやナイフはなく、手づかみで食す。
生、という最低限の人権のみが、与えられている。それでも収容者は、もしかしたらいつかは、という希望を持ち、生きている。
確かに国の治安は良くなった。多くの人が平和になったという。
しかし怪しきものは罰せず、ならぬ少しでも怪しければ逮捕、というやり方には、冤罪という影がつきまとう。隣人の通報のみで捕まり、そのまま出てこられない、裁判もされない。
そういう少なからずの犠牲の上に成り立っている平和。国際的にも賛否両論あるのは仕方がないことなのだろう。
極端に他者の多様性を受け入れる東京都同情塔の世界。
怪しきものは排除し、平和になったエルサルバドル。
両極端で、どちらが望ましい世界なのかと問うことはナンセンスかもしれない。
だが、一つ言えるのは、後者は現実であり、ことによっては世界のスタンダードになるかも知れない、ということだ。
日本が、優しい平和な国であり続けることを望みつつ、今一度、東京都同情塔を読んでみようか。